6年前の事故
ウバク地区から戻った頃には、日も傾き始めていた。病室の窓から差し込む夕陽は赤く、白い床を長く染めている。静かな部屋だった。機械音すら今はなく、聞こえるのは時折吹く風と、遠くの喧騒だけ。エデンはベッドに腰を下ろし、そのままゆっくりと横になる。墓参りを終えたばかりの心は、身体以上に疲れていた。カイトとリナの墓前で手を合わせた時間が、胸の奥に沈殿している。白い天井を見上げながら、エデンは小さく息を吐いた。
「……」
『少しは休め。傷は気合いでは塞がらん』
頭の奥で、ケイの低い声が響く。
「分かってるって……」
そう返しながらも、エデンの胸には焦りがあった。置いていかれることへの焦燥。何もできなかった後悔。強くなりたいという渇き。その時、不意に病室の扉が開いた。
「おい、エデン」
聞き慣れた声。顔を向けると、そこにはジエルが立っていた。普段通りのようでいて、どこか違う。軽い調子の奥に、妙な硬さがある。ジエルはそのままベッド横の椅子に腰を下ろした。
「……どうした?」
エデンがそう聞くと、ジエルは少しだけ間を置いて言った。
「俺、任務に就くことになった」
「任務?」
「ああ。エリア・オズって所に行って、エイリ星人の数を調べるらしい」
エリア・オズ。聞いたことのないエリア。エデンは少しだけ表情を曇らせたが、短く頷く。
「……そうなんだ」
エデンはまだ療養中であり、任務には行けない。その現実が胸に引っかかる。だが、ジエルは次の言葉をゆっくりと口にした。
「エリア・オズは、俺の故郷だ」
「……え?」
「レインダ村」
その名前を聞いた瞬間、エデンは勢いよく顔を上げた。
「レインダ村!?」
ジエルが驚く。
「なんだよ急に。行ったことでもあんのか?」
エデンの脳裏に、遠い記憶が浮かぶ。まだ幼かった頃。修学旅行。山、海、村の風景。
「……6年前、修学旅行で行ったことがある」
「6年前?」
「その時……津波の事故で土砂崩れが起きて……」
言いながら、自分の記憶をなぞる。だが、ジエルは怪訝そうに眉をひそめた。
「……エデン。その時期、レインダ村で津波なんて起きてねぇぞ」
「……え?」
「起きたのは、エイリ星人の発生だ」
言葉が、理解より先に身体を硬直させた。エデンの思考が止まる。
(でも、夕陽先生は……津波だって……)
記憶の中の夕陽先生。生徒達を必死に避難させながら、恐怖を押し殺すように叫んでいた姿。混乱が胸を締め付ける。
『……おそらく』
ケイの声が、頭に静かに響いた。
『心配をさせないよう、嘘をついたのだろう』
「……っ」
『子どもに“化け物が出た”などと告げれば、余計に混乱する。咄嗟に“津波”と表現した方が避難誘導はしやすい』
エデンは言葉を失った。嘘だった。悪意ではなく守るための嘘。そう理解できても、心の奥がざわつく。あの日、自分は“自然災害”だと思っていた。だが本当は違った。あれは――エイリ星人。
「そんな……」
ジエルの拳が、静かに握られる。
「その事故はエイリ星人の仕業だ」
声が低い。怒りを押し殺すような、重い声。
「……俺の兄貴が死んだのも、そのせいだ」
病室の空気が変わった。エデンは目を見開く。ジエルの兄。天才。そして、失われた存在。それが、自分の過去の記憶と繋がる。点だったものが、線になっていく。
「……じゃあ俺、あの時……」
『真実を知らされず、生き延びた』
ケイが言う。
『だが、それ自体は間違いではない。守るべき年齢だったのだろう』
守られていた。知らないまま。けれど今は違う。エデンはもう、知らずに守られるだけの側ではない。
ジエルは立ち上がった。その動作は静かだったが、そこに宿る感情は静かではなかった。怒り。悔しさ。そして、消えることのない執念。
「だから俺は行く」
その声には、普段の軽さは一切なかった。
「……もしかしたら、兄貴を殺したエイリ星人がいるかもしれねぇからな」
病室の空気が、さらに重く沈む。エデンは息を呑んだ。その言葉は、単なる調査任務としての参加理由じゃない。ジエルにとってそれは、故郷へ向かう任務であり、兄の死に向き合うための旅だった。復讐。いや、それだけではない。確かめたいのだ。兄を奪った存在。故郷を壊した真実。6年前から続いているかもしれない因縁。ジエルの拳は、強く握られていた。
「俺は、確かめる」
低く、鋭く。
「レインダ村で何が起きたのか。兄貴が何と戦って、何で死んだのか」
その目には、怒りだけじゃなかった。兄を知りたいという想い。過去を曖昧なまま終わらせたくないという意志。エデンはそんなジエルを見つめながら、胸の奥に別の痛みを感じていた。自分はカイトとリナを失った。ジエルは兄を失った。失ったものは違う。けれど、その喪失が胸に残し続ける傷の重さは、きっと似ている。
『復讐心は時に力になる』
ケイが静かに言う。
『だが、飲まれれば視界を狭める』
「……」
エデンは何も答えなかった。今のジエルに、その言葉をそのまま伝えることはできない。それほどまでに、ジエルの背負うものは本物だった。
「……ジエル」
「ん?」
「絶対、生きて帰ってね」
短い言葉だった。だが、それ以上はいらなかった。ジエルは一瞬だけ目を丸くし――やがて、いつもの少し不敵な笑みを浮かべる。
「当たり前だろ」
その笑みに、ほんの少しだけ昔のジエルが戻る。
「兄貴を超えるのは、まだこれからなんだからよ」
その言葉を残し、ジエルは病室を後にした。扉が閉まる。再び静寂。だが、もう先ほどまでの静けさではない。部屋には、過去と未来が交差したような重みが残っていた。エデンは窓の外を見つめる。赤く染まる夕空。どこまでも続く光。6年前、何も知らなかった自分。今、少しずつ真実へ近づいていく自分。レインダ村。ジエルの故郷。兄の死地。エデンは静かに拳を握った。まだ行けない。まだ戦えない。だが、知ってしまった以上、無関係ではいられない。レインダ村そこにはきっと、ジエルだけではなく。エデン自身の過去も、眠っている。




