あと二日
病室の前には、静かな空気が流れていた。ジエルが扉を閉め、去っていった後も、その場には先ほど交わされた言葉の余韻が残っている。レインダ村。兄の死。エリア・オズ。軽い話では済まされない、重い現実。
そのやり取りを、少し離れた場所から聞いていた人物がいた。天記だった。アモリス支部医療棟の通路。白い壁に背を預けるように立ちながら、天記は病室の方へ静かに視線を向けていた。偶然通りかかったのか、それとも見舞いに来ていたのか。理由は分からない。だが少なくとも、彼はジエルの言葉を聞いていた。
「……ジエル君」
小さく漏れたその声には、いつもの調子とは違う響きがあった。心配。あるいは、何か別の感情。天記は一度だけ目を伏せ、静かにその場を立ち去る。足音は小さく、廊下の奥へと消えていった。
その頃、ジエルはアモリス支部内の訓練室へ向かっていた。訓練室の扉を開く。中には、広い無機質な空間が広がっていた。そして、その中に一人。
「……あ?」
ジエルは眉を上げた。
「亜爆か」
訓練室の隅。壁際に立っていた亜爆が、静かにこちらを見る。
「私も任務に就きます」
その一言は、あまりにも自然に告げられた。だが、ジエルにとっては自然ではない。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「まじかよ……お前、ランクそんな高くなかったろ」
率直だった。同期だからこそ、余計にそう思う。エリア・オズ。ジエル自身、簡単な任務ではないと理解している。そこにDランク同期の亜爆が同行するという事実は、少し意外だった。亜爆は小さく溜息をついた。
「……指名されたんで」
その言い方は、どこか面倒そうだった。自慢でもなければ誇張でもない。ただ事実を述べているだけ。
「指名?」
ジエルは眉をひそめる。誰が何のために。疑問は浮かぶ。だが、亜爆はそれ以上語らなかった。
「気にしないでもらって」
そう言って、背を向ける。訓練室の出口へ。
「おい、どこ行くんだ?」
ジエルが声をかけると、亜爆は肩越しに小さく箱を見せた。タバコだった。
「少し、一服しに」
「……マジかよ」
ジエルは呆れ半分で眉をしかめる。
「外で吸いますよ」
淡々とそう返し、亜爆は訓練室を後にした。扉が閉まる。静寂。広い訓練室に残されたのは、ジエル一人。
「……なんなんだよ」
頭を掻きながら、小さくため息をつく。何か引っかかる。だが今は、それを考えている場合ではない。ジエルは視線を前へ向ける。無骨な鉄の棒。ジエルは、その前に立つ。
「……」
脳裏に浮かぶのは、兄の姿だった。
「……っ」
拳を握る。微かな電流が走る。
「……負けるかよ」
低い声。次の瞬間。拳が鉄柱へ叩き込まれた。鈍い音が、訓練室に響く。さらに、もう一撃。拳から電流が弾ける。怒り。悔しさ。焦燥。全てがジェネレーターを回す。
「まだ足りねぇ……!」
もっと速く。もっと強く。もっと、限界の先へ。鉄柱に拳を叩き込む度に、皮膚が裂け、腕が軋む。それでも止めない。兄を超えるために。兄を殺した存在が、もしそこにいるなら――倒すために。
エリア・オズ任務開始まで、あと二日。二日後、ジエルは故郷へ行く。失われた村へ。兄の死んだ場所へ。そして、もしかすると――仇がいるかもしれない場所へ。
「……待ってろ」
拳を振るう。その音には、決意が乗っていた。ジエル・レートは、もうただ任務へ向かうだけじゃない。故郷へ。過去へ。真実へ。そのために今、アモリス支部の訓練室で、自分を削っていた。




