↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
56/65

第56話:分担金という名の、大陸の残業代

 三日後。

 私たちは、地下の一角に机を三つ並べておりました。


 左に私、中央にイルゼ様、右にクリス様。

 机の上には、ヴァルター様の地図に沿って引き出した帳簿が積み上がっております。


「イルゼ様、そちらの十年分は」

「終わりました。運営費、毎年ちょうど四万枚。一枚の狂いもありません」

「クリス様は」

「こちらも同じです。四十年分、すべて四万枚ぴったりです」


 私はペンを置きました。


(……ぴったり)


 これが、最初の違和感でした。

 人が働き、紙を買います。灯りを灯し、屋根も直します。それが四十年、一枚の狂いもなく同じ額で収まるなどということは、この世に一度も起きません。


「予算ではなく、決算がぴったりですのね」

「はい。決算です」

「では、これは決算ではございませんわ。予算の額を、決算の欄に書き写しただけですのよ」


 イルゼ様が顔を上げました。


「……調べようがない」

「いいえ。調べる場所を変えればよろしいのです」


 私は棚の別の列を指しました。


「この街は書類の街ですわ。書記局が何を買ったかは、書記局の帳簿より、売った側の記録に残っておりますもの」


 自由都市シュタインには、商人組合がございます。組合は取引を記録し、税のために市へ届け出ます。書記局が中立でも、彼らに紙を売る商人は中立ではございません。ただの、商売です。


 私たちは、市の記録所へ通いました。

 紙の納入、灯油や石炭、屋根の修繕。書記の給金は、市の名簿から。


 三日目の夜に、数字が揃いました。


「クリス様。読み上げてくださる?」

「はい。書記局の実支出、年間およそ金貨一万二千枚です」


 イルゼ様が、ペンを取り落としました。


「公表は四万枚」

「ええ。差額は、年間二万八千枚ですわ」


 私は白紙を一枚引き寄せ、真ん中に線を引きました。

 左に八十万枚、右に、行き先。


「まず十二か国が納めるのが八十万枚。うち帝国が三十二万枚。書記局が実際に使うのは一万二千枚」

「……残りは」

「そこですわ」


 私は帳簿の最後の頁を開きました。

 そこには、たった一行だけございました。


『翌年度繰越金』


 金額の欄は、空白。

 金額は、書かれていないのです。


「まあ」


 私は思わず声を漏らしました。


(残高を書かない帳簿。……これは、もう芸術ですわ)


 繰越金という言葉には、力がございます。使い残しであって、誰のものでもない。取ったのではない、まだ返していないだけ。だから咎める言葉が見つからない。


「二百年ですわね」


 私はペンを走らせました。


「年間二万八千枚。二百年で――金貨五百六十万枚」


 地下室が、しんと静まり返りました。


「五百六十万」


 イルゼ様が、掠れた声で繰り返しました。


「わたしの国の未払いは、六万枚です」

「ええ」

「六万枚で、鉱山と三つの村を」


 彼女の指が震えておりました。私はその手に、そっと自分の手を重ねました。


「イルゼ様。落ち着いて数えましょう。あなたの六万枚は、この繰越金の九十三分の一ですわ」


 ええ。

 彼らは五百六十万枚を金庫に積み上げたまま、六万枚を払えない国から、鉱山を取り上げたのです。


「クリス様。この繰越金は、規則上どう扱われますの」

「条約本体第四十一条。繰越金は書記局が管理し、必要に応じて機構の運営に充てる、とあります」

「使途の報告義務は」

「……ありません」


 私は椅子の背にもたれ、天井のない空を見上げました。星が出ております。


(誰も盗んでおりませんわ。横領ではないのですもの。ただ、返さなかっただけ)


 バルタザール猊下は、金を金庫に流し込みました。だから流れを示せば足りました。

 オズヴァルト書記長は、何も流しておりません。ただ、蛇口を閉めなかった。それだけで二百年、五百六十万枚。


「セシリア様。これ、告発できますか」


 イルゼ様の問いに、私は正直に答えました。


「いいえ。今のままでは、できませんわ」


 彼女の顔が曇ります。私は続けました。


「使い残しを溜めることは、規則で禁じられておりません。禁じられていないことは、罪になりません」


 私はペンの先で、白紙の左端――八十万枚と書いた場所を叩きました。


「ですから、叩くのはここですわ。溜めた出口ではなく、集めた入口。八十万枚の配分そのものが正しいのかを、問います」


「配分……」

「ええ。なぜ帝国が四割で、あなたの国が六万枚なのか。その根拠となる紙を、まだ誰も見ておりませんもの」


 私は立ち上がりました。


「ヴァルター様の地図に、もう一つだけ行き先が残っておりましたわ。条約本体の、附属書」

とうとう帳簿を開きましたわね。お読みくださりありがとうございます!


四十年間、決算がぴったり四万枚。ここが最初の綻びでした。予算がぴったりなのは普通ですが、決算がぴったりなのは異常ですわ。……こういう「妙に綺麗な数字」に反応してしまうのが、事務官の悲しい性ですわね(笑)。


そして今回のいちばんの狙いが「繰越金」という言葉の強さですの。使い残しであって、誰のものでもない。取ったのではなく、まだ返していないだけ。だから咎める言葉が見つからない――第二部の横領二百四十万枚より金額は大きいのに、こちらのほうが告発しにくいのです。


「誰も盗んでいない。ただ、蛇口を閉めなかっただけ」。これが第三部の悪の形ですわ。


そして六万枚と五百六十万枚。イルゼの手が震える場面を、どうしても書きたかったのです。


次回、第57話「附属書第七 ―― 誰も読まなかった一枚」。

出口ではなく入口へ。八十万枚の配分を決めている紙が、とうとう出てまいりますわ。


もし「繰越金」という言葉の怖さが伝わりましたら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、五百六十万枚の扉を叩く音になりますの!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。