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第65話:エピローグ ―― 大陸に、共通の定時を

最終話ですわ。石の街から帝国へ帰ったセシリアを待っていたのは、いつもの執務室と、いつもの決算誤差。そして――大陸中で同じ時刻に鳴りはじめた、鐘の音ですの。最後まで、ホワイトにまいりましょう。

 自由都市シュタインから帝国へ帰還して、三月。

 アウグスト帝国、帝国中央庁、最高顧問室。


 私はいつもの執務室で、いつものように承認済みの書類をうっとりと眺めておりました。


「ふふ。本日の決算誤差、〇・〇〇〇〇五%。あら、また記録更新ですわ」

「セシリア様。いえ、皇后陛下。それを喜べるのは、やはり世界であなただけです」


 クリス様が、すっかり血色の戻った顔で呆れたように笑いました。


 石の街での四十日は、大陸に静かな波を広げておりました。

 新しいシュタイン条約のもとで、十二か国の議事録は毎月公開されております。載らなかった議題まで並んだ目録は、今のところ第四分冊まで出ました。あと二十七冊。書記長は、毎月きちんと期日を守っておいでです。


 シュタインからは、時折手紙が届きます。


 イルゼ様からは、「銀鉱山の坑道を七年ぶりに検分いたしました。まだ掘れます」という短い報告。相変わらず、余計なことを一行も書かない方ですわ。

 そしてもう一通は、意外な差出人から。


『皇后陛下。第七分冊の草稿を同封いたします。第三十七年から第四十三年まで。ご確認ください。――なお、私の記憶違いを二箇所ヴァルター元記録官に訂正されました』


 まあ。

 私は思わず笑ってしまいました。退官なさった老記録官が、書記長の原稿を赤で直しているのですわ。


(あの二人、今ごろ同じ机で向かい合っておりますのね)


「……セシリア」


 執務室の扉が開き、公務用の上着を脱いだレオンハルト様が入ってこられました。

 時計の針が午後五時を指します。その瞬間、城内に清らかなベルの音が鳴り響きました。


「時間だ。まだ、その書類を眺めているのか」

「あら、陛下。最後の一枚。シュタインから届いた目録の草稿に目を通していただけですわ」


「…………。それは、もうお前の仕事ではないだろう」

「ええ。ですが、教え子の宿題を見るのは上司のささやかな役得ですわ」


 陛下が呆れたように、けれど極上の愛おしさを込めて私を抱き上げました。

 私は彼の腕の中で、ふと窓の外を見やりました。


 遠く、大陸の中央。石の街の議場では、今ごろ十二の椅子が空になっているはずです。新条約は、総会の開議時間と閉議時間を定めました。閉議は、午後五時ですわ。


 さらに遠く、白の聖都では、エルフィリアが民と夕暮れのパンを分け合っていることでしょう。

 そして帝国の最北端の開拓地では、今日もバルタザール元枢機卿が、返せぬ借金の帳簿を震える手でつけ続けているはずです。その隣では、ルイス元王子とマリアベル元令嬢が相変わらず下水の清掃に励んでいるのでしょうね。


(ふふ。悪党たちは、それぞれの帳簿と労働で、自分の罪を数え続けている。そして正しく働いた人たちは、みんな定時に帰れるようになった。……大陸で、同じ時刻に)


「幸せか、セシリア」


 陛下が私の耳元で囁きました。


「……ええ、レオンハルト様」


 私は彼の広い胸に顔を埋めました。


「一つの王国を正し、一つの神権国家を正し、そして一つの機構を直しました。それでも私が一番好きなのは、やっぱりこの定時の鐘の音ですわ」


 私は顔を上げ、微笑みました。


「以前、大陸に定時の鐘をと申しましたわね。あれは詩のつもりでしたの。でも今は条文になりましたわ。第三十二条、閉議は午後五時とする。……詩より、ずっと頑丈ですのよ」


「……壮大な、条文だな」

「あら。壮大なのは条文ではございませんわ。守られる限りこれは、ただの当たり前ですのよ」


 私たちは顔を見合わせて笑いました。


 有能すぎた悪役令嬢は。

 今日も、明日も、そして永遠に。

 愛する人の隣で、世界をより良く、より公正に、そして最高に効率的に、変えていく。


 大陸の空に、今日も、幸福を告げる定時の鐘が鳴り響きます。

 東の帝国で、中央の聖都で、そして石の街で。少しずつ時刻を合わせながら、同じ鐘が鳴っていく。


 それこそが、彼女に与えられた最高の――そして、終わらない『ハッピーエンド』なのですから。


 ――ただ、その鐘の音が、まだ一度も届いていない海があることを。

 そして年度末の帳簿の隅で、送ったはずの為替が一通だけ、宛先を見つけられずに帰ってこようとしていたことを。その時の私は、まだ知りませんでした。


(第三部・完)

第65話、そして第三部・完まで、伴走いただき本当にありがとうございました!


第一部で一つの「王国」を、第二部で一つの「神権国家」を、そして第三部では大陸十二か国の「機構」を。セシリアの武器は今回も、剣でも魔法でもなく、数字を読む眼と、記録を残す手でした。


第三部の敵は、これまでで一番やりにくい相手だったと思いますの。オズヴァルト書記長は誰も殺さず、誰も騙さず、一枚も横領しませんでした。ただ「載せなかった」だけ。ただ「返さなかった」だけ。悪意の在り処が、どこにも指させない――それでも彼女は、二百年ぶんを帳簿と条文だけで引っくり返しましたわ。


そして今回は、救われる側の物語も厚く書けたのではないかと思っております。三年負け続けた女公イルゼが四つの署名を集め、四十二年見て見ぬふりをした老記録官ヴァルターの私記が公式目録の底本になる。……悪党を叩くのと同じくらい、この二人を書きたかったのです。


陛下の溺愛も、相変わらず全開でしたわね(笑)。「十七年でも待つ気だった」は、書いていて私がいちばん照れました。


「大陸に定時の鐘を」という第二部の詩が、第三部で条文になりました。詩より条文のほうが頑丈だ、というのがこの物語の答えですわ。


最後に、ここまでお付き合いくださったすべての読者様へ。ブックマーク(有給申請)や評価(最高額のボーナス支給)をいただけましたら、これ以上の喜びはございません。


……ところで。新しい条約に署名した加盟国は、十二か国のうち十か国でございました。東方の海洋二か国は、最後まで議場に姿を見せませんでしたわね。


そして年度末。二百年ぶん積み上がっていた繰越金が、はじめて加盟国へ返されます。十二通の為替が大陸中へ散って――そのうちの一通だけが、宛先を見つけられずに帝国へ帰ってまいりますの。


判に押されていた言葉は、「受取人不明」。


第四部、はじまりますわ。第66話「帰ってきた為替」でお会いいたしましょう。


それでは、また次の物語(執務室)で。……お仕事、お疲れ様でしたわ! どうぞ、定時にお帰りくださいませ!

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