第11話:恥知らずな使者、現る
帝都が「事務の聖女」という新しい伝説に沸き返り、私もようやく美味しいハーブティーを一口飲む余裕が出来た、そんなある日のことです。
城の正門に、これまた覚えのある――そして今や見る影もなく薄汚れた、アウグスト王国の紋章を掲げた馬車が到着しました。
バルコニーから見下ろすと、そこには見覚えのある一人の男性が立っていました。
彼の名はケビン。かつて私の下で事務官の見習いとして働いていた……いわば、昔の部下です。
三週間前、彼は「セシリア様の小言はもう聞き飽きましたよ。これからはマリアベル様の可憐な笑顔に癒されるんだ!」と意気揚々と語っていたはずですが。
(あら。ケビンさん? ずいぶん……その、個性的な身なりになられましたわね)
階下の彼はかつて私が一ミリのズレも許さなかった白いシャツに、べっとりとコーヒーのシミを付け、ネクタイは喉を絞める綱のように歪んでいます。
何よりその顔色。
土を煮出したような濁った色をしており、目の下の隈はもはや、誰かに殴られたのではないかと疑うほど漆黒です。
「せ、セシリア様ぁ! ああっ、セシリア様!!」
謁見の間に通された瞬間、ケビンさんは護衛の騎士たちの制止も聞かず、私の足元に滑り込みました。
まるで、地獄から救いの蜘蛛の糸を見つけた罪人のような必死さです。
「ケビンさん。お久しぶりですわね。あ、いえ。今は私は帝国に拾われた『何者でもない者』ですので、そのように取り乱しては困りますわ」
「何者でもないなんて嘘だ! あなたは、僕たちの……僕たちの神様でした! 戻ってください、お願いします! 君が、君がちょっと国を離れて有給を取っている間に、王宮はもう、物理的に書類で閉鎖されましたぁ!!」
「物理的に閉鎖、ですか?」
私が首を傾げるとケビンさんは嗚咽を漏らしながら、ある一枚の「報告書」を差し出しました。
「これ……御覧ください。殿下が『承認印を押すのが面倒だから、全部シュレッダーにかけろ』と仰ったのですが、そのシュレッダーさえも、セシリア様が魔法回路をメンテナンスしていなかったせいで過熱して大破しました。今は、執務室の扉を開けると、膝の高さまで未処理の羊皮紙が溢れてくるんです!」
(あら。あの魔導シュレッダー、定期的に魔力を注がないと安全装置が働かない仕組みですのよ。まあ、もう私には関係のないことですけれど)
私が内心で毒を吐いていると、背後の玉座から、氷河の底が鳴るような低い声が響きました。
「…………これ以上、私のセシリアに無意味な言葉を吐くなら、その不潔な舌ごと引き抜いてやろうか」
レオンハルト陛下です。
彼はいつにも増して機嫌が悪そうでした。
というのも彼はさきほどから私の肩をこれ見よがしに抱き寄せ、自分の「所有権」を一ミリも疑わせない強固な威圧をケビンさんに向けていたからです。
「ひぃっ!? ひ、陛下! 違います、これはアウグスト王国のルイス殿下からの、正式な……正式な国書を持って参ったのです!!」
ケビンさんが震える手で差し出したのは、金糸で縁取られた豪華な封筒。
ですがその角は折れ曲がり、なぜかマドレーヌのカスのようなものが付着しています。
「ケビンさん。その国書、殿下がマリアベル様とお茶会をされている最中に、勢いで書かれたものではありませんわよね?」
「……。セシリア様……なぜ、お分かりになるんですか……」
二十年も彼の傍で苦労させられれば、そのインクの滲み具合だけで「あ、これ適当に書いたな」と分かってしまうのです。
私は陛下がその封筒を受け取ろうとするのを、扇子で優しく制しました。
「陛下。不潔ですわ。それに、中身は読むまでもありません。『有能な道具を返せ』という、幼稚な我が儘が綴られているだけですわ」
「道具、だと。ほう、あのドブネズミ(王子)は、まだ自分がセシリアに選ばれる権利を持っていると勘違いしているのか」
陛下の手がパキリ、と玉座の肘掛けを粉砕しました。
その音に、ケビンさんは白目を剥いてその場に気絶しました。
(一応、かつての部下ですので気付け薬と……それから、栄養満点のスープくらいは飲ませてあげてくださいな、クリス様)
私は気絶した元部下を憐れに見送りながら。
自分を「道具」としか思っていなかったかつての職場と、自分の「影」さえも至宝として守ろうとする今の陛下を、改めて天秤にかけるまでもなく、陛下の腰にそっと手を回すのでした。
王国側の「その後」が、ブラック企業の末路そのものでしたわね。ありがとうございました!
ケビンさんはかつてマリアベル派に日和った部下ですが、今のセシリアには「別の世界の住人」でしかありませんわ。そしてレオンハルト陛下の「セシリアは俺のもの」という独占欲が、いよいよ隠しきれなくなってきましたわね!
次回、第12話「究極のホワイト拒絶」。
セシリアが使者に返すのは、たった一つの問いかけですわ。折れて捨てられたペンは、どこへ戻るのでしょう。
もし「ケビンさんにスープを飲ませるセシリアが優しい」と思ったら、最後にブックマーク(有給申請)や評価(ボーナス支給)をお願いいたしますわ。
皆様の応援という名の「福利厚生」が、セシリアのホワイトな日々を支えますの!




