第105話:託されし双刃、選ばれし右腕
潮風が心地よく吹き抜ける港町ブラントン。
海沿いに位置する討伐隊訓練場の一室、その木製のドアにトントンとノックの音が響いた。
「はい、どなたかしら?」
室内から若い女性の声が届き、静かにドアが開く。
顔を出したのは盲目の女性、サヤであった。
「あ、すみません! 部屋を間違えました!」
驚いたトリスタンは、慌てて頭を下げ、立ち去ろうと踵を返す。
「待って! カイエンさんに用があるんでしょ? 確か……トリスタンさん、よね?」
「え……?」
思いがけず自分の名前を呼ばれ、トリスタンは足を止めて振り返った。
「どうぞ入ってください。今、ちょうどエルムと出かけちゃってて……すぐ戻ると思うから、中で待ってて」
サヤの穏やかな声に背中を押され、トリスタンは恐縮しながら頭を下げた。
「すみません……じゃあ、お言葉に甘えて」
通された部屋にはベッドが三つと、中央にシンプルな四人掛けのテーブルが置かれていた。そして部屋の壁際には、大きな黒い十字架のような物体が静かに立てかけられている。
トリスタンは勧められるまま椅子に腰掛け、向かいに座るサヤへおそるおそる切り出した。
「あの……差し支えなければお聞きしたいのですが、サヤさんは目が見えないのですか? 気になさったら、ごめんなさい……」
「ううん、いいのよ。もう長いこと見えないまま生きてるから、すっかり慣れちゃってるの。でも……あなたのほうが、その右腕のことで色々と嫌な思いをしてこなかった?」
「えぇ!? 見えていないのに、僕の腕のことがわかるんですか!?」
トリスタンは目を見開き、驚愕してサヤの顔を見つめた。
「ふふ、うん。見えなくなってから随分経つからね。耳や肌で、大体の気配が分かっちゃうのよ」
サヤは柔らかな笑みを浮かべて答えた。その言葉と佇まいに、トリスタンは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「そうか……ミランダさんの言っていた『ちゃんと生きる』っていうのは、こういうことなんだ。人にはそれぞれ、色々な生き方があるんだな……」
トリスタンは深く感銘を受け、噛み締めるように呟いた。
「……え? 何のこと?」
「あ、いえ! すみません……。でも、僕もサヤさんのように、前を向いて『ちゃんと』生きていかなきゃって思えたんです」
サヤはトリスタンの真摯な言葉に、少し可笑しそうに笑った。
「面白い人ね、トリスタンさんって。でも、何だか気に入っちゃったわ」
サヤが悪戯っぽく微笑んだその時、ガチャリと音を立てて部屋のドアが開いた。
大きな紙袋を抱えたエルムとカイエンが、賑やかに入ってくる。
「よう。やっと元気になったか、トリスタン」
カイエンが口元を緩め、親しげに声をかけてきた。二人は買い込んできた紙袋を部屋の隅へ置くと、エルムが嬉しそうに振り返る。
「いやあ、良かったよ! もう来てくれないんじゃないかって心配してたんだ」
エルムは壁際に立てかけられた大きな黒い物体に視線を向け、冗談めかして言った。
「このまま君が来なかったら、俺とカイエンさんでアレをぶっ壊しかねないところだったよ」
「え……アレって、例の武器ですか?」
トリスタンが尋ねると、エルムは壁際の黒い十字型のハードケースを持ち上げ、テーブルの真ん中にドスンと置いた。
「そうさ。この武器『クロイツ』を、君に試してほしいんだ」
エルムがケースのロックを外し、重々しく蓋を開ける。
そこには、重厚な金属の光沢を放つ二本の交差した剣が収められていた。
「これは……」
トリスタンはその見たこともない異様な形状に言葉を失った。
長い剣と短い剣が複雑に交差し、刃はシミターのように優美な曲線を描きながら、まるで生き物のように互いの刃身を絡ませ合っている。
トリスタンは促されるまま、そっと二本の柄を同時に持ち上げて引いてみた。
しかし、金属同士がカチャカチャと干渉し合うばかりで、どうしても二本の剣を分離させることができない。
「ああ……やっぱりダメか。どうやったら抜けるんだ、これ?」
エルムは腕を組み、困り果てたように首を傾げた。
その時、テーブルの端に手を伸ばしていたサヤが、何かに気がついた。
「あれ? ケースの底に何か入ってるよ。昔、エルムが使ってたスカバード・ベルト(帯剣用ベルト)みたいなやつ?」
サヤが取り出したのは、特殊な形状をした革と金属のベルトだった。
「え? ちょっと貸して……」
エルムはサヤからベルトを受け取ると、トリスタンの背後に回った。
「ちょっと装着させてもらっていいかな?」
「あ、はい!」
トリスタンは立ち上がり、背中を差し出す。エルムの手際よい動作でベルトがしっかりと身体に固定されると、エルムはケースから交差したままの『クロイツ』を持ち上げ、トリスタンの背中の専用アタッチメントへとセットした。
「うん、ぴったりだ」
満足げに頷くエルム。その光景をじっと観察していたカイエンが、何かに気づいて声をかけた。
「おい……長い剣の柄と、短い剣の柄の位置……ちょうどお前の『二本の右手』で同時に握れる絶妙な角度になってるぞ。やってみろ」
トリスタンはその言葉に頷くと、背中に回した二本の右手で、それぞれ長短の柄を力強く握りしめた。
――カチャリ。
背後で何かのロックが解除される静かな機構音が響く。
次の瞬間、トリスタンが両腕を引くと、あれほど固く噛み合っていた二本の剣が、まるで滑らかな水流のようにスムーズに引き抜かれた。
「ああああっ!! ついに抜けたぞ!! これで『クロイツ』が使える!!」
エルムが大はしゃぎで、声を上げて喜んだ。
「おい……その剣、もう一度背中のスカバード・ベルトに戻せるか?」
カイエンの問いに「はい」と頷き、トリスタンは二本の右手に握った剣を背中へ差し込んだ。
吸い込まれるように収まった剣は、再びカチャリと音を立てて背中に固定される。
ためしにエルムが右腕だけで長い方の柄を握り、力任せに引っ張ってみたが、やはりカチャカチャと引っかかるだけで抜ける気配はない。
「よし、同時にやってみよう」
カイエンが左手で短い方の柄を握り、エルムが右手で長い方の柄を握る。
「せーの……!」
二人が呼吸を合わせて同時に引っ張ってみたが、刃はガッチリと噛み合ったままびくともしなかった。
「……なるほどな」
カイエンは一度手を離すと、右手の義手へと切り替えた。
「もう一度いくぞ、エルム」
「はい!」
二人の『右手』がそれぞれの柄を握り、息を揃えて引っ張る。
――カチャリ。
金属音が響き、拍気抜けするほどあっさりと二本の剣が鞘から抜けた。
「えええっ!? 二本の『右手』で同時に引かないと抜けない仕組みなの!? こんなの普通気づかないよ!」
エルムが目を丸くして驚愕する。
「まあ、右手を持つ人間が二人いれば引き抜けはするみたいだが……一人でこれを自在に扱うとなれば話は別だ。どう考えても、これはお前が『選ばれし者』だな」
カイエンはニヤリと笑うと、トリスタンの肩を力強くポンと叩いた。
デイルが遺した究極の遺産『クロイツ』。
討伐隊の小さな訓練場の一室で、奇妙な運命に導かれたトリスタンの手に、新たなる希望の光が宿った瞬間であった。




