第44話:聖女の目が覚める時
追い詰められたバルタザールが最後に縋ったのは、やはり"聖女の権威"でした。
「せ、聖女様! エルフィリア様! どうか、御言葉を! この異端者セシリアは神を冒涜し、聖なる秩序を乱す大罪人! 聖女様の御名において、断罪をお命じください! あなたのお言葉一つで、この者は火刑に処されるのです!」
彼の狙いは、最後の賭けでした。たとえ帳簿を暴かれても、"聖女が異端と認定した"という一言さえあれば、群衆は再び信仰に立ち返り、私を敵とみなす。"神の代弁者"という彼らが二十年かけて作り上げた最強の権威。それにすべてを託したのです。
処刑台を見下ろす壇上。
純白の法衣をまとった聖女エルフィリアが、ゆっくりと立ち上がりました。
数万の群衆が、息を呑んで彼女を見上げます。その一言を待っています。
エルフィリアはまず、私を見ました。
次に、群衆を見ました。贖罪券を握りしめ、涙を流す無数の民を。
そして最後に、傍らのバルタザールを――冷たく見据えました。
「……大枢機卿バルタザール」
鈴を転がすような、けれどこれまでにない芯の通った声が広場に響きました。
「私は生まれた時から、この聖女の間で祈ってまいりました。民の幸福のために。あなたがそう教えてくださったから。私の祈りがすべての民を平等に救っているのだと信じて」
彼女の澄んだ瞳に、涙が盛り上がりました。
「ですが、違ったのですね。私の祈りは"商品"にされていた。私の名は民から金貨を搾り取る"看板"にされていた。門の外で、金貨が払えずに死んでいく民のことを、私は何も知らされていなかった」
「せ、聖女様……! それは、異端者に吹き込まれた嘘で……!」
「――黙りなさい」
エルフィリアの静かな、けれど決然とした一喝。バルタザールが、びくりと固まりました。
「セシリア様が示した帳簿を、私もこの目で見ました。羊皮紙の質も、書体も、綴じ糸も。あの"贖罪の章"は、私が幼い頃に暗記させられた古い聖典にはなかった章です。あなたが書き足したのですね」
エルフィリアは壇上からゆっくりと歩み出ました。そして――数万の民衆が見守るなか、その純白の法衣の裾を持ち上げ、処刑台へと続く階段を、一段、また一段と、降り始めたのです。
「せ、聖女様! どこへ! 聖女が壇を降りるなど……!」
「聖女は、祈る者。ならば私は、"本当に救われるべき人々"のところへ自ら降りていきます。高い壇の上から、金で選別された者だけを見下ろすのではなく」
彼女は、処刑台の下に立つと、私を見上げ、深く頭を下げました。聖女が、一人の"異端者"とされた女に頭を下げたのです。
「セシリア様。私に真実を見せてくださって、ありがとうございました。私は、ずっと籠の中で祈っているだけでした。あなたのように、民のために、自分の足で立って戦うことを知りませんでした」
私は、彼女の手を取り、そっと握りました。
「いいえ、エルフィリア様。あなたは今ご自分の意志で壇を降りられた。それは、どんな祈りよりも尊い"最初の一歩"ですわ。ここからは、一緒に参りましょう。あなたの国を本当に民を救う国に作り変えるために」
エルフィリアは、涙を流しながら、力強く頷きました。
そして、群衆に向き直り、澄んだ声で高らかに宣言したのです。
「聖都の、大陸の、すべての民に告げます。唯一神ソールは決して、救いを金で売れとは仰っていません。偽りの教えは、今日、終わります。私は、聖女エルフィリアの名において、大枢機卿バルタザールとその一党の背信を、ここに断罪いたします」
わあっ、と。
数万の民衆から、地を揺るがすような歓声が上がりました。
神輿は、自らの意志で壇を降り、初めて、本物の"聖女"になったのでした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました! 大きな山をひとつ越えましたわ。
バルタザール最後の切り札"聖女の権威"は、その聖女自身の覚醒によって、完全に裏返りました。純白の法衣で処刑台の階段を降り、"異端者"に頭を下げ、そして自らの名で枢機卿を断罪する――籠の中の神輿が、自分の足で立つ「本物の聖女」になる瞬間を、力を込めて描きましたわ。
マリアベル(自称ヒロイン)とは真逆の、"本物だが囚われていた"聖女の解放。第二部のもう一人の主役、エルフィリアの物語の、これが頂点ですの。
次回からは結の幕。第45話「白い聖都の『ざまぁ』」。
断罪されたバルタザール一党に、セシリア流の"実務的な報い"が下されますわ!
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