剣を振るう
血刃はフルトの言葉を聞き終えると、しばらく何も言わなかった。
責めることも、励ますこともせず、ただフルトの顔を見つめている。
やがて、静かに口を開いた。
「家でどうだろうと、今のお前にそれは関係ない」
フルトが顔を上げる。
血刃の声は厳しかった。だが、そこにはフルトを突き放すような冷たさはなかった。
「お前はECOじゃ」
「……ECO」
「そうじゃ。ラング家の人間でも、落ちこぼれでもない」
血刃はフルトの前にある木剣を指差す。
「今は目の前の課題だけを考えろ」
フルトは木剣を見つめた。
その言葉が、胸の奥にゆっくりと染み込んでいく。
今までの自分は、ずっと家のことを考えていた。ラング家に生まれたこと。剣の名家だと言われていること。兄弟たちと比べられたこと。そして、自分は落ちこぼれなのだと思い込んでいたこと。けれど、今ここにいる自分は違う。ラング家の跡継ぎでもなければ、家族から評価されるために剣を握っているわけでもない。自分はECOの隊員だ。人を守るために、ここにいる。
フルトはゆっくりと木剣へ手を伸ばした。木の感触が掌に伝わる。一度握った瞬間、また昔の記憶が蘇りそうになる。それでも、今度は手を離さなかった。
(そうだ……)
フルトは木剣を握り直す。
(僕はECOなんだ)
胸の奥にあった不安を、少しずつ押し込んでいく。
(お母さんみたいに、人を守るためにここにいるんだ)
母も、最初は戦うことが怖かった。
それでもECOとして戦っていた。だったら、自分も――
(今は、家のことは忘れて……)
フルトは一度、深く息を吸った。
「……」
木剣を構える。先ほどまでと同じ構え。けれど、その表情は明らかに違っていた。怯えが完全に消えたわけではない。手も少し震えている。
それでも、フルトは逃げなかった。
(集中しろ!)
目を閉じる。余計なことを考えない。家のことも。兄弟たちの言葉も。自分が落ちこぼれだという思いも。今は全部、頭の外へ追い出す。目の前にあるのは一本の木剣。そして、その先にあるドラム缶だけ。
「ふー……」
フルトはゆっくりと息を吐いた。そして――
一気に木剣を振り下ろした。訓練室全体に、これまでとは比べものにならないほど大きな音が響き渡った。
「……!」
エデンが目を見開く。
緋山も驚いたようにフルトを見る。
シオンも槍を持ったまま固まっていた。
フルト自身も、振り切った木剣を見つめている。
自分でも驚いていた。先ほどまでとは明らかに違う。木剣が叩きつけられたドラム缶には、大きなへこみができていた。
血刃はそのへこみを確認すると、口元をわずかに緩める。そして、フルトへ向かって短く言った。
「少しはましになったな」
「……」
フルトは木剣を握ったまま、血刃を見る。褒められたわけではない。むしろ、血刃の言葉は相変わらず素っ気なかった。それでも――
フルトはほんの少しだけ、嬉しそうに笑った。
「はあっ!」
フルトは声を上げながら、木剣を振り下ろした。金属が大きく鳴り、ドラム缶が大きくへこむ。
しかし、それだけでは終わらない。
フルトはすぐに木剣を引き戻した。
「はあっ! はあっ!」
再び振る。そして、また振る。一撃ごとにドラム缶の表面が歪んでいく。
以前なら一度失敗すれば、それだけで手を止めていたかもしれない。だが、今のフルトは違った。何度叩いても、へこませても、まだ壊れない。それでも木剣を握る手を止めなかった。
「もう一度……!」
木剣が振り下ろされる。
「はあっ!」
さらに一撃。
フルトの額には汗が浮かび、呼吸も次第に荒くなっていく。
それでも、その目から迷いは消えていた。
その姿を見ていたエデンたちも、負けじと自分のドラム缶へ向き直った。
「俺も……!」
エデンは拳を握り直す。
すでに何度も殴り続けたことで拳には痛みが残っていた。
それでも構わず、再び拳を振り抜く。
へこんだ部分へ、さらに拳を叩き込む。
「これで……!」
金属が大きく歪む。
一方、緋山も棍棒を両手で握りしめていた。
「まだっ!」
棍棒を振り上げる。
「はあああっ!」
全身の力を乗せて振り下ろす。
ガァンッ!
何度も何度も叩き続ける。
そのたびにドラム缶は形を変えていった。
シオンも槍を構え直す。
「一点だけを狙えば……!」
シオンは最初から何度も同じ場所を突いていた。
その一点だけが、周囲より大きくへこんでいる。
「ここ!」
槍を突き出す。
「もう一度!」
そして――
槍の先端が、ついにドラム缶を貫いた。
「……開いた!」
シオンが驚いたように声を上げる。
槍の先端が、ドラム缶の向こう側へ抜けていた。
それを確認した血刃は、静かに三人を見渡す。
エデンも自分のドラム缶を見つめる。
何度も拳を叩き込んだことで、金属は大きく歪んでいる。
そして最後の一撃を叩き込むと――
鈍い音とともに、拳がドラム缶を貫いた。
「……よし」
エデンが拳を引き抜く。
緋山も最後の一撃を叩き込んだ。
大きくへこんだドラム缶が、ついに崩れるように形を変えた。
緋山は荒い息を吐きながら、その場に立っている。
「……できた」
シオンも槍を下ろした。
三人とも、疲労の色が濃い。
それでも、自分の力だけで課題を達成したことに、どこか達成感を感じていた。
血刃は三人を順番に見て、短く言う。
「……いいじゃろう」
三人が血刃を見る。
「合格じゃ」
エデンは小さく息を吐いた。
緋山は嬉しそうに拳を握る。
シオンも槍を肩に担いだ。
しかし――
まだ一人残っている。
三人の視線が、同時に訓練室の奥へ向けられた。
そこにはフルトがいる。
「はあ……はあ……」
フルトは荒い息を吐きながら、それでも木剣を握り続けていた。
目の前のドラム缶は、すでに何度も叩かれて大きくへこんでいる。
だが、まだ完全には壊れていない。
フルトは木剣を構え直した。
腕は重い。
握力もほとんど残っていない。それでも――
もう一度。
「……はあっ!」
木剣が振り下ろされる。
大きくへこむ。
「もう一度……!」
また振り上げる。
「はああっ!」
ドラム缶が大きく歪む。
血刃は何も言わずに見守っていた。
エデンたちも声をかけず、ただフルトを見つめている。
フルトは木剣を握り直した。
そして、一度だけ深く息を吸う。
「……これで」
木剣を高く振り上げる。
「終わらせる!」
全身の力を込めて、振り下ろす。
ガァァンッ!!
金属が大きくひしゃげる。
木剣がドラム缶を叩き切り、その側面が大きく裂けた。
フルトはその場で動きを止める。
目の前のドラム缶は、完全に破壊されていた。
しばらく、誰も声を出さなかった。
やがてエデンが小さく笑う。
「……やったな、フルト」
フルトは木剣を握ったまま、呆然とドラム缶を見つめていた。
そして、ゆっくりと自分の手を見る。
自分にもできた。
それは、今まで何度も「できない」と思い込んできた自分自身を、ほんの少しだけ変える一撃だった。




