第13話:喧騒の酒場と、母の残り香
人混みをかき分けてミランダの後を追うと、やがて通りの一角に、一軒の酒場が見えてきた。
一見すると石造りの無骨な佇まいだが、窓辺の飾り付けや看板の文字など、ところどころに洗練されたセンスが光る、どことなくお洒落な雰囲気を醸し出している店だった。
ミランダは迷いのない足取りで木製のスイングドアを押し開け、中へと入っていく。トリスタンとフリントも、その背中に引き込まれるようにして後に続いた。
昼間だというのに、店内は熱気と喧騒に満ちていた。
「――姉御」
二人が周囲を見回していると、店の奥からいかつい風体をした大柄な男が現れ、ミランダにすれ違いざまに小声で話しかけた。
「例の客がまだ奥の席に居座って……ごねてやがるんすよ。どうしましょう、姉御?」
ミランダは歩みを止めず、ふんと鼻で笑って冷ややかに言い放つ。
「ふん、考えたくもないわね。いいわ、金貨を三枚だけ……。それが嫌だってんなら、裏路地へ叩きだして構わないわよ」
「へい、承知しやした」
男はニヤリと物騒な笑みを浮かべ、そこでふと、ミランダの後ろに隠れるように立っていたトリスタンとフリントの存在に気づいた。
「客人で?」
「そうよ。私の部屋に連れていくわ。あ、そうだ、厨房に言って何か適当に美味い食事を作らせて。すぐ部屋に持ってこさせて頂戴」
「わかりやした」
男は一礼すると、そそくさと店の奥へと消えていった。その手慣れたやり取りに、フリントはミランダがただ者ではないことを察し、小さく目を丸くする。
「さ、こっちにいらっしゃい」
ミランダは二人に手招きをすると、店の奥にある木製の階段を上り始めた。
トリスタンとフリントは、キョロキョロと落ち着かない様子で店中を見回しながら、彼女の靴音を追いかける。
客席を見渡せば、金属製の胸当てや年季の入った革の鎧を身につけた者、腰に無骨な剣を帯びた者、背中に大きな弓を背負った者など、見るからに腕の立ちそうな屈強な冒険者たちで賑わっていた。中には、深いフードのついたローブをまとい、怪しげな杖を傍らに置いた魔法使いのような姿もあった。
怒号と笑い声、そして酒杯の交わされる音――。
その混沌とした空気は、トリスタンにとって恐怖よりも先に、どこか深い懐かしさを呼び起こすものだった。かつて、大好きな母カトリーナに手を引かれ、各地を旅していた頃の遠い記憶が、かすかに脳裏に蘇ってくるような感覚を覚えた。
階段を上がると、廊下にはいくつかの扉が並んでいた。ミランダはその最も奥にある重厚な扉に向かって歩いていく。
――ドカッ!!!
ふいに、二人が通り過ぎたばかりの途中の扉が、凄まじい音を立てて跳ね上がった。
「うわあぁぁ!」
驚いてトリスタンとフリントが振り返ると、中から一人の男が勢いよく床に転がり出てきた。
「おい、ふざけた真似してんじゃねえぞ!」
部屋の中から荒々しい怒号と共に数人の大男たちが現れ、床に倒れた男の腹を容赦なく蹴り飛ばす。蹴られた男はそのまま勢いよく階段を転がり落ちていった。凄まじい騒音と罵声が廊下に響き渡る。
あまりの荒事にトリスタンとフリントが硬直していると、最奥の扉に手をかけたミランダが、振り返りもせず鈴を転がすような声で言った。
「気にしないで。よくあることよ。さ、この部屋に入って」
促されるままに中に入ると、そこは外の喧騒が嘘のように静まり返った部屋だった。
豪奢な絨毯が敷かれ、壁には美しい絵画や繊細な装飾品が飾られている。部屋の中央には、美しく磨かれた大きな木製の丸テーブルと、それに合わせた四つの椅子が置かれていた。
ミランダに勧められ、トリスタンとフリントは緊張しながらも椅子に腰掛けた。ミランダも対面に座り、三人はテーブルを囲んだ。
静寂が満ちる中、トリスタンはぽつり、ぽつりと語り始めた。
辺境の村に起きた悲劇。突如として現れた魔将軍によって討伐隊が惨殺されたこと。そして――大好きな母が、目の前で殺されてしまったことを。
言葉を詰まらせるトリスタンの話を継ぐように、今度はフリントが口を開いた。
カトリーナを失ったトリスタンが連れ去られた、あの地獄のような採掘場の実態。血を吐くような過酷な強制労働、命がけで練り上げた脱出の作戦。そして、絶望的な窮地の中でトリスタンの身に起きた、あの「黄金の光」という奇跡の出来事を、フリントは一気に語り尽くした。
「……そうだったの。大変だったのね、あなたたち」
二人の壮絶な旅路を聞き終えたミランダは、神妙な面持ちで少年たちを見つめていた。その瞳には、深い悲しみと怒り、そして二人への労わりが滲んでいる。
彼女は椅子の背に預けていた体をゆっくりと起こし、立ち上がった。
そして、静かな足取りでトリスタンの背後へと回り込むと、彼の肩へそっと両腕を回した。背中からトリスタンの身体を柔らかく、包み込むようにして抱きしめる。
「ごめんね……少しだけ、こうさせて」
耳元で、ミランダの震える声が聞こえた。
「もう、私がカトリーナを感じられるのは……この世界で、あなたしかいないから」
その瞬間、トリスタンの背中にポツポツと温かい雫が落ちた。親友のあまりにも早すぎる死を悼み、ミランダの目から溢れた涙が、彼女の頬を伝って落ちていく。
母の名を聞き、その温もりに触れたトリスタンも、堪えていた感情が溢れ出し、ミランダの腕の中で一緒に声を上げて泣いた。ミランダからは、どこか懐かしい、とても良い香りがした。フリントは何も言わず、ただ二人の涙を静かに見守っていた。
しばらくして、コンコン、と小気味よい音で扉がノックされた。
ミランダは素早く指先で涙を拭うと、すっと背筋を伸ばし、いつもの毅然とした女主人の姿勢を正した。
「入りなさい」
扉が開くと、先ほどのいかつい男たちが大きなトレイを抱えて入ってきた。
テーブルの上に次々と並べられていくのは、焼き立ての芳醇な香りを放つ肉料理、湯気の立つ温かいスープ、ふっくらとした白いパン、そして新鮮な果実や冷えた飲み物。
それを見たトリスタンとフリントは、同時にごくりと激しく生唾を飲み込んだ。採掘場での泥のような配給や、荒野での酸っぱいベリーとは比べ物にならない、久しぶりに目にする“まともな御馳走”を前に、二人は完全に硬直してしまう。
「どうしたのよ? 遠慮なんてしなくていいわよ。お腹が空いてるんでしょ?」
ミランダが、いたずらっぽく、そして心底優しい声で言葉を掛けた。
「――いただきます!」
その言葉が合図だった。二人は堰を切ったように、猛烈な勢いで食べ物を口へと運び始めた。スープを啜り、肉を頬張り、ちぎったパンで皿を拭う。
口いっぱいに食べ物を詰め込み、互いに顔を見合わせて目を輝かせる少年たちの姿を、ミランダはそっと眺めていた。
「まあまあ……うふふふ」
ミランダの口元に、さっきまでの悲しみを感じさせない、母親のような穏やかで温かい微笑みが戻っていた。




