第62話:五百六十万枚の繰越金
書記局の金庫は、議場の地下のさらに下にございました。
鉄の扉が、三重。開けるには、加盟国の三分の二以上の立ち会いが要ります。二百年で、開かれたのは五度きりだそうです。
最後の扉が軋みながら開いたとき、代表たちの誰も、しばらく声を出せませんでした。
金貨の山ではございませんでした。
整然と積まれた木箱と、その一つ一つに貼られた札。年号だけが書かれた札です。第一年、第二年、第三年――二百までの札が、順番どおりに並んでおりました。
(……几帳面ですこと)
私は、そのことに一番ぞっとしたかもしれません。
盗人なら、こんな並べ方はしないのです。彼は使い込んでいなかった。ただ、返さなかった。
「総額の確認をお願いいたしますわ。クリス様、イルゼ様」
「はい」
「……はい」
三日、かかりました。
結果は、金貨五百五十九万八千四百枚。私の見立てとの差は千六百枚。二百年で千六百枚しかずれないのですから、書記局の記帳はやはり正確でございました。
総会は、その数字をもって再開されました。
まずは、レナルト侯でございます。
「侯。あなたは未払国に分担金を立て替え、担保を取っておいでですわね」
「合法だ。私人の融通に何の問題がある」
「ええ、融通は合法ですわ。ですが、その融通は根拠のない請求に対して行われました」
私は書面を掲げました。
「附属書第七は未発効。よって分担金の配分そのものが無効です。存在しない債務のために取られた担保は、返していただきますわ」
レナルト侯が、髭を震わせました。
「相手国が納得ずくで差し出したのだ!」
「では、うかがいますわ。あなたはあのとき、附属書第七が未発効であることをご存じでしたか」
沈黙。
「ご存じなかったのなら、ただの錯誤ですわ。返せば済みます」
「……ならば、知らなかったと」
「ええ。ただし」
私は微笑みました。
「知らなかったのなら、あなたは条約を読まずに七つの国から担保を取ったことになります。それは無知ですわ。無知には、勉強していただきましょう」
総会の決議は、こうなりました。
ヴェルダン王国は、取得した担保をすべて返還する。そしてレナルト侯は、返還の実務担当として、七か国を一件ずつ回り、現地で返還を記帳して回る。
一件あたり数か月、それが七か国。彼は残りの生涯を、小国の役場の窓口で過ごすことになります。
「わ、私に、田舎の帳面をつけろというのか!」
「ええ。あなたが二百年、いちばん軽んじてこられたものですわ」
私はうなずきました。
「小国の帳簿。丁寧に、一枚ずつ、どうぞ」
そして、オズヴァルト書記長でございます。
彼は、罪に問われませんでした。問える罪が、ないのです。彼は横領しておりません。規則に従って繰越金を積み、規則に従って議題を裁量してきただけ。
「書記長。あなたに背負っていただくものを決めましたわ」
「……解任でございましょうか」
「いいえ」
議場がざわめきました。私は続けました。
「あなたには、書記長を続けていただきます。ただし任務を一つ追加いたしますの」
私は、ヴァルター様の綴りを机に置きました。
「二百年ぶん、議事日程に載らなかった議題の目録。それを作り、公開なさってください」
「……そのようなものは、記録がございません」
「ええ。ですから、思い出していただきますわ」
書記長の顔から、初めて血の気が引きました。
「あなたはこの三十年、毎年欠かさず条約を開いておいででした。載せなかった議題も、全部覚えていらっしゃるはずですわ」
私は綴りを彼のほうへ押しました。
「底本はこちらに。四十二年ぶんは、もう書いてくださった方がおりますの」
オズヴァルトは、その古い綴りを見つめました。
表紙に何も書かれていない、効力のない私物。彼はきっと、その存在を知っていたのだと思います。知っていて、四十二年、何もしなかった。
「……なぜ、私に」
「あなたにしか作れないからですわ」
私は静かに申しました。
「二百年、この機構でいちばん多くの議題を殺したのはあなたです。ならば、いちばん多く思い出せるのもあなた。……せいぜい丁寧に、書いてくださいまし」
彼は綴りを両手で受け取り、深く、深く頭を下げました。
それは謝罪ではなく、たぶん、辞令を受け取る事務官の礼でございました。
その夜。
イルゼ様が、私の部屋の扉を叩きました。手には一通の書状。
「鉱山、返ってきます」
「まあ。おめでとうございます」
「三つの村も。……セシリア様」
彼女は書状を胸に抱いたまま、うつむきました。
「わたし、三年、何もできなかったと思っていました」
「ええ」
「でも、四つの署名を集めたのは、わたしでした」
私は彼女の頭に、そっと手を置きました。
「イルゼ様。それは"でも"ではございませんわ。"だから"ですのよ」
ざまぁの回ですわ。最後までお付き合いくださりありがとうございました!
金庫を開けたら金貨の山……ではなく、年号の札が貼られた木箱が二百個、整然と並んでいた。ここがいちばん書きたかった場面ですわ。盗人ならこんな並べ方はしません。彼は使い込んでいなかった。ただ、返さなかったのです。
そしてざまぁ。この作品の罰はいつも「彼らが最も軽んじたものを、一生背負わせる」ですわね。レナルト侯には小国の帳簿を、一件ずつ、七か国ぶん。
書記長への処遇は、少し悩みました。解任は簡単ですが、それでは二百年ぶんの「載らなかった議題」が永遠に闇のままですもの。だから続投+目録作成。いちばん多く殺した人が、いちばん多く思い出せる。……これが彼にとって、いちばん重い罰だと思いますの。
底本がヴァルターの綴りだった、というのも今回の仕掛けですわ。四十二年、誰にも読まれないと思って書き続けた紙が、二百年ぶんの目録の一頁目になるのです。
そしてイルゼの「でも」に、セシリアが「だから」と返す場面。……ここを書きたくて第三部を始めたようなものですわ。
次回、第63話「冷酷皇帝の絶対拒絶・最終回答」。
大陸が、セシリアを欲しがりますの。……さて、陛下はどうなさるでしょうね?
もし「でも」が「だから」に変わる瞬間がお好きでしたら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、小国の帳簿を一枚ずつ厚くしますの!




