第37話:大枢機卿バルタザールの「聖なる帳簿」
「帳簿だと……?」
大枢機卿バルタザールは、白い眉を吊り上げ、さも心外だという顔をしました。
「異端者よ。教国の会計は、唯一神ソールに捧げられた聖なる記録。俗世の貴族が、金勘定の眼で覗いてよいものではない。……そもそも貴様は、聖女を騙った罪を審問される立場。帳簿を見る権利など、あろうはずもない」
「あら。おかしいですわね、猊下」
私は、まったく動じずに、微笑みました。
「私が"聖女を騙った"かどうかを審問なさるのでしょう? でしたら、まず"本物の聖女による救済"が、どれほど尊く、どれほど正しく民に行き渡っているかを、私にお示しくださらなくては。……そうでなければ、私が"偽物"だという比較対象がございませんもの。……その証明は、帳簿にしかできませんわ。何せ、救済とは、数字ですから」
「救済が、数字だと……!?」
「ええ。何人の民が、いくらの負担で、どれだけ救われたか。それを記録したものが帳簿です。……もし貴国の救済が本物なら、帳簿は美しいはずですわ。堂々とお見せになればよろしい。……お見せに"なれない"のだとしたら、それは、見せられない何かがある、ということですけれど?」
バルタザールの頬が、ぴくり、と痙攣しました。
(……ふふ。動揺なさっていますわね。……この方、"聖なる会計は開示できぬ"という壁を作った。でも、その壁こそが、"中に隠したいものがある"という何よりの証拠ですわ。潔白な帳簿は、隠す必要がありませんもの)
その時でした。
壇上のエルフィリアが、そっと口を開きました。
「……大枢機卿様。……見せて、差し上げては、いかがですか」
「せ、聖女様!?」
「私、……知りたいのです。私の祈りが、本当に、すべての民を救っているのか。……セシリア様の仰る、金貨十枚が払えずに死んでいく民のことが、本当に、いないのか」
エルフィリアの、澄んだ、けれど今は決意を宿した瞳。
バルタザールの顔が、みるみる赤黒く染まっていきます。彼にとって、"神輿"であるはずの聖女が、自らの意志を持つことほど、都合の悪いことはないのでしょう。
「……聖女様は、お疲れなのです。異端者の毒された言葉に、お心を乱されておられる。……グレゴール、聖女様を寝所へお連れしろ」
「はっ」
審問官グレゴールが、エルフィリアの腕を掴もうとしました。……そう、「掴もう」としたのです。まるで、罪人を連行するかのように。
「――お待ちなさい」
私が声を上げるより早く。
レオンハルト様が、一歩、前に出ていました。
その身から放たれた、氷点下の覇気。グレゴールの動きが、物理的に凍りついたように止まります。
「……その手を、聖女から離せ」
陛下の、地を這うような低い声。それは、命令ではなく、「次に動けば、その腕はない」という、絶対の宣告でした。
「私は、女性が意に反して腕を掴まれるのを見るのが、この世で最も嫌いでな。……とりわけ、"信仰"を盾に、弱き者を無理やり従わせる光景は、反吐が出る」
グレゴールが、脂汗を流しながら、そろそろと手を引きました。
……大陸最大の武力を誇るという教国の審問官が、たった一人の皇帝の一睨みで。
「大枢機卿バルタザール猊下」
私は、この機を逃しませんでした。
「聖女様ご自身が、帳簿の開示をお望みです。……聖女の意志は、神の意志。違いますか? それとも、猊下にとっては、聖女の言葉よりも、ご自分のご都合の方が、上位にございますの?」
……論理の、詰み。
"聖女=神の代弁者"という、彼ら自身が作り上げた権威の構造を、そっくりそのまま、私は彼に突きつけたのです。聖女が「見せろ」と言った以上、それを拒めば、彼は「神の意志に逆らう者」になる。
「……ぐ、……」
バルタザールは、しばしの沈黙の後、絞り出すように言いました。
「……よかろう。三日後。……聖なる会計を、閲覧する場を設けてやる。……ただし、貴様が"偽の聖女"であることが、かえって明白になるだけだと知るがいい」
「まあ、ありがとうございます。……三日後、楽しみにしておりますわ」
私は、深々と礼をしました。
その内心では、静かな、しかし燃え上がるような闘志が、渦を巻いていました。
(三日……。相手に帳簿を"整える"時間を与えてしまいましたわね。……でも、構いません。急いで作った偽帳簿ほど、綻びだらけのものはございませんもの。……さあ、消えた金貨百十六万枚。あなたが、どこに隠されているのか。……この眼で、暴かせていただきますわ)
第37話、お読みいただきありがとうございました!
「聖なる会計は俗人に見せられぬ」と壁を作るバルタザール。ですがセシリアは「救済とは数字」というロジックと、"聖女の意志=神の意志"という彼ら自身の権威構造で、開示を勝ち取りますわ。そして聖女に手を伸ばす審問官を、陛下が一睨みで凍らせる――溺愛と正義が交差する回でした。
三日後の帳簿閲覧。相手に"整える"時間を与えたのは、はたして失策か、それとも……?
次回、第38話「過労で潰される会計修道士」。
帳簿の"内側"を知る協力者が現れますわ。どこかで見たような、胃を抑える誰かに似た青年が……!
もし「陛下の一睨みにスカッとした」と思ったら、ブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。皆様の応援が、三日後の査察を後押ししますの!




