勇気こそが才
「……やった」
グラスは荒い息を吐きながら、その場に立っていた。周囲を見渡す。先ほどまで逃げ惑っていた人々は、もう安全な場所へ避難している。誰も傷ついていない。グラスは、自分の拳を見つめた。
(オレが……やったんだ)
今までの自分なら、分身を作って戦わせていた。自分は後ろに隠れて、分身が戦っているのを見ているだけだった。けれど、今回は違う。自分自身が前へ出た。怖かった。何度も足が止まりそうになった。
それでも――動いた。
「……」
グラスは眼鏡を押し上げる。ほんの少しだけ、胸を張った。その時だった。
「グラスさん」
聞き慣れた声が、後ろから聞こえた。
「え?」
振り返る。そこには、買い物袋を片手に持ったドロイが立っていた。
「ドロイさん……」
「戻ってきたら、すごいことになっていますね」
ドロイは周囲を見渡す。
倒れた看板。散らばった瓦礫。そして、先ほどまで戦闘が行われていた跡。
「もしかして……エイリ星人が?」
ドロイの視線がグラスへ向く。。
「はい……エイリ星人が出て、オレが倒しました」
「そうですか」
ドロイは驚いた様子を見せながらも、すぐに柔らかく笑った。
「怪我はありませんか?」
「え?」
「腕です」
言われて、グラスは自分の腕を見る。エイリ星人に引っかかれた部分から、少し血が滲んでいた。
「これくらいなら、大丈夫です」
「そうですか」
ドロイはグラスの腕を確認すると、安心したように頷いた。
「それならよかったです」
「……」
グラスは俯いた。
そして、少し迷ってから口を開く。
「ドロイさん」
「はい」
「オレ……怖かったです」
「でしょうね」
「足も動かなかったし……一瞬、逃げようとも思いました」
ドロイは何も言わず、グラスの話を聞いている。
「でも……あの人たちが逃げられなくて」
グラスは先ほど助けた人々の方を見る。
「だから……オレがやらないとって思って」
「……」
「それで、動けました」
ドロイは静かに頷いた。
「それは、とても大切なことですよ」
「……大切?」
「ええ」
ドロイは買い物袋を持ち直す。
「怖くなかったから戦えたんじゃありません」
「……」
「怖かったのに、それでも前へ進んだんです」
グラスは目を見開いた。
「それは、立派な強さだと思いますよ」
「……」
その言葉を聞いて、グラスは眼鏡の奥で目を細めた。
「……ありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます」
「え?」
「あなたがここにいてくれて」
ドロイは穏やかに笑う。
グラスは少し照れたように顔を背けた。
「……なんか、恥ずかしいですね」
「そうですか?」
「そうですよ」
二人の間に、静かな笑いが生まれる。
グラスは、静かに自分の拳を見つめていた。まだ、戦いの感覚が残っている。エイリ星人の攻撃を受けた腕には痛みがあった。足も、戦っている間は気づかなかったが、今になって少し震えている。怖かった。本当に怖かった。悲鳴が聞こえた時、自分が助けに行かなければならないと分かっていた。それでも、足は動かなかった。
ドロイがいなかったから。分身もいなかったから。一人で戦わなければならなかったから。けれど――それでも、最後には動いた。
グラスはゆっくりと顔を上げる。先ほどまでエイリ星人がいた場所には、もう何も残っていない。助けた人たちも、無事に避難できている。その事実を確かめるように、グラスは周囲を見渡した。そして、小さく息を吐く。
「……こんな、才能がないオレでも、何とか守れました」
その言葉には、喜びだけではなかった。
これまで何度も失敗してきた自分への、少しの悔しさ。
自分には何もないと思っていた時間。
何をやっても上手くいかず、周りから取り残されていった感覚。それらが、まだ胸の奥に残っている。だからこそ、グラスは自分を「才能がない」と言った。
ドロイはそんなグラスの横顔を見つめていた。すぐには言葉を返さない。夕暮れの光が街を照らしている。さっきまで響いていた戦闘の音も、今はもう聞こえない。
ただ、遠くから人々の話し声が聞こえてくる。やがてドロイは、穏やかな声で言った。
「怖くても立ち向かうその勇気が才能です」
「……」
グラスは、ドロイを見る。その言葉が、すぐには胸に入ってこなかった。
才能。それは、高い能力を持っていることだと思っていた。
勉強ができること。
戦いが上手いこと。
失敗せずに物事を進められること。
自分には、そういうものがない。だから、自分には才能がないと思っていた。
しかし、ドロイの言葉を聞いていると、その考えが少しだけ違って見えてくる。
怖くても逃げなかった。足が動かなくても、一歩を踏み出した。傷つくかもしれないと思っても、それでも人を守るために前へ出た。それは、誰かに与えられた力ではない。自分自身で選んだものだった。グラスは眼鏡を押し上げる。
「……勇気が、才能……」
小さく呟く。その言葉を、確かめるようにもう一度胸の中で繰り返す。まだ、自分が本当に才能を持っているとは思えない。今までの失敗が消えたわけでもない。これからも、きっと失敗する。それでも――
今日の自分だけは、少しだけ違った。
「……ありがとうございます、ドロイさん」
「いえ」
ドロイはいつものように、穏やかに笑った。
そして、買い物袋を持ちながら帰り道を指さす。
「帰りましょうか」
「……はい」
グラスも頷く。
二人は並んで歩き始めた。夕暮れの街を、ゆっくりと進んでいく。グラスは何度か、自分の拳を見た。そこには、特別なものは何もない。ただ、戦って、守った。それだけだった。
けれど、その「それだけ」が、今のグラスにとっては大きな一歩だった。少し前までなら、自分は何もできないと思っていた。けれど今は違う。できるかどうか分からなくても――
踏み出すことはできる。
グラスは前を向いた。夕日の残る道を、ドロイとともに帰っていった。




