第51話:一議席という名の、二百年の残業
その日の午後、私は三枚の紙を並べておりました。
一枚目、公会議の年間分担金の総額。金貨八十万枚。
二枚目、そのうち帝国の負担。金貨三十二万枚。
三枚目は、議決の方法です。総議席は十二。可決には三分の二、つまり八議席が必要とございました。
「クリス様。帝国は総額の四割を出しております。では、議席は」
クリス様が資料を確かめ、そして黙りました。
私はもう一度うかがいました。
「議席は」
「……一つです」
十二議席のうちの、一つ。
私は少しのあいだ、その数字を眺めておりました。
(四割払って、十二分の一。……つまり、私たちは大陸で一番働いて、一番決められない側にいたのですわね)
胸に浮かんだのは怒りではなく、もっと身近な感覚でした。
残業代の出ない残業。責任だけ増えて権限は据え置かれる辞令。あの、なんとも言えない乾いた感じ。
「なぜこんな配分に?」
「分担金は十年ごとに国力比例で改定されます。ですが議席は――設立時のまま、一度も改定されておりません」
まあ。
仕組みとしては、いっそ見事ですこと。
「二百年前のアウグスト王国は、大陸の東の端の小国でしたわね」
「はい。もっとも当時は、どの国も一議席でした。国力に差がなかったのです」
「そして分担金だけが、こちらの成長に合わせて毎年きちんと上がってきた」
支払能力は毎年見直す。発言権は二百年見直さない。
これを人事制度でやったら、その職場は三か月で崩壊いたしますわ。
「クリス様。歴代の宰相は、この不均衡に気づかなかったのかしら」
「気づいた者はいたはずです。ただ、議席の改定を求めるには」
クリス様が、言いにくそうに続けました。
「――公会議に、議題として出す必要があります」
私は思わず笑ってしまいました。
ええ、そうですわね。議題を日程に載せる権限は、書記局にある。
(改定を求める議題は、二百年間ずっと"載らなかった"のですわ。だから記録にも残っていない。歴代の誰かが出そうとした形跡すら、私たちには見えない)
完璧な閉じ方でした。文句を言う手続きが、文句を言われる側の管理下にあるのです。
「セシリア」
扉が開き、レオンハルト様が入ってこられました。
私が広げた三枚の紙をひと目見て、陛下は表情を変えずに一つだけおっしゃいました。
「脱ける」
「……あら」
「二百年で四千万枚を超える額を払ったな。それで一議席。脱ければ来年から三十八万枚が浮く」
相変わらず、判断が速くて、まっすぐで、そして正しいのです。
私は首を横に振りました。
「脱けたら、査問はどうなります?」
「欠席のまま裁かれる」
「ええ。そして"帝国は逃げた"という議事録だけが二百年残ります。うちの民ではなく、大陸の民に」
私は三枚目の紙を、そっと陛下の前に置きました。
「それに陛下。ここで脱けると、リースフェルトのような小国は、二度と分担金の話を持ち出せなくなりますわ」
最大の拠出国が黙って出ていった機構で、小国が制度改定を叫べるはずがございません。
帝国が脱ければ、帝国だけが自由になります。
私が欲しいのはそれではないのです。
「……ならば、どうする」
私は立ち上がり、灰色の封蝋の欠片を指先で転がしました。
「行きますわ。議場へ。そして査問される側の椅子から、二百年ぶんの帳簿を開けさせます」
「一議席でか」
「ええ。ですが陛下。議決は数の勝負でも、監査は数の勝負ではございませんもの」
陛下がしばらく私を見つめ、それから低く笑いました。
「同行する」
「陛下がお出ましになると、話がすぐ武力の気配を帯びますわ」
「帯びさせる。貴様が数字を出すあいだ、誰も貴様に触れられんようにな」
まあ。
私は、頬が熱くなるのを感じながら書類を揃えました。
「では、出張申請を出しましょう。行き先、自由都市シュタイン。目的――」
ペンを走らせながら、私は微笑みました。
「大陸最大の未処理案件の、棚卸しですわ」
とうとう数えてしまった回ですわ。お付き合いくださりありがとうございます!
四割払って十二分の一。支払能力は十年ごとに見直され、発言権は二百年据え置き。……これ、制度の話にすると遠く感じますが、辞令の話にすると急に身近になりますわね(笑)。
そして「文句を言うための手続きが、文句を言われる側の管理下にある」というのが、この機構のいちばん厄介なところですわ。だから歴代の誰かが声を上げたとしても、記録にすら残っていないのです。
陛下の「脱ける」は、いつもどおり最短距離で正解でした。それを止めたセシリアの理由が「帝国だけが自由になっても意味がない」だったのが、彼女らしいところですわね。
次回、第52話「自由都市シュタイン、白亜の議場」。
いよいよ現地入りですわ。十二の椅子が並ぶ議場で、セシリアを待っていたのは剣ではなく――受付でした。
もし「四割払って一票」にひやりとしたら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、セシリアの出張申請を後押ししますの!




