第41話:皇后、聖典の贋作を破り捨てる
帳簿閲覧の日。
場所は、大聖堂の「聖務評議の間」。ずらりと並んだ枢機卿たち、審問官グレゴール、そして壇上には聖女エルフィリア。多くの聖職者たちが見守るなか、大枢機卿バルタザールは、勝ち誇った笑みを浮かべていました。
「さあ、異端者よ。これが、我が教国の"聖なる会計"だ。……存分に見るがいい。一点の曇りもない、神への奉仕の記録をな」
うやうやしく差し出されたのは、金の縁取りも美しい、真新しい帳簿でした。……三日かけて、丹念に"整えた"のでしょう。
私は、その帳簿を受け取り、静かにページをめくり始めました。
一枚。二枚。三枚。……ぱらぱらと、まるで流し読みのように。
「……ふむ」
そして、わずか数分後。私は、顔を上げました。
「大枢機卿猊下。……よく、三日間で、ここまで綺麗に作られましたわね。……ええ、見事な"作文"ですわ」
「な……作文、だと!?」
「ええ。この帳簿、致命的な矛盾が、三つございます」
私は、扇子ではなく、一本のペンを掲げました。
「第一。この帳簿の巡礼税収入は、年間九十六万枚と記されています。ですが――」
私は、懐から、トビアスが守り抜いた"正直な帳簿"の写しを取り出しました。
「下級修道士が日々記録している、現場の収入は、年間百二十万枚。……その差、二十四万枚。この帳簿は、収入を"少なく"書き換えていますわ。少なく見せれば、"消えた金"の存在を隠せますものね」
「そ、そんな写しは、偽造だ!」
「第二」
私は、彼の反論を、静かに遮りました。
「この帳簿の"救貧支出"の項。……日付をご覧なさい。三日間で、百件以上の支出が記帳されている。ですが、その筆跡は、すべて同じ。同じインク、同じペン、同じ日に、一気に書かれたものですわ。……過去十年の支出が、三日前に"まとめて発生"するなど、あり得ますこと? これは、実在しない支出を、慌てて捏造した証拠ですわ」
枢機卿たちの間に、動揺が走りました。
「そして、第三」
私は、一歩前へ出ました。そして――バルタザールの背後、壇上に恭しく置かれた、一冊の分厚い聖典を指し示しました。
「この搾取の"根拠"とされる、聖典の『贖罪の章』。……あれ自体が、偽物ですわ」
「な……っ! 聖典を、偽物、だと……!? 貴様、神を冒涜するか!」
バルタザールの顔が、初めて、恐怖に歪みました。
「冒涜しているのは、私ではございませんわ、猊下。……あなたです」
私は、静かに、壇上の聖典に歩み寄りました。誰も、止められませんでした。陛下の覇気が、この場を完全に支配していたからです。
「この贖罪の章だけ、羊皮紙が新しく、書体が最近のもの。綴じ糸も違う。……二十年前、あなたが実権を握った頃に、書き足されたものですわ。神の言葉ではない。……民を"永久債務"に縛るために、あなたが捏造した、偽の教えです」
私は、聖典から、その「贖罪の章」のページを、静かに、しかし確かに、掴みました。
「せ、聖女様! この異端者が、聖典を汚そうとしております! お止めください!」
バルタザールが、壇上のエルフィリアに、悲鳴のように叫びました。
……ですが。
エルフィリアは、動きませんでした。ただ、澄んだ瞳で、じっと、私の手元を見つめていました。
私は、エルフィリアを見上げ、静かに告げました。
「エルフィリア様。……これから私が破るのは、神の言葉ではありません。……神の名を騙り、あなたの祈りを商品に変え、民を借金漬けにしてきた、一人の男の"偽の契約書"です。……よろしいですか?」
エルフィリアは、しばしの沈黙の後――こくり、と、静かに頷きました。
「……はい。……セシリア様。……どうか、真実を」
――ビリッ。
乾いた音が、聖務評議の間に響き渡りました。
私は、聖典から引き剥がした「偽の贖罪の章」を、両手で、真っ二つに引き裂いたのです。
「な……なにを……っ!」
ビリッ。ビリビリッ。
私は、それを、さらに細かく破り捨てました。かつて、祖国の書類を衛兵に押し付け、王宮を去ったあの日と、同じように。いえ、あの日よりも、ずっと強い意志を込めて。
「これが、金貨三割の金利で民を縛った、"救済"の正体ですわ。……紙切れ一枚。破れば、それまで。……神の名に値しない、ただの、詐欺の証文でございます」
白い紙片が、光の中を、雪のように舞い落ちていきます。
その光景を、居並ぶ聖職者たちが、そして壇上のエルフィリアが、息を呑んで見つめていました。
「有能すぎる悪役令嬢は」
私は、舞い落ちる紙片の中で、静かに微笑みました。
「――今日も元気に、書類を破り捨てますの。……たとえ、それが大陸最大の神権国家の、偽の聖典であろうともね」
第41話、お読みいただきありがとうございました!
三日かけて整えられた偽帳簿を「三つの矛盾」で解体し、ついに搾取の根拠だった偽の聖典を――両手で、破り捨てる。第一部第1話の"書類を衛兵に押し付けて去る"あの原点が、第二部では「大陸最大の神権国家の偽聖典を破り捨てる」というスケールで帰ってまいりましたわ。
そして、その破棄を許したのは、ほかならぬ聖女エルフィリア自身。彼女の「どうか、真実を」の一言に、この第二部のすべてが詰まっておりますの。
次回、第42話「異端裁判、開廷」。
面目を潰されたバルタザールが、最後の手段――"公開異端裁判"でセシリアを葬ろうとしますわ!
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