第52話:自由都市シュタイン、白亜の議場
自由都市シュタイン。
大陸のちょうど真ん中、どの国にも属さない盆地の街です。城壁は低く、兵の姿はほとんど見えません。その代わり、街のいたるところに石造りの倉庫が並んでおりました。
「クリス様。あの倉庫は何を納めておりますの」
「書類だそうです」
「……全部?」
「全部です」
まあ。
街ひとつが書庫。事務官としては、いっそ聖地ですわね。
議場は、街の中心にございました。
白い石を積み上げた円形の建物で、屋根がなく、天井は空。中央に円卓、そのまわりに十二の椅子。椅子はどれも同じ高さ、同じ形。二百年前の設計者は、よほど平等という言葉が好きだったのでしょう。
ただ、東側の二脚だけは、座面にうっすらと埃が積もっておりました。
(けれど。椅子の形が同じでも、座る前に通る扉が同じとは限りませんわ)
私はまず、受付へ向かいました。
受付にいたのは、灰色の制服を着た書記が一人。私が名乗ると、彼は台帳をめくって静かに告げました。
「アウグスト帝国代表、セシリア・フォン・クロイツ様。恐れ入りますが、代表資格の審査が必要でございます」
「あら。招集通知はこちらに」
「通知は出席の案内でございます。資格とは別でして」
彼は淡々と、一枚の紙を差し出しました。
様式第十四号、代表資格審査申請書。
「こちらに、加盟資格の承継を証する書類を添えてご提出ください」
「承継の受理証書、ということかしら」
「さようでございます」
私は、にっこりと微笑みました。
「その受理証書、こちらの書記局から交付されていないようですの。控えを出していただけます?」
「交付記録の照会には、様式第二十二号が必要でございます」
「では、それを」
「様式第二十二号の提出には、代表資格が必要でございます」
……まあ。
私はその場で立ち止まり、心の底からうなりました。
(見事。実に見事な閉路ですわ)
資格を証明するには記録が要る。記録を照会するには、資格が要る。
どちらの窓口も、嘘はついておりません。誰も悪意を口にしておりません。ただ、扉が二枚とも内側から掛かっているだけ。
「クリス様。感動しておりますの、私」
「顔は笑っておいでですが、目が笑っておりません」
「ええ。これを作った方は、相当に腕が立ちますわ」
背後で、低い声がしました。
「斬るか」
「陛下、なりません」
振り向けば、レオンハルト様が受付の書記を見下ろしておりました。書記の顔から、血の気が引いていきます。
「陛下。ここで力を使えば、"帝国は手続きを暴力で踏み越えた"という一行が二百年残ります。その一行があれば、彼らは私の数字を一枚も開かずに済みますのよ」
「……面倒な戦場だな」
「ええ。ですが、私の得意な戦場ですわ」
私は受付へ向き直り、様式第十四号を受け取りました。
「添付書類の欄をうかがっても?」
「加盟資格の承継を証する書類、または――」
書記が、そこで一度だけ言葉を止めました。
「または、条約本体第三条に定める加盟国名簿の写し、でございます」
私は、その一文を二度読みました。
(……名簿)
承継を証する紙は、こちらにございません。書記局が二百年前に返さなかったからです。
けれど名簿は違います。名簿は、書記局が自分で持ち、自分で毎年更新しているもの。
そこに帝国の名が載っているなら、それ自体が資格の証明になる。
「その名簿は、どちらに?」
「地下の記録室でございます。閲覧には」
「様式が要るのですわね。ええ、承知しております」
私はペンを取り、様式第十四号の余白に受付番号と受理時刻を書き込みました。日付、午後二時十七分。
「何をしておいでですか」
「記録ですわ」
私は書記に微笑みかけました。
「あなたは今、私に"名簿の写しでもよい"と教えてくださいました。これは、あなたの職務上の教示です。誰が、いつ、何を教えたか。控えておかないと、後で"そんなことは言っていない"と言われてしまいますもの」
書記の指が、わずかに震えました。
私は書き終えた紙を折り、懐にしまいました。
(――さて。これで一枚目)
議場の白い石壁を見上げます。天井のない空は、憎らしいほどよく晴れておりました。
「クリス様。今夜は徹夜になりますわ」
「あなたが徹夜と言うときは、たいてい相手が徹夜になるのですが」
「あら。今回は両方ですわ。地下に、二百年ぶんの棚があるそうですもの」
受付で足止めされる回、いかがでしたでしょうか。ありがとうございました!
今回の敵は、剣でも毒でもなく「受付」でした。資格を証明するには記録が要る、記録を照会するには資格が要る。誰も嘘をついていないのに、扉が二枚とも内側から掛かっている――お役所の閉路ですわね。
そして今回いちばん書きたかったのが、セシリアが受付の書記に微笑みながら「あなたは今、私に教えてくださいました」と記録を取る場面ですの。彼女の武器は権力でも武力でもなく、"誰が、いつ、何を言ったか"を残すことなのですわ。
陛下の「斬るか」に対する「なりません」も、第三部では何度か出てまいります(笑)。
次回、第53話「常任書記長オズヴァルト」。
この閉路を設計した男が、とうとう姿を見せますわ。声を荒らげず、条番号だけで人を黙らせる相手です。
もし「書類で足止めされる皇后」が可笑しかったら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、地下へ降りる階段を照らしますの!




