第64話:新しい公会議
新しいシュタイン条約の起草には、四十日、かかりました。
私は毎朝、円卓に十枚の紙を配ることから始めました。前日の議論を、その日の朝までに要約した紙です。
最初の三日、代表たちは戸惑っておりました。四日目に、ケルニの代表が、こう言いました。
「毎朝これが配られると、寝ている間に決められる心配がなくなるな」
ええ。それが目的ですわ。
新条約の柱は、四つになりました。
第一。分担金と議席は、同じ表で同時に改定する。片方だけを見直す規定は置かない。
第二。書記長は、議題を"登載しない"ことができない。提出された議題は、審議の可否も含めて総会が決める。
第三。繰越金は、各年度末に加盟国へ返還する。書記局が金を溜める仕組みそのものを、廃止する。
第四。議事録は、載せた議題も載らなかった議題も、すべて公開する。
「セシリア様。第四が、いちばん揉めそうですね」
イルゼ様がそう言いました。彼女は今、リースフェルトの代表として円卓に座っております。三年前まで踏み台の上にいた人が、です。
「ええ。ですが、これだけは譲れませんわ」
私は円卓を見渡しました。
「二百年、この機構でいちばん強かった力は"審議されない"ことでしたもの。それを潰すには、載らなかった議題も残すしかございません」
採決は、十対〇でございました。
繰越金の五百五十九万八千四百枚は、配分の方法でひと悶着ありましたが、直近の負担割合で按分することに落ち着きました。
最も多く戻ったのは、帝国。二百二十三万枚。
「クリス様。帝国の取り分ですが」
「はい。国庫へ入れる手続きを」
「いいえ。半分を、基金にいたしますわ」
クリス様が胃を押さえました。久しぶりですわね。
「基金、ですか」
「ええ。分担金を払えなくなった小国が、担保を差し出さずに済むための基金です。運営は書記局ではなく、加盟国の合議で」
私は微笑みました。
「うちが二百年で一番多く払わされた国ですもの。一番多く戻ってきた国が使い道を決めるのが、いちばん角が立ちませんわ」
そして、四十日目。
オズヴァルト書記長が、円卓に一冊の綴りを置きました。
表紙には、こう書かれておりました。
『第一年より第二百年 議事日程未登載議題 目録(第一分冊)』
議場が、しんと、静まりました。
「……三十一冊になる見込みでございます」
書記長の声は、いつもどおり平坦でした。
「本日提出できるのは、第一分冊のみ。以後、毎月一冊ずつ提出いたします」
私は最初の頁を開きました。
第一行に、こうございました。
『第百七十三年 秋 ケルニ王国代表 名簿閲覧を申請。資格審査未了により不受理 ――記録官ヴァルターの私記による』
出典が、書いてありました。
効力のない私物として四十二年ぶん書かれた綴りが、公式の目録の底本として、そこに、記されていたのです。
「書記長」
「はい」
「ヴァルター様の名を、出典に」
「新条約第五十条。目録には出典を付すべしと、ございます」
彼は目も合わせずに答えました。
「起草なさったのは、あなたでございましょう」
まあ。
傍聴席を振り返りますと、白髪の老人が背筋を伸ばして座っておりました。
来月、退官なさる方です。四十二年、誰にも読まれないと思って書き続けた方です。
その夜、帝国から早馬が届きました。転送された手紙が、二通。
一通目は、トビアス会計長から。
『聖都の月次会計、今月も壁に貼り出しました。周辺三か国から視察の申し入れがございます。……私の部署も、全員定時で帰れております』
二通目は、エルフィリアから。
『セシリア様。シュタインでのお働き、こちらまで届いております。壁に会計を貼るだけで、あの街の子どもたちは"数えること"を覚えました。数えられる者は、もう騙されません。あなたがくださったのは救いではなく、道具でしたのね。いつか帝国へ、その道具の使い方をもっと習いに参ります』
私は二通を並べて読み、しばらく窓の外を眺めておりました。
(ふふ。教え子が増えましたわ)
石の街の空に、星が出ております。
明日の議題は、新条約の署名式でございました。
制度が生まれ変わる回でしたわ。ありがとうございました!
新条約の四本の柱、いかがでしたでしょう。特に第四の「載らなかった議題も公開する」が、この物語の答えですわ。二百年、この機構でいちばん強かった力は否決ではなく"審議されない"ことでしたもの。
そして毎朝、前日の議論の要約を十二枚配る。「寝ている間に決められる心配がなくなる」――地味ですが、セシリアの仕事ってこういうものですのよね。
繰越金の使い道を基金にした場面も好きです。一番多く払わされた国が、一番多く戻ってきたぶんの使い道を決める。角が立たない、というのがなんとも彼女らしい理屈ですわ。
そして目録の第一行。出典に「記録官ヴァルターの私記による」と記された瞬間。……四十二年、誰にも読まれないと思って書き続けた紙が、公式記録の底本になったのです。しかもその規定を起草したのはセシリア。彼女、こういうところが本当にずるいですわね(笑)。
エルフィリアの「あなたがくださったのは救いではなく、道具でしたのね」も、第二部からの答え合わせになりました。
次回、第65話「エピローグ ―― 大陸に、共通の定時を」。
――第三部、最終話ですわ。
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