第12話:異邦の街と、懐かしき面影
男に教えられた通り、トリスタンとフリントの二人は、ただひたすらに荒野の道を西へとまっすぐ歩き続けていた。
遮るもののない日差しを受けながら歩を進めるうち、景色は徐々に変化していく。やがて小高い丘の瑞々しい草原を抜けると、木々に囲まれた涼やかな林道へと出た。
「あ、見て!」
フリントが指さした先、林道の向こうを一台の馬車が砂煙を上げて走り去っていくのが見えた。久々に見る「人間の営み」の気配に、二人の胸が高鳴る。
そんな道すがら、木々の間にベリーのような赤紫色の実をたわわにつけた枝を、フリントが発見した。
空腹が限界を迎えていた二人は、言葉もなくそれに飛びつき、無我夢中で貪り食った。甘酸っぱい果汁が乾いた喉を潤していく。ひとしきり食べつくした後、ふと顔を見合わせた二人は同時に吹き出した。
「フリント、口のまわりが真っ紫だよ」
「トリスタンだって、手まで染まってるよ」
お互いの顔の酷い有様を見て、二人は声を合わせて無邪気に笑い合った。地獄のような採掘場を抜け出して以来、初めて心から笑えた瞬間だった。
さらに馬車の轍が残る街道を進んでいくと、やがて視界が大きく開けた。
目の前に現れたのは、多くの人々や馬車が慌ただしく行き交う、活気に満ちた大きな街だった。
二人は圧倒されながらも街に足を踏み入れ、押し寄せるような雑踏の中を進んでいく。衣服の擦れる音、商人の売り声、馬の蹄の音。すべてが新鮮で、同時に恐ろしかった。
その時、人混みの向こうから、きらびやかな鎧を身にまとった兵士が数人、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「――っ!」
二人は反射的に顔を見合わせ、咄嗟に近くの路地の物影へと身を隠した。壁に背を預け、荒い息を整えながら、トリスタンがぽつりと呟く。
「僕たち……やっぱり、まだ追われてるのかな?」
「そりゃ、そうだろ。あれだけの騒ぎを起こして脱走してきたんだから」
フリントが呆れたように、しかし警戒を怠らない真剣な声で答えた。それから、少し申し訳なさそうな目をトリスタンに向ける。
「それに、こんなこと言って悪いんだけど……お前のその腕も、街中じゃ嫌でも目立つしな」
フリントの言葉に、トリスタンは自分の右側にある二本の腕を見つめた。
「お前に言われるなら、悪くは思わないよ。……でも、そうだね。これからはもっと気を付けていこう」
トリスタンとフリントは、互いに深く頷き合った。まずはこの目立つ外見をどうにか隠す方法を考えなければならない。そう決意して、再び注意深く通りに出ようとした、その時だった。
「あら? おばさんには全てまるわかりよ? 残念ね、二人でこそこそと、一体どんな悪だくみかしら?」
頭上から降ってきた突然の声に、二人の肩がビクッと大きく弾けた。心臓が跳ね上がり、驚愕して勢いよく後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、腕を組んで不敵に微笑む一人の女性だった。
毅然とした印象を与える短い黒髪。凛とした佇まいでありながら、どこかしなやかで美しい、大人の色香を漂わせる女性だった。
女性はトリスタンの姿をじっと見つめると、やがてその涼しげな目を細め、愛おしそうに微笑んだ。
「あなた、トリスタンね! まあ……本当に大きくなったわねえ」
「ぼ、僕のことを知ってるんですか……?」
トリスタンは困惑し、警戒と戸惑いが混ざった声で恐る恐る尋ねた。
「ええ? 嘘でしょ、忘れちゃったの? ミランダよ。ミランダおばさん!」
女性――ミランダは、大げさに両手を広げてみせた。
「そうねえ……最後に会った時はこんなに小さかったもんね。あの頃は本当に可愛くてねえ。『おばさん大好き!』なんて言って、よく私のほっぺにキスしてくれたものなのに」
ミランダは身振り手振りを交えながら、実につまらなさそうに、そして楽しそうに昔の回想を語る。
すっかり圧倒されながらも、トリスタンは最も疑問に思ったことを口にした。
「どうして、僕だと分かったんですか?」
「いやねえ」
ミランダは呆れたように笑い、トリスタンの右半身を指さした。
「そんな風に、右手が二本もある子なんて、世界中探したってあなた以外にいないでしょ?」
「あ……」
トリスタンとフリントは、思わず顔を見合わせた。そりゃそうか、と二人は深く納得するしかなかった。隠そうとしていた最大の特徴が、そのまま身元を証明するシンボルになっていたのだ。
「で、そちらの可愛い子は? お友達かしら?」
ミランダの視線がフリントへと移る。
「そうです、僕の親友のフリントです」
トリスタンが胸を張って紹介すると、フリントは少し緊張した面持ちで、ぺこりと礼儀正しく頭を下げる。
「あらそう、よろしくねフリント。……それで?」
ミランダは笑顔を崩さないまま、しかしどこか探るような、切実さを孕んだ声で本題を切り出した。
「カトリーナは? あいつはどうしたの?」
カトリーナ――亡き母の名を呼ばれた瞬間、トリスタンの表情が目に見えて暗く曇った。言葉に詰まり、視線を落とすトリスタンの様子を見て、ミランダはすべてを察したように小さく息を吐いた。
「ま、いいわ。こんな埃っぽいところで立ち話を続けるのも何だし、ひとまずうちの店にいらっしゃい」
深くは追及せず、大人の包容力でさらりと話題を変えるミランダに、トリスタンは顔を上げた。
「ミランダさんの、お店ですか?」
「そうよ、私の店。この通りを少し歩いた先にあるわ。美味しいものでも奢ってあげる」
ミランダはくるりと鮮やかに背を向けると、「おいでおいで」と手招きしながら歩き出した。
その背中に漂う不思議な安心感に引っ張られるように、トリスタンとフリントは言われるがまま、互いに顔を見合わせてから、その後を慌てて付いていった。




