剣を振るう資格
血刃は、木刀を構えたままフルトを見つめていた。
フルトは俯いたまま、自分の手に握られている木剣を見る。
人に向けて剣を振る。
そのことを考えるだけで、身体が固くなっていた。
すると、血刃は静かに口を開いた。
「……それでいいじゃろう」
「へ?」
フルトが顔を上げる。
予想していなかった言葉だった。
「どういう……?」
血刃は木刀を下ろすことなく、フルトを見つめる。
「お前の父は、お前にこう言ってなかったか?」
その瞬間、フルトの表情が固まった。
「剣を振るう資格があるのは、剣に恐怖できるものだけだと」
「……!」
フルトの目が見開かれる。
「なんで、それを知って……?」
その言葉は、確かに父から何度も聞いたものだった。
幼い頃、剣の稽古が上手くできず、落ち込んでいた時にも。
兄弟たちと比べられて、自分には才能がないと思っていた時にも。
父は何度も同じ言葉を口にしていた。
『剣を振るう資格があるのは、剣に恐怖できるものだけだ』
フルトはずっと、それを自分を励ますための言葉だと思っていた。
剣を上手く扱えない自分を、父が慰めてくれているのだと。
だからこそ、その言葉の本当の意味を考えたことはなかった。
血刃はそんなフルトの様子を見ながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「剣は簡単に人を傷つけられる」
その声には、長く剣を扱ってきた者だからこその重みがあった。
「それに恐怖できるからこそ、剣を正しく振るえるんじゃ」
フルトは黙って聞いていた。
血刃は木刀を少しだけ持ち上げる。
「剣を持つことに慣れすぎれば、人を傷つけることにも慣れてしまう」
「……」
「じゃが、お前は怖がっておる」
血刃の視線が、フルトの握る木剣へ向けられる。
「その恐怖を忘れん限りは、お前が剣で誰かを傷つけることはないじゃろう」
フルトは木剣を見つめた。
今まで、自分が剣を怖がることは弱さだと思っていた。
ラング家の人間なのに。
剣の名家に生まれたのに。
どうして自分は怖がってしまうのだろう。
どうして兄弟たちのように振れないのだろう。
そんなことばかり考えていた。けれど――
もしかしたら、父が伝えたかったのは別のことだったのかもしれない。
怖いからこそ、慎重になれる。
怖いからこそ、振るう相手を考えることができる。
そして、その恐怖を抱えたままでも、人を守るために剣を握る。
フルトの胸の中で、今まで別々だった父の言葉と血刃の言葉が少しずつ繋がっていく。
血刃はそんなフルトを見て、少しだけ表情を和らげた。
「安心せい」
血刃は木刀を構え直す。
「わしがお前に傷つけられることはない」
「……」
フルトは顔を上げた。
血刃は笑っているわけでもなく、威圧しているわけでもない。
ただ、まっすぐにフルトを見ていた。
「だから、恐怖したままでいい」
その言葉に、フルトは木剣を握り直した。
まだ怖い。それでも――
今度は、逃げたいとは思わなかった。
血刃は木刀を肩の高さまで持ち上げ、四人を見渡した。
訓練室の空気が、先ほどまでとは明らかに違っている。
先ほどのドラム缶を相手にした訓練とは違う。
今度の相手は、実際に動く。
しかも目の前にいるのは、長年ECOで戦ってきた隊員だ。
血刃は四人の構えを確認すると、短く告げた。
「来い」
その一言が合図だった。
真っ先に飛び出したのは緋山だった。
「能力を使ってもいいなら……!」
床を蹴り、一気に血刃との距離を詰める。
緋山の身体から白い煙が現れた。
「変化!」
血刃の視界が煙に覆われる。その直後――
煙の中から、一人の人影が飛び出した。
「……!」
エデンの姿をした緋山だった。
髪型も体格も、先ほどまで隣にいたエデンとそっくりに変化している。
「これなら……!」
本物のエデンと見分けがつかない状態で、緋山は血刃へ拳を繰り出した。
完全な奇襲。普通なら、姿を変えた相手が煙の中から突然現れれば対応するのは難しい。
しかし――
「……」
血刃は動いた。
ほんの僅かに身体を横へずらす。
緋山の拳が、血刃の身体をすり抜けた。
「なっ……!」
緋山が驚く。
その一瞬の隙を、血刃は逃さなかった。
木刀を持っていない左手を引く。
「そこじゃ」
次の瞬間、掌底が緋山の身体へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
緋山の身体が大きく後ろへ吹き飛ぶ。
床を滑り、そのまま倒れ込む。
煙が少しずつ薄れていく。
その中から現れた血刃は、まるで何事もなかったかのように立っていた。
木刀を握った右手も、ほとんど動かしていない。
「……」
エデンは思わず息を呑む。
シオンも槍を構えたまま、血刃から目を離さない。
フルトも驚いた表情で倒れた緋山を見る。
「緋山!」
エデンが声を上げる。
「大丈夫……!」
緋山は倒れたまま身体を起こそうとする。
幸い、大きな怪我はなさそうだった。
それでも、その一撃だけで血刃との実力差を思い知らされる。
血刃は木刀を軽く構え直した。
「奇襲そのものは悪くない」
倒れている緋山へ向けて言う。
「じゃが、相手を見ずに突っ込めば、こうなる」
緋山は悔しそうに立ち上がる。
「……はい」
その様子を見ながら、エデンは拳を握った。
血刃はまだ、能力すら使っていない。
それどころか、木刀を持っている右手ではなく、左手だけで緋山を倒した。
エデンはその事実を理解しながら、ゆっくりと構えを取る。
次は、自分たちの番だ。




