第7話:深夜の「密会」と、帝国の急成長
「……セシリア様。あの、……もし差し支えなければ、もう一つだけ、見ていただきたい案件があるのですが」
深い夜の帳が帝都を包む頃、宰相執務室。
クリス様が、震える手で一通の分厚いファイルを私に差し出しました。
彼の顔色は、数日前に比べれば劇的に良くなっています。……まあ、目の下の隈の代わりに、「いつ陛下に見つかるか」という死の恐怖からくる絶望的な脂汗が浮いていますが。
「もちろんですわ。……あら、これは兵站部門の輸送経路の見直し案? 惜しいわね、あと三箇所ほど中継拠点を物流倉庫に統合すれば、経費をあと12%は削れますわよ」
「じ、12%!? 帝国の国庫が、一回の茶飲み話程度の時間で潤ってしまった……」
私は、クリス様がペンを落とす音さえ心地よいBGMに感じながら、瞬時に修正案を書き込んでいきました。
あれから毎夜、私は陛下が寝静まった(と信じている)時間を見計らい、この執務室へと通っていました。
私にとっては、これが唯一の『余暇』であり、真の『リフレッシュ』です。
陛下が「休め」と言って与えてくださる最高級のフルーツよりも、この「承認済み」と書かれた赤い印影を書類に叩きつける瞬間の方が、私の細胞はよっぽど若返るのを感じていました。
そして、その「密会」の成果は、思いがけない形で帝国全土に現れ始めていました。
「……ニュースを聞きましたか? 帝都への食料輸送が、突如として二日も早まったらしいですよ」
「役所の書類審査も、以前は一ヶ月かかっていたのが、今は三日で終わるそうだ。奇跡だ、仕事の天使が舞い降りたに違いない!」
朝の市場や、街角の酒場。
民衆の間では、正体不明の「事務の女神」への信仰にも似た噂が広まっていました。
まさかその女神が、かつて隣国で「可愛げのない悪役令嬢」と蔑まれ、夜な夜なパジャマ姿で統計学と格闘している一人の少女だとは、誰も夢にも思わないでしょう。
ですが、一番の難関は、翌朝の朝食の席にありました。
「……セシリア。最近、一段と顔色が良くなったな」
レオンハルト陛下が、優雅にカトラリーを使いながら、私を凝視しました。
その紅蓮の瞳に見つめられると、私はつい、昨夜の「快勝」――つまり、物流部門の不正を暴いた時の昂揚感――を思い出して、顔が綻びそうになります。
「ええ、陛下。……おかげさまで、毎日がとても……『充実』しておりますわ」
「そうか。休息が効いているようで、私も誇らしい。……だが、なぜか貴様の指先に、インクのシミが付いているように見えるのだが?」
(……っ!?!?)
私は反射的に、テーブルの上に置いていた右手を膝の下に隠しました。
しまった。昨夜、深夜三時に興奮しすぎて、ペン先が滑った時のシミだわ。
「あ、あら……これは、その、今朝の散歩中に珍しい紫色の花を見つけまして、その花粉が付いたのかしら。おほほ」
「……花粉、か。……ずいぶんと……事務的な、直線状の花粉だな」
陛下の目が、わずかに細められました。
疑っている。確実に、疑われている……!
この方は、戦場での勘だけでなく、こういう察しも理不尽に鋭いのです!
「セシリア。……私は、貴様に健やかに過ごしてほしいだけだ。……もし、クリスが無理に仕事を押し付けているようなら、今すぐあの男を戦場(の最前線)へ飛ばしてやるが?」
「いいえ! クリス様は、それはもう、必死に私を遠ざけようとしてくださっていますわ! ……あ、いえ、つまり、彼は完璧な宰相ですので、他人の手伝いなど必要ないそうですの!」
必死の弁護。……実質的には、私が彼を脅して(書類を奪い取って)仕事をしているだけですからね。
「……そうか。ならばいい。……だが、明日は丸一日、帝都を離れて『風の草原』へ行こう。そこで、一切の文明から離れてピクニックだ。……ペンも、紙も、印鑑も、持ち込みは禁止だぞ」
(……そ、そんな!! 明日は通商条約の第二次修正案を仕上げる予定だったのに……!)
陛下、あなたの優しさは、私にとっては何よりも高い「心の残業代」が必要なイベントですわ!
でも、その独占欲を隠さない真っ直ぐな瞳に、私の心臓が、仕事の効率化ではなく「別の目的」で早鐘を打つのを、私はまだ認めたくありませんでした。
第7話、お読みいただきありがとうございました!
セシリアとクリスの「密会(事務処理)」回、いかがでしたでしょうか。
セシリアの仕事中毒っぷりが、もはや一種の才能(?)として描かれていますわね。一方で、皇帝レオンハルトの執着も、徐々に「一人の女性への独占欲」へと変わりつつありますわ。
次回、第8話「祖国からの、あまりに不愉快な招待状」。
ついに祖国から「恥知らずな招待状」が届きますの。王子の無能さと、陛下のキレっぷりをマシマシでお届けしますわ!
もし「インクのシミを誤魔化すセシリアが可愛い」と思ったら、最後にブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。
皆様の応援が、セシリアの「秘密の残業」をさらに捗らせてしまうかもしれません……!




