野外活動
翌日。
朝の空はよく晴れていた。学校の前には、大きなバスが止まっている。
「おおー! バスだ!」
「でっけぇ!」
生徒たちは興奮していた。エデンも少しだけワクワクしていた。バスの前で、夕陽先生は点呼を取っている。
「よし、全員いるな」
先生は満足そうに頷く。生徒たちはバスに乗り込む。窓側の席に座り、外を眺めていると、バスがゆっくりと動き出し、学校が遠ざかっていく。
「レインダ村……楽しみだなぁ」
友達がつぶやく。
エデンも小さく頷く。
バスは街を抜け、山道へと入っていく。窓の外には木々が広がり、やがて遠くに海が見えてきた。
「海だ!」「広い!」
青く広がる海が、太陽の光を反射して輝いている。エデンは窓に顔を近づけた。広い海を見るのは久しぶりだった。
その時、夕陽先生が通路を歩いてくる。
「はしゃぎすぎるなよ。まだ到着してないぞ」
「はーい!」
先生は軽く笑う。
「でも、楽しむのはいいことだ」
数時間後。
バスはレインダ村に到着した。
潮の匂いが風に乗って流れてくる。港には漁船が並び、網や魚箱が積まれている。
「うわぁ……」
生徒たちは目を輝かせる。海はすぐ近くにあり、波の音が静かに響いていた。
「ここがレインダ村だ」
夕陽先生が言う。奥には、宿泊施設も見える。木造の建物で、少し古いが落ち着いた雰囲気だった。それを見る生徒たちは興奮している。
先生は全員を集める。
「いいかみんな、ここは自然の多い場所だ。海も崖もあるから。勝手に動くなよー」
そして真剣な顔で言う。
「必ず集団で動け」
エデンは周囲を見渡す。波の音だけが聞こえる。どこか落ち着いた空気が流れていた。
夕陽先生は最後に言う。
「悔いの無いようになー」
その言葉が、海風に乗って静かに響いた。レインダ村の空気は、街とはまるで違っていた。潮の匂いが強く、風は少し湿っている。遠くでは波が静かに岸に打ちつけ、港には漁船が並んでいた。
「すげぇ……船がある」
「魚いっぱいいる!」
生徒たちは興奮して走り回ろうとする。
「おい走るなよー」
夕陽先生の声が飛ぶ。
「ここは港だ。足を滑らせたら海に落ちるぞ」
「はーい!」
生徒たちは慌てて止まる。
夕陽先生はため息をつきながらも笑った。
「元気なのはいいことだが、怪我をしたら意味がないぞ」
そして全員を集める。
「これから村の見学をする。勝手な行動は禁止。必ず班ごとに動け」
「はい!」
生徒たちは頷いた。村の中を歩く。木造の家が並び、網や漁具が干されている。
港では漁師たちが魚を運んでいた。
「こんにちは」
夕陽先生が頭を下げる。
「お世話になります」
漁師の男は軽く笑った。
「元気な子供たちだなぁ。海は危ないから気をつけろよ」
「ありがとうございます」
夕陽先生は丁寧に頭を下げる。
エデンはそのやり取りを見ていた。
先生は誰に対しても礼儀正しく、しっかりしている。だから皆が安心してついていくのだと、なんとなく思った。
しばらく歩くと、小さな浜辺に出た。青い海が広がっている。
「おおー!」
生徒たちが歓声を上げる。
波は穏やかで、太陽の光が水面に反射していた。
「少し休憩する」
夕陽先生が言う。
「海には近づきすぎるなよ」
生徒たちは浜辺に座ったり、貝殻を拾ったりしている。エデンもしゃがみ込み、小さな貝を拾った。
その時だった。
風が急に止まる。
「……?」
エデンは顔を上げた。さっきまで聞こえていた波の音が、少しだけ弱くなっている気がした。
空を見る。
雲はない。
海も穏やかだ。
だが、どこか違和感があった。
「エデン、見ろよ」
友達が海を指さす。
「魚がいなくなった」
「え?」
よく見ると、水面の近くに魚の姿がほとんど見えない。さっきまで跳ねていた小魚もいない。
「なんでだろ……」
友達が首をかしげる。その時、夕陽先生の声が聞こえた。
「みんな、集まれ!」
少しだけ強い声だった。生徒たちは驚いて集まる。
「どうしたの?」
「何かあったの?」
先生の表情は少しだけ真剣だった。
「予定を少し変更する。宿泊施設に戻る」
「え?」
「まだ時間あるよ?」
生徒が言う。
先生は静かに答える。
「天候の確認。念のためだ」
その言い方は、どこか不自然だった。
「急ぐぞ」
夕陽先生は全員を歩かせる。足取りが少し早い。
エデンはその背中を見ていた。
(先生どうしたんだろう……?)
宿泊施設に戻ると、他の先生たちが集まっていた。小さな声で話している。
「本当ですか?」
「確認は取れましたか?」
「まだ分からないです……」
空気が少し重い。夕陽先生が近づく。
「状況は?」
一人の先生が小さく答える。
「……出現した可能性が」
夕陽先生の表情が変わる。
「場所は?」
「この近くの海域です」
沈黙が流れる。夕陽先生は静かに言う。
「そっちの生徒たちは?」
「まだ知らない」
「……なるほど」
夕陽先生は深く息を吐く。
「災害として避難させます。すぐに帰る準備をしましょう」
「分かりました」
先生たちは動き出す。エデンは遠くからその様子を見ていた。何を話しているのかは聞こえなかったが、ただ事ではないことだけは分かった。
夕陽先生がこちらに歩いてくる。そして、いつもの笑顔を作った。
「みんな、少し予定が変わった」
優しい声で言う。
「津波の可能性があるから。今から帰る準備をするぞ」
「え?」
「帰るの?」
生徒たちがざわつく。
「念のためな」
そして先生は言う。
「すぐにバスに乗るぞ」
エデンは先生の顔を見た。笑っている。だが、その目は笑っていなかった。どこか緊張していた。
「急ぐぞ」
夕陽先生は言う。
「大丈夫だ。先生がついている」
そして小さく呟いた。
「悔いの無い生き方をしろ。俺...」
その言葉は、誰にも聞こえなかった。
生徒たちは急いでバスに乗り込んだ。
「早く座れ!」
「荷物は足元に!」
先生たちの声が飛ぶ。
さっきまでの楽しそうな空気は、もうどこにもなかった。誰もが不安そうな顔をしている。
エデンは窓側の席に座った。隣には、いつも一緒にいる友達がいた。
「なあ……津波って俺ら大丈夫かな?」
友達が小さな声で言う。
「……分からない」
エデンも不安だった。
バスがゆっくりと動き出す。レインダ村を離れ、山道へと入っていく。夕陽先生は通路に立ち、生徒たちを見ていた。
「大丈夫だ。すぐに学校に戻る」
落ち着いた声だった。
だがその時――
ゴゴゴゴゴ……
地面が揺れる。
「え?」
次の瞬間。
ドォォォン!!
崖の崩れる音が、遅れて耳に届いた。空気が震え、足元が揺れる。
「きゃあああ!!」
「なに!?」
バスが急停車する。前方の崖が崩れ、大量の岩と土が道路を塞いでいた。
「崖崩れだ!」
先生が叫ぶ。バスの中は一瞬で混乱する。
「みんな、落ち着け!」
夕陽先生が叫ぶ。
その時、さらに音がする。
――ガラガラガラガラ!!
横の斜面が崩れ、岩が転がり落ちてくる。
「危ない!」
バスの横に大きな岩がぶつかる。窓ガラスが割れる。
「うわあああ!!」
衝撃でエデンは座席から投げ出された。
床に倒れる。
耳鳴りがする。
頭がぼんやりする。
「……っ」
顔を上げる。
周囲には泣き叫ぶ生徒、血を流している生徒、動けない生徒がいた。
「……」
隣の友達が倒れている。
「おい……!」
エデンは近づく。
友達の足にはガラスが刺さっていた。
血が流れている。
「……っ……」
意識がない。
「起きて!」
エデンは何も出来なかった。
手が震える。
(何か.....何かしなきゃ……!)
だが、体が動かない。
怖い。
また崖が崩れるかもしれない。
足がすくむ。
その時だった。
――ドォォォン!!
さらに大きく、音が響く。
後方の崖も完全に崩れ、道が完全に塞がれた。
「……」
絶望が広がる。友達は動かず、他にも重傷の生徒がいる。自分も怪我をしていて、さらに逃げ場はない。
「……どうしよう……」
涙がこぼれる。
「皆……死んじゃうの……?」
――ゴゴゴゴ……
頭上からまた音がする。崖が崩れ、岩が転がり落ち、バスの窓に入る。
岩の一つが勢いよくエデンに向かう。
(……⁉)
エデンは目を閉じた。
その瞬間。
ドン!
誰かが覆いかぶさる。
「……え?」
目を開ける。夕陽先生だった。頭から血を流している。
「……先生……?」
先生の体が少し震えている。
「せ、先生.....頭に岩が..」
声が震える。
夕陽先生は、ゆっくりと笑った。
「大丈夫さ、エデン君」
優しい声だった。
「先生のことは心配するな」
血が流れているのに、落ち着いている。先生は立ち上がり、そして他の生徒の元へ行く。
「怪我してるなら先生のもとに来い!運転手さんも手伝ってください!」
血を流しながら、バスの運転手と生徒の手当てを始める。布で止血し、声をかけ、励ます。生徒達は少し安堵の表情を浮かべる。一方で、夕陽先生の体は少し震えていた。
「大丈夫だ。もうすぐ助けが来る」
「安心しろ」
その姿を、エデンはただ見ていた。
(先生……)
どれくらい時間が経ったのか分からない。遠くから音が聞こえる。救助隊だった。
「いたぞ!」
「子供たちだ!」
大人たちが駆け寄ってくる。
「怪我人多数!」
「急げ!」
生徒たちは次々に運ばれていく。エデンは立ち上がり、周囲を見る。
「……先生?」
夕陽先生が倒れていた。
「先生!」
駆け寄る。血が広がっている。
「夕陽先生!」
先生の呼吸は弱かった。
「夕陽先生、何で……」
涙が止まらない。
「なんで……」
声が震える。
「……どうして……先生もつらいのに...」
夕陽先生は、ゆっくりと目を開けた。
そして、笑った。
「先生はただ……」
かすれた声だった。
「悔いの無いように……動いただけだ」
エデンの涙が落ちる。
「エデン君も……」
先生はゆっくりと言う。
「自分がしたいように……」
息が弱くなる。
「悔いの無いように……」
笑顔ではっきりと言った。
「悔いの無いように生きろ!」
そのまま、先生の手が落ちた。
「……先生?」
返事はなかった。
「……先生……?」
動かない。
「……先生……」
安らかな顔をして目を閉じている。
エデンはその場で崩れる。涙が止まらなかった。
(先生に助けられて……俺は何もできずに...)
(夕陽先生..........)
強い後悔が、心を締めつける。
この日、エデンの中に、消えない悔いが残った。




