第19話:国境の「対面」
国境線の風は、刺すように鋭く、そしてどこまでも清浄でした。
帝国の検問所の背後には、等間隔に整列した漆黒の重装歩兵。彼らが掲げる『双頭の鷲』の旗が、空を征服するかのように力強くはためいています。
その中央、特設された天幕のバルコニーに、私はレオンハルト陛下と共に立っていました。
(……あら。陛下、私の肩を抱く力が、いつもより三割増しで強いですわ)
陛下の不機嫌は、今まさに最高潮に達していました。
というのも、前方から近づいてくる一台の、――かつては豪華だったはずの、今は泥と埃にまみれた馬車――が、あまりにも不快な記憶を彼に想起させていたからです。
馬車が止まり、中からよろよろと二人の男女が降りてきました。
一人は、王太子ルイス。……その金髪は艶を失い、着慣れたはずの正装はあちこちが綻び、何よりその瞳には「自分が世界の中心である」という確信が、惨めなほどに揺らいでいました。
もう一人は、マリアベル。……彼女は、帝国の圧倒的な軍勢を前にして、必死に「守りたくなるような健気な令嬢」を演じようと、ウルウルした瞳を左右に彷徨わせていますが、……その足元は泥に浸かり、ドレスの裾が情けなく汚れていることにも気づいていないようでした。
「せ、セシリア! やっといたか! 君を探し回ったんだぞ!」
ルイス王子が、帝国の兵士たちが突きつける槍の穂先を怯えながらも、私に向かって叫びました。
(探し回る? ……いいえ、殿下。あなたはただ、自分の執務室の『書類の山』から逃げ出したくて、私という名の『便利な処理機』を追い求めてきただけでしょう?)
私は、陛下から贈られた白銀の扇子を広げ、口元を隠して静かに見下ろしました。
「お久しぶりですわね、ルイス殿下。……それに、マリアベル様も。……ずいぶん、野性味溢れるお姿になられましたこと」
「うるさい、この裏切り者め! 君がわざと嫌がらせで残していった書類のせいで、僕の……僕の大切なパーティーが台無しになったんだ! 今すぐに戻って、すべて元通りにしろ! これは王太子の命令だ!」
……唖然。
この状況。自分の国が崩壊し、帝国の皇帝の目前に立たされているという現実。
それらをすべて無視して、まだ「命令」という名の寝言を口にできる。
私は、ある種の感動すら覚えました。この男の無能さは、もはや芸術の域に達しているのではないか、と。
「……セシリア。貴様は、これほどまでの『無知の極致』と、二十年も婚約していたのか」
レオンハルト陛下の声が、地を這うような低さで響きました。
その声に含まれる純粋な「嫌悪」が、空気の密度を一気に変えました。
「ええ、陛下。……若さゆえの過ち、とでも呼んでいただければ幸いですわ」
「過ちで済むレベルではないな。……おい、ドブネズミ(王子)。……貴様は今、誰の、何の権利を持って、私の婚約者を『命令』で縛ろうとしている」
陛下が、一歩前に出ました。
ただそれだけの動作で、ルイス王子は「ひっ……!」と悲鳴を上げて一歩後退し、泥の中で無様に尻餅をつきました。
「婚約者……? セシリアが、皇帝の……? そ、そんなはずはない! 君は、僕が捨てた、誰からも愛されない事務の悪女のはずだろ!?」
(……ふふ。殿下。……書類の整理は得意ですが、あなたのその壊れた常識を整理して差し上げるほど、今の私は暇ではありませんの)
死の予感を孕んだ沈黙が、国境を支配しました。
王子の最後の「幻想」が、帝国の絶対的な覇道に、今まさに粉砕されようとしていたのでした。
第19話、お読みいただきありがとうございました!
ついに「直接対決」の場となりました。王子の現実認識のあまりの低さに、セシリアと陛下も(別の意味で)衝撃を受ける回でしたわね。
「誰からも愛されない」という王子の呪詛を、陛下が「俺の婚約者だ」と一蹴するカタルシス!これぞホワイトな真実の愛ですわ!
次回、第20話「土下座のカウントダウン」。
陛下の威圧が、ついに王子の膝を折らせますの。土下座のカウントダウンが始まりますわよ!
もし「王子の勘違いっぷりが清々しいほど無能」と思ったら、最後にブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。
皆様の応援が、セシリアの「ホワイトな査定」をさらに厳しく(楽しく)させますの!




