反射神経
洞窟の空気が、さらに重く沈む。エデンが力を引き出そうとする中でその背後では、別の危機が静かに進行していた。カイトは、歯を食いしばりながら自分の肩を見る。突き刺さった棘。浅く刺さっているようには見えない。無理に引き抜けばどうなるかは、考えるまでもなかった。
(……抜けない)
わずかに力を込める。だが、びくともしない。その瞬間、鋭い痛みと共に、じわりと血が滲む。
「っ……!」
反射的に手を止める。
(無理に抜いたら、終わる……)
直感だった。出血。それも、ただでは済まない量。一方でリナも、自身の腹部に刺さった棘へ視線を落としていた。
「……力がはいらない」
小さく呟く。身体の異変に、気付く。指先。力が入りにくい。足も、思うように動かない。まるで、感覚が鈍くなっていくような
「……麻痺?」
その言葉が、現実味を帯びる。呼吸が、浅くなる。空気を吸っているはずなのに、足りない。胸が、重い。
「っ……は……」
わずかに息が乱れる。カイトも同じだった。
「……これは……」
肩の痛みとは別に、身体がうまく動かない。力が抜けていく。
(まずい……)
これは、ただの攻撃じゃない。その時だった。前方で、エイリポルの口が再び開く。にやりと歪む。
「あひゃひゃ……!」
楽しそうに、身体を揺らす。
「まだまだいくよぉ?」
その声と同時に空気が震える。また来る。瞬時に理解する。
「――エデン!!」
リナが叫んだ。声を振り絞る。
「気を付けて!」
呼吸が苦しい。それでも、言葉を止めない。
「あの棘――!」
一瞬、息が詰まる。だが、続ける。
「毒がある!!」
警告。必死の声。その瞬間エイリポルの口から、再び棘が放たれた。一直線。空気を裂いて、エデンへと迫る。速い。先ほどと同じ。いや、それ以上に鋭い。洞窟の静寂を切り裂きながら死の軌道が、迫る。エデンの視界が、研ぎ澄まされる。全てが、遅く見える。その軌道が、わずかに“ずれた”ように見えた。いや、違う。エデンの世界が、変わったのだ。空気の流れすら、線として捉えられる。迫る棘の動きが、はっきりと“見える”。エデンは、迷いなく腕を上げた。
――掴む。
空中で、棘を握り止める。ぴたり、と。寸分の狂いもなく。その瞬間、頭の奥で声が弾けた。
『……なにを』
ケイの声。驚愕が滲んでいる。
『今のを……見て、掴んだのか?』
あり得ない反応速度。さっきまで、一切反応できなかった攻撃。それを――完全に捉えた。エデンの呼吸は荒い。だが、その目はぶれていない。限界を、さらに押し広げている。
(もっと……速く)
(もっと……見えるはずだ)
その感覚に、ケイは気付く。
『……まさか』
思い出す。この力の片鱗。
『それは――リミットの能力……』
わずかに間。
『リミットリフレクス……!』
反射神経の極限拡張。危険領域。だが、エデンはすでに踏み込んでいる。
一方。エイリポルの動きが止まっていた。目が見開かれる。
「……は?」
理解が追いついていない。ついさっきまで、自分の攻撃に反応すらできなかった人間。それが今は、完全に見切っている。
「なんだよ……それ……」
動揺。だが、次の瞬間には本能が勝つ。巨大な身体が、信じられない速度で動く。死角へ。エデンの背後へと回り込もうとする。その動きは、速い。
だが――
「エデン!」
カイトの声が飛ぶ。呼吸もままならない状態で、それでも叫ぶ。
「後ろからだ!」
行動先読。
わずかな兆しから、未来を掴み取る。その声が届き、エデンの身体は反応する。振り向くと同時に力を解放する。
「――っ!!」
全身に力が巡る。
『やめろ……!』
ケイの制止。だが、止まらない。リミットリフレクスとリミットフォース。二つの能力の同時使用。骨が軋む。筋肉が悲鳴をあげる。エイリポルの爪が振り下ろされる、その直前。エデンは踏み込んだ。一瞬で間合いを詰める。拳が、叩き込まれる。衝撃。空気が弾ける。エイリポルの巨体が、横へ吹き飛ぶ。岩壁へと叩きつけられる。轟音。洞窟が揺れる。だが。まだ、終わらない。エデンは止まらない。さらに踏み込む。距離が、一瞬で消える。エイリポルの目前。身体を捻る。そして蹴り。全力。今までで、最も重い一撃。骨が軋む感覚すら無視して、叩き込む。衝撃が爆ぜる。エイリポルの身体が、横の岩壁へと吹き飛ばされる。岩が砕け、破片が散り、煙が舞う。
「……っ、はぁ……!」
エイリポルは、まだ立っていた。身体の一部が裂け、損傷している。それでも完全には倒れていない。
「……なんだよ、お前……!」
恐怖と苛立ちが混ざった声。次の瞬間。口が開く。棘が、連続で射出される。無数。回避不可能に見える弾幕。だがエデンの視界では、違った。全てが見える。軌道。速度。到達点。身体が、自然に動く。最小限の動きでかわす。紙一重で、全てを避ける。さらに。カイトとリナへ向かう軌道。それだけを選び取り拳で叩き落とす。無駄なく正確にその全てを。
「……なんだこいつ」
エイリポルの声が震える。理解不能。だが、その思考が続くことはなかった。次の瞬間。エデンの姿が、消えた。
「――っ!?」
反応が遅れる。上。その瞬間に気付いた時には、もう遅い。エデンが落ちてくる。そして拳が振り下ろされ――直撃。轟音。地面が砕ける。洞窟全体が、大きく揺れる。衝撃が広がり、岩壁に亀裂が走る。エイリポルの身体が、爆ぜるように吹き飛ぶ。その大半が、破壊される。静寂。粉塵が、ゆっくりと落ちていく。エデンは、その場に立っていた。肩で息をする。全身が、軋む。ぼろぼろだった。それでも、足を動かす。カイトとリナの方へ。一歩。また一歩。
(……倒した)
そう思った。だが。視界の端に、何かが映る。小さな光。地面に転がる、それ。エデンの足が止まる。ゆっくりと視線を落とす。そこにあったのはエイリ星人の“核”。まだ、微かに脈動している。終わっていない。その事実が、静かに突きつけられた。




