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第54話:担保に取られた銀鉱山

 地下の記録室は、想像よりずっと広うございました。

 石の床に木の棚が果てしなく並び、そのすべてに紙が詰まっております。空気は乾いて冷たく、灯りは小さなランプだけ。


 その一角に、先客がおりました。


 若い娘です。私より頭ひとつ小さく、灰色の外套を着て、棚の前に踏み台を置いて立っておりました。指先は埃で黒く、目の下には濃い隈がございます。


 彼女は私を一瞥し、それだけで視線を棚へ戻しました。


「見物なら、上でどうぞ。ここは何もありません」

「ごきげんよう。アウグスト帝国のセシリアと申します」

「知っています」


 娘は棚から一冊引き抜き、埃を吹きながら答えました。


「新しく来た大国の代表。皇后で、噂の会計公開の人。……それで、何を探しにいらしたの」

「加盟国名簿の写しですわ。あなたは」

「わたしはリースフェルトのイルゼ。女公です」


 名乗りに、飾りは一つもございませんでした。


「リースフェルト公国。人口は八万ほど、銀鉱山をお持ちでしたわね」

「持っていました」


 彼女は本を閉じました。


「三年前まで。今は担保です。分担金の未払いが六万枚たまって、鉱山と国境の三村を差し出しました」


 私は言葉を選びました。


「差し出した先は、書記局?」

「書記局は担保を取りません。中立ですから」


 イルゼの口元が、皮肉な形に歪みました。


「取ったのはヴェルダン王国です。書記局が"未払国の議決権停止"を日程に載せると通知して、その翌日にヴェルダンの特使が来ました。立て替えましょう、と」


 ……なるほど。

 載せると言うだけでよいのですわ。載せる権限を持つ者が「載せる」と言えば、小国は震え上がる。そこへ別の誰かが助け船を出す。


(分けてあるのですわね。追い詰める者と、拾う者を)


「イルゼ様。あなたは今、何を探しておいでですの」

「議事録です。三年前に、わたしの国の議決権停止が本当に日程へ載ったのかどうか」

「……載っていなかった、と?」


 イルゼは、ようやく私をまっすぐ見ました。


「三年、探しています。この棚の、この段だけで七百冊。全部読みました。載った記録がないんです」


 空気が、しんと重くなりました。

 載せると通知して、実際には載せなかった。ならばあの立て替えは、何だったのでしょう。


「イルゼ様。それは、証明できますわ」

「できません」


 即答でした。


「載っていないことを証明しろと言われて、三年やりました。書記局の答えはいつも同じです。『抜けているのではなく、まだ整理されていないだけかもしれない』。……終わらないんです。永遠に」


 彼女は踏み台に腰を下ろし、両手で顔を覆いました。


「あなたも同じでしょう。大国が来て、正義の顔をして、半年で帰る。それから分担金だけが上がる。三年で四人見ました」


 私は、しばらく黙っておりました。

 この方に必要なのは同情ではございません。三年ぶん、期待して裏切られた人に、五つ目の期待を渡してはいけないのです。


 だから私は、棚のほうへ歩きました。


「イルゼ様。その七百冊、目録はお作りになりましたか」

「……目録?」

「読んだ冊数ではなく、"何が無かったか"の一覧ですわ。日付、簿冊番号、欠けている葉の位置。それを表にして、書記局の受付印をもらいながら積み上げていく」


 私は棚から一冊抜き、綴じ目を灯りにかざしました。


「無いことは、無いままでは証明できません。ですが――無いという事実を、相手の印を押させながら記録していけば、いつか"整理されていないだけ"と言えなくなる日が来ますわ」


 イルゼが、顔を上げました。


「三年、無駄だったと思っておいでね」

「……思っています」

「いいえ。あなたは七百冊読んだのですわ。それは大陸で一番、この棚を知っているということですのよ」


 私は彼女に手を差し出しました。


「読んだ人が、目録の作り方を知らなかっただけ。それは、今日から直せます」


 イルゼは、その手をすぐには取りませんでした。

 埃だらけの指を、外套の裾でしばらく拭いて、それから、ようやく。


「……信じたわけじゃありませんから」

「ええ。結構ですわ」


 私は微笑みました。


「信用は、成果で払うものですもの」

今回は、信じてもらえない回でしたわ。ありがとうございました!


女公イルゼの登場です。第二部の聖女エルフィリアは「囚われて何も知らない被害者」でしたが、イルゼは真逆にしました。三年間、一人で棚と戦って、七百冊読んで、それでも負け続けている人ですの。だからセシリアを信じませんし、信じないのが当然ですわ。


「載せると通知するだけでいい」――このやり口が、第三部の搾取の型です。追い詰める者と拾う者が分けてある。誰も脅していないのに、小国は鉱山を手放してしまうのですわね。


そして「無いことの証明」。三年間イルゼを縛ってきた壁を、セシリアは"読み方"ではなく"記録の取り方"で越えようとします。読んだ冊数ではなく、何が無かったかの目録を、相手の受付印をもらいながら積む。ここが彼女の真骨頂ですわ。


差し出された手をすぐに取らないイルゼも、書いていて好きな場面になりました。信用は成果で払うもの、ですものね。


次回、第55話「議事録の墓場」。

二百年分の棚を管理してきた、老いた記録官が出てまいりますわ。


もし「信用は、成果で払うもの」が刺さりましたら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、イルゼの三年目を動かしますの!

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