第18話:マリアベルの「最後の博打」
国境線でセシリアが「聖女」として民衆から跪かれている、その裏側で。
アウグスト王国の王宮……もとい、もはや掃除をする人員すらおらず埃とネズミの棲家と化した廃墟の一室で、マリアベル・シュトラウスは鏡を前にして狂気に満ちた笑みを浮かべていました。
「大丈夫よ、マリアベル。あなたは真実の愛のヒロイン。セシリアなんていう、色気も可愛げもない女が上手くいっているのなら、私が行けば……あの皇帝だって、イチコロだわ」
彼女が手にしているのはかつて王室の金庫から強引に持ち出した、なけなしの香油と、虫に食われたシルクのドレス。
彼女の脳内では自分という絶世の美女が現れれば、冷酷な皇帝レオンハルトも瞬時に牙を剥き出しにした狼から、自分に縋る忠犬に変わるという、あまりに救いようのない夢物語が展開されていました。
「マリアベル……君、本気なのか? 相手は『血塗られた皇帝』だぞ。私を置いて逃げるつもりじゃないだろうね?」
部屋の隅、暗闇の中でガタガタと震えながらルイス王子が弱々しく声をかけました。
かつての彼は自信に満ち溢れた「王都の貴公子」でした。ですがセシリアが去った後、公務という名の現実に食い荒らされた結果、今の彼はただの、肥え太った被害妄想の塊でしかありませんでした。
「逃げるわけないじゃないですかぁ、ルイス様。私が皇帝を取り入れば、この国だって救われますわ。セシリアができることが、この私にできないはずがないんですもの!」
マリアベルの根拠なき自信。
それは彼女がこれまでの人生で「可愛いと言われるだけですべてが解決してきた」という成功体験からくる、呪いのようなものでした。
彼女はセシリアが影で行ってきた血を吐くような努力も、積み上げてきた知識もすべて「悪女の嫌み」としてしか見ていませんでした。
だからこそ今のこの状況も「セシリアが皇帝に媚を売っただけ」だと思い込んでいるのです。
「さあ、行きましょう。本当の『ヒロイン』が誰なのか、あの方に分からせて差し上げますわ!」
二人は王室に残された最後の一頭の痩せ細った馬を使い、国境へと向かいました。
道中、彼らを睨み、石を投げてくる民衆たちの姿。普段なら衛兵が彼らを斬り伏せるはずですが、今の彼らを守る者は誰もいません。
ルイス王子は馬車の床に這いつくばり、マリアベルは鼻を覆って「なんて不潔な国民たちなの……」と毒づきながら、黄金の輝きを夢見て、死の匂いのする国境へと進んでいきました。
一方、帝国の宿営地。
セシリアはスパイから届いた「王子の馬車が接近中」という報告書を、コーヒーを飲みながら一瞥しました。
「陛下。ゴミ箱に捨てたはずの請求書が、自分から足を生やして取り立てに来たようですわよ」
「掃き溜めの鼠か。セシリア。貴様は、あの不潔な連中と、再び顔を合わせるのが怖くはないのか?」
レオンハルト陛下が私の腰をそっと抱き寄せ、その瞳に深い懸念を宿らせる。
私は彼の胸に身を預け、穏やかに微笑みました。
「怖くはありませんわ。ただ、少しだけ。彼らがどれほど『論理的』に、自分の罪の重さを理解できるのか、……その査定をするのが楽しみなだけです」
セシリアの淡々とした、けれど確実な殺意を孕んだ微かな笑み。
救いようのない「悪役」たちの、最後の博打の幕が今上がろうとしていました。
――ただ、その笑みを間近で見ていた皇帝だけが、笑っていませんでした。
腰に回された腕の力が、ほんの少しだけ強くなったこと。
それに、当のセシリアは気づいておりません。
マリアベルの、あまりにポジティブすぎる勘違い回でしたわ。お付き合いくださりありがとうございます!
「セシリアができることは自分にもできる」という傲慢さ……世の中の努力をすべて否定するようなその態度が、彼女の破滅への完璧なフックになっていますわね(笑)。そしてセシリアの、過去を完全に吹っ切った「査定」という名の復讐心!
次回、第19話「国境の「対面」」。
ついに国境の検問所で、帝国皇帝レオンハルトと王子ルイスが向かい合いますわ。王子はまだ、自分が何を失ったのか知りませんの。
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