第34話:冷酷皇帝、宣戦布告の代わりに「査察」を選ぶ
その夜。
皇后の私室で、私は聖都ルミナへ持参する資料の目録を作成していました。旅の荷造りよりも、まず「持っていく情報」の整理。これが私の流儀です。
「……セシリア。まだ働いているのか」
扉を開けて入ってきたのは、公務用の上着を脱いだレオンハルト様でした。彼は私の背後に立つと、そのまま覆いかぶさるように、私の肩に顎を乗せました。
「これは仕事ではありませんわ、陛下。……戦支度ですのよ」
「戦支度、か。……ペンと帳簿で戦に赴く后など、大陸広しといえど、お前くらいのものだ」
陛下は、私が書いていた目録を横から覗き込みました。そこには、教国に関するありとあらゆる数字が並んでいます。過去十年の巡礼者数の推移。什一税の推定総額。聖都の建築物の維持費。……そして、どうしても「合わない」金の流れ。
「……教国の年間献金総額は、控えめに見積もっても金貨百二十万枚。ですが、彼らが公表している救貧院・孤児院・巡礼路整備への支出は、合計しても、そのわずか三パーセント。……残りの金貨百十六万枚は、どこへ消えたのでしょうね?」
「……お前は、まだ聖都の門もくぐっていないのに、もう敵の腹の中を覗いているのか」
陛下が、呆れたように、けれど確かな畏敬を込めて呟きました。
「数字は嘘をつきませんわ、陛下。嘘をつくのは、数字を隠す人間だけ。……この百十六万枚の行方さえ突き止めれば、教国の"聖なる仮面"は、内側から剥がれ落ちますわ」
私は振り返り、陛下を見上げました。
「ですから、陛下。お願いですわ。……武力で焼き払うのは、なしにしてくださいまし。焼いてしまえば、証拠も帳簿も灰になります。それでは、"ざまぁ"が足りませんもの」
「……足りない、だと」
陛下の口角が、ゆっくりと吊り上がりました。それは、私の「悪い顔」を心底気に入っている時の表情です。
「あの老人どもを、ただ殺すのでは足りない、と。お前はそう言うのか」
「ええ。……民から搾り取った金貨百十六万枚を、一枚残らず数え上げ、白日の下に晒し、民の前で"どこへ消えたか"を暴く。彼らが最も恐れているのは、剣ではなく、"帳簿の開示"ですわ。……それこそが、彼らにとって最大の地獄です」
陛下は、しばし私を見つめた後、深く、満足げに息をつきました。
「……いいだろう。ならば、私は"盾"に徹しよう。お前が思う存分、あの神殿の帳簿を暴けるように。……教国が万一お前に手を出せば、その瞬間に、聖都は帝国の砲火で更地になる。それだけは、譲らんぞ」
「まあ。物騒な福利厚生ですこと」
「当然だ。私の后を、神を騙る老人どもの見世物にはさせん。……セシリア」
陛下は私の手を取り、その甲に、そっと唇を落としました。
「約束しろ。……無茶はするな。危険を感じたら、意地を張らず、真っ先に私の背に隠れろ。……お前の身柄は、死ぬまで私の"専属管理"だと、誓約したはずだ」
冷酷皇帝の、あまりに独占欲の強い、けれど何より温かな言葉。
私は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、微笑みました。
「拝承いたしましたわ、レオンハルト様。……ですが、一つだけ訂正を。私は、意地を張っているのではありませんの。……これは、"仕事"ですわ。世界で一番、私に向いている仕事」
こうして。
皇帝は剣を鞘に納め、皇后はペンを研ぎ澄まし。
アウグスト帝国の"最強夫婦"は、大陸の神権国家への――血を流さぬ「査察」という名の討ち入りへ、その第一歩を踏み出したのでした。
第34話、お読みいただきありがとうございました!
「焼き払う」陛下と「帳簿で暴く」セシリア。武力と実務、やり方は真逆でも、二人の目的は完全に一致していますわ。そして、消えた金貨百十六万枚――第二部の"謎"が、静かに提示されました。
「危険を感じたら真っ先に私の背に隠れろ」という陛下の溺愛、そして「これは仕事ですわ」と返すセシリア。この対等な信頼が、二人の関係の到達点ですわね。
次回、第35話「白の聖都ルミナ、まばゆい搾取の街」。
いよいよ舞台は聖都へ。まばゆい信仰の光の裏に、セシリアは何を見るのか……!
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