第106話:断ち切る者、刻まれし誓い
潮風が優しく吹き抜ける、討伐隊訓練場の広大な中庭。
かつてクリストフとトリスタンが幾度となく刃を交え、汗を流しながら絆を深めた、思い出深き場所であった。
その傍らには、アルドを宿した剣が静かに立てかけられている。
その横で、珍しく標準的なロングソードを手に取ったエルムが静かに佇んでいた。
向かいに立つのは、背中に『クロイツ』を背負ったトリスタンである。
「まあ、慣れない武器だからな。いくら実戦経験が浅いとはいえ、エルムも地道に鍛錬は続けているみたいだし、良い勝負になるんじゃないか?」
カイエンが腕組みをしながら、見守るように声をかける。傍らではサヤも静かに二人の気配を探っていた。
トリスタンは背中のアタッチメントから『クロイツ』を力強く引き抜いた。
右側に並ぶ二本の腕でそれぞれ剣を構え、半身の体勢をとる。
「すでに準備完了とは、流石だね」
エルムがロングソードを上段に構えた。
「準備も何も……初めての武器ですから、やってみないと何も分かりません」
「じゃあ、いくよ!」
先手を取ったのはエルムだった。上段からの鋭い打ち込み――それをトリスタンは、上の右手で握る長剣で滑らかに受け止める。
しかし、やはり異形かつ複雑な構造を持つクロイツに慣れていないせいか、トリスタンの動きには迷いが見られ、どこかぎこちなさが拭えなかった。
上の右手で握る長剣と、下の右手で握る短剣。間合いもリーチもそれぞれ異なる二刀をどう組み合わせて扱うべきか、暗中模索の状態が続く。
エルムは実戦経験こそ乏しいものの、日々の愚直なトレーニングの成果もあり、序盤は実戦慣れしているトリスタンと対等以上に渡り合っていた。
だが、打ち合いを重ねるうちに、トリスタンの動きが目に見えて鋭さを増していく。
二本の右腕での保持に慣れてくると、持ち前の低い半身の構えを活かし、エルムのロングソードの間合いの外から巧みに間合いを制し始めた。
そして――変幻自在の二刀の連撃に押され、ついにエルムは尻もちをついた。
「いてて……。もう新しい武器に慣れちゃったのかい? トリスタンは強いなぁ……僕が弱いだけかもしれないけど」
「そんなことないです! 素晴らしい太刀筋でした。次は僕のほうが危ないかもしれません」
トリスタンは温かい笑みを浮かべ、尻もちをついたエルムへ素直に手を差し伸べた。
「お前……かなり珍しい構えをしてるな。だが、非常によく理にかなっている。単に奇をてらっているだけでなく、しっかりと己の技術として身についているぞ」
腕組みをしたカイエンが、感心したように歩み寄ってきた。
「どこで覚えたんだ?」
カイエンの問いに、トリスタンは感慨深そうに中庭を見渡した。
「まさに、ここです。ここから僕の戦いが始まりました……。初めてここで、クリストフに教えてもらったのがこの構えなんです」
トリスタンは愛おしそうに静かに目を閉じた。
「……クリストフのことは、もう大丈夫なのか?」
「ええ……辛くないと言ったら嘘になります。だけど、僕はクリストフに『ちゃんと生きる』って誓いましたから。クリストフだって、僕がいつまでも悲しむことなんて望んでいないはずです。だから……僕は前を向きます」
「そうか」
カイエンはトリスタンの覚悟の込もった言葉をしっかりと受け止め、力強く頷いた。
「じゃあサヤ……次、いってみるか?」
サヤは「はい」と小さく頷くと、トリスタンの前へと進み出た。
「じゃあ、お願いね」
サヤがニッコリと微笑む。
対するトリスタンは、盲目の女性に対して本気で剣を打ち込むことに強い戸惑いを覚えていた。
しかし――次の瞬間。
サヤがキリコの柄に手を掛け、刃を少し覗かせた途端、場全体の空気が凍りついた。
先ほどとはまるで別物の、刺すような異様な緊張感が中庭を支配する。ただ事ではない殺気とも言える気配に、トリスタンも背筋を伸ばし、クロイツを構え直さざるを得なかった。
「……!?」
トリスタンには、何が起きたのかまったく視認できなかった。
気がついた時には、サヤの鞘から放たれた刀身が、トリスタンの首皮一枚のところでぴたりと静止していたのだ。
あまりの神速の居合いに、トリスタンの全身から一気に冷や汗が吹き出す。
「うーん、寸止めとはいえ、サヤの相手はまだ早かったか……」
カイエンは苦笑しながらエルムを振り返った。
「おいエルム、今度は『いつもの剣』を使えよ」
エルムは頷くと手にしていた練習用ロングソードを置き、傍らに立てかけられていたアルドの剣を手にした。
その瞬間、エルムの佇まいから先ほどまでの柔らかさが消え去り、凛とした雰囲気が漂い始める。
「あれ……? エルムさん……?」
トリスタンはクロイツを構えながら、劇的に変化したエルムの気配に違和感を拭えないでいた。
「ふふふ……懐かしいな、この空気。俺も元々は討伐隊の出身なんだ。こういう模擬戦には慣れているよ。遠慮せずに来なさい」
覚悟を決めたトリスタンは、低い姿勢からの踏み込みで先手を打った。
常人ならば目眩ましのような変則的な軌道だが、戦士としての本能を取り戻したエルムは、それを難なく受けて止める。
「良い打ち込みだ!」
エルムはトリスタンの成長を促すように、絶妙な塩梅で剣を打ち返していく。
トリスタンも必死で喰らいつき、理想的な手合わせの中で恐ろしいまでの速度でクロイツの特性を掴んでいった。
上の右手で間合いを制する長剣の攻め。下の右手で敵の攻撃を受け流し滑らせる短剣の防ぎ。
トリスタンの変幻自在な攻防に引っ張られるように、エルムの打ち込みも次第に本気の熱を帯びていく。
(速すぎる……!)
踏み込んだエルムが放った、常人離れしたパワーとスピードの打突。あまりの風圧にトリスタンは耐えきれず、思わず尻もちをついた。
――カチャリ。
その衝撃の瞬間、交差していたクロイツの二本の刃が予期せぬスライドを起こし、刃の根元同士が奇妙に連結した。
二枚の刃が内側を向き合わせ、まるで巨大な「ハサミ」のように可動する異様な形態へと変化したのだ。
「なんだこれ……!?」
トリスタンは面食らいながらも、勢いそのままに巨大なハサミ状となった刃を大きく開き、果敢にエルムへと踏み込もうとした。
『やめてくれぇぇ!!』
突然、頭の中に直接響き渡った悲鳴のような叫びに、二人の動きがぴたりと止まった。
「ど、どうしたんだアルド!? 急に……!?」
エルムが困惑して叫ぶ。
『シザース……! それは、私のような意思のみで存在する精神体を、この世界から完全に切断し、消滅させるための戦法だ……!』
脳裏に響くアルドの声は、恐怖に震えていた。
『私は……この世から消え去る覚悟などとうにできている。しかし今、ここでエルムを残して消えるわけにはいかないんだ……!』
「アルド……」
エルムは手にした剣を見つめ、息を飲んだ。
『それほど強力な、存在を断ち切る魔力の気配を感じた……! 間違いないはずだ……!』
言葉の意味を汲み取ったトリスタンが、慌ててクロイツの刃を逆方向にスライドさせる。
――カチャリ。
心地よい金属音が響き、連結が解除された二本の刃は元の長短二刀の姿へと戻った。
それまで静観していたカイエンの瞳が、鋭く光る。
「なるほどな……『シザース』。それこそが、あらゆる理を【断ち切るもの】の本質というわけか……」
熱気冷めやらぬ訓練場の中庭で、デイルが遺した究極の異能が、静かにその一端を現したのだった。




