第46話:冷酷皇帝の絶対拒絶・再び
バルタザール失脚後の教国は、まだ完全に浄化されたわけではありませんでした。
枢機卿団の末席にいた、保身に長けた古参の聖職者たちが、混乱に乗じて、なおも権益にしがみつこうとしていたのです。
その一人、老獪な司教が、和平の会談の席で、恭しく切り出しました。
「レオンハルト陛下。……このたびの一件、教国は帝国に大きな借りを作りました。つきましては、両国の永遠の結束の証として、一つ、ご提案がございます」
「……申してみよ」
「はい。……聖女エルフィリア様を、陛下の第二妃として、帝国へお迎えいただきたく。……聖女と皇帝の結びつきは、大陸に神聖なる安寧をもたらしましょう。無論、皇后セシリア様のお立場は、そのままに……」
――ぴしり、と。
空気が、凍りつきました。
私が何かを言うより先に。
レオンハルト様が、ゆっくりと、グラスを置きました。……そのグラスに、ぴき、と、ひびが入る音がしました。彼が、無意識に握り潰しかけたのです。
「……もう一度、言ってみろ」
地の底から響くような、絶対零度の声。
司教の顔が、みるみる青ざめていきます。
「い、いえ、その、これは、両国のためを思い……」
「セシリア以外の女を、私の妃に、だと?」
陛下が、立ち上がりました。その身から放たれる覇気に、会談の間にいた全員が、息を呑みます。……かつて、泥の中でマリアベルを「汚らわしい」と一蹴した、あの時と同じ。いいえ、あの時よりも、ずっと深い怒りでした。
「よく聞け、司教。……私は、この世で、たった一人の女しか、必要としていない。国のためだろうが、神のためだろうが、大陸の安寧のためだろうが、関係ない。……セシリアの隣に、他の誰かを並べるなど、天地がひっくり返っても、あり得ん」
「で、ですが、皇帝ともあろうお方が、皇后お一人では、後継や、外聞の問題も……」
「外聞?」
陛下が、鼻で笑いました。
「私が『血塗られた皇帝』と呼ばれ、恐れられていた頃、誰も私の"外聞"など気にしなかった。……その私を、"正しく働く国の皇帝"に変えたのは、セシリア、ただ一人だ。……私にとっての外聞とは、セシリアの隣に立つに相応しい男であること、ただそれだけだ。他は、すべて些事よ」
私は、思わず、扇子で口元を隠しました。……頬が、熱い。皇后という身になっても、この方は、いつも私の予想を超えて、まっすぐに愛を叩きつけてくるのです。
そして、エルフィリアが、静かに口を開きました。
「……司教様。私を、政略の道具に使うのは、おやめください」
彼女の声には、もう、かつての頼りなさはありませんでした。
「私は、聖女です。……ですが、それ以前に、一人の人間です。……誰かの妃になるために、生まれてきたのではありません。……私は、これから、この国の民のために、生きていくと決めました。……セシリア様が、教えてくださったように。自分の足で、立って」
司教は、ぐうの音も出ず、俯きました。……もう、彼の言葉に、耳を貸す者は、誰もいませんでした。
会談の後。
私は、陛下と二人、聖都のバルコニーに立ちました。
「……陛下。先ほどは、少し、格好つけすぎではございませんこと?」
「事実を述べたまでだ。……不服か」
「いいえ。……嬉しくて、困っておりますの」
私が正直に言うと、陛下は、少しだけ、決まり悪そうに視線を逸らしました。……この、冷酷無比と恐れられた皇帝の、こういう不器用なところを、私は、世界で一番、愛おしく思うのです。
「セシリア。……早く、帝国へ帰ろう。……お前の執務室が、お前の帰りを待っている」
「……ええ。……帰りましょう、陛下。私たちの、ホワイトな国へ」
第46話、お読みいただきありがとうございました!
"聖女を第二妃に"という政略に対する、陛下の絶対零度の拒絶。第一部のマリアベル撃退を彷彿とさせる、けれどより深い愛情の吐露でした。「私にとっての外聞とは、セシリアの隣に立つに相応しい男であること、ただそれだけだ」――書いていて、こちらが照れてしまいましたわ(笑)。
そして、政略の道具にされかけたエルフィリアが、自らの意志でそれを拒む。彼女の成長が、ここでも光りますわ。
次回、第47話「光を取り戻した聖都」。
教国の再建と、エルフィリアの新しい歩みを描きますわ。セシリアが残した"改革の置き土産"とは……?
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