気晴らし
ドロイは、グラスをしばらく静かに見つめていた。立派な使命を持ってECOに入ったわけではない。グラスはそう言った。
グラスが自分を卑下していることは分かっていた。
けれど、それをすぐに否定するつもりはなかった。ECOに入った理由は、人によって違う。
誰かを守りたいという者もいれば、エイリ星人への恐怖から力を求める者もいる。
自分自身の事情を抱えている者もいる。
そして、グラスのように――自分にできることを求めて、この場所へ来た者もいる。それを立派かどうかで決める必要はない。ドロイはそう考えていた。
「……グラスさん」
「はい」
「少し、外を歩きませんか?」
「外……ですか?」
グラスが顔を上げる。
「ええ」
ドロイは窓の外へ視線を向けた。
夕日はすでに低い位置まで沈み、街全体を柔らかな光で照らしている。
「気晴らしに、散歩でもしましょう」
そう言ってから、ドロイは少しだけ笑った。
「せっかくですから、パトロールも兼ねて」
「パトロール……」
グラスは窓の外を見る。
いつもなら、授業や訓練が終わればすぐに寮へ戻る。今日もそうするつもりだった。けれど、今は少しだけ外へ出てみたい気分だった。
「……いいんですか?」
「もちろんです」
ドロイは立ち上がった。
机の上を片付け、教科書を鞄へしまう。
グラスもそれに続いて、自分の荷物をまとめ始めた。二人で教室を出る。廊下には、もうほとんど人の姿がない。夕方のアモリス支部は昼間とは違って静かだった。窓から差し込む橙色の光が廊下を長く照らし、二人の影を床へ伸ばしている。
外へ出た瞬間、少し冷たい風が二人の間を通り抜けた。
グラスは思わず空を見上げた。
「……綺麗な空ですね」
「ええ」
空は赤と橙が混ざり合い、その向こうには少しずつ夜の色が広がり始めている。
街にも明かりが灯り始めていた。
仕事を終えて帰宅する人。買い物袋を持って歩く人。学校帰りの学生。昼間と変わらない、いつもの街の光景だった。
ドロイはゆっくりと歩き出す。
グラスもその隣を歩いた。
「夕日を見ながら街を歩くのもいいものですよ」
「……そうですね」
グラスは小さく頷いた。
さっきまで胸の中にあった重さが、ほんの少しだけ薄くなった気がした。もちろん、悩みが消えたわけではない。自分の不器用さも。勉強が苦手なことも。これまで友達が少なかったことも。何も変わってはいない。それでも――
こうして誰かと並んで歩いている。
それだけのことが、グラスには少し新鮮だった。
二人は街を歩きながら、周囲へ目を向ける。
異常がないか。困っている人はいないか。いつものパトロールだ。けれど今日だけは、グラスにとって少し違っていた。戦うためでもない。訓練のためでもない。
夕日はさらに低くなり、建物の隙間から差し込む光も少しずつ弱くなっている。
街には仕事帰りの人や、買い物を終えた人々が行き交っていた。グラスも周囲を見渡しながら歩いていた。特別な異常はない。エイリ星人の姿も見えない。穏やかな時間だった。
そんな中、ドロイがふと足を止めた。
「そういえば……」
「どうしました?」
「少し買いたいものがあるんでした」
ドロイは周囲を見回す。どうやら近くに店があるらしい。
「グラスさんは、ここで少し待っていてもらえますか?」
「分かりました」
ドロイは近くの店へ向かおうとする。
「すぐ戻ります」
「はい」
そう言って、ドロイは歩いていった。
グラスはその場に残った。
近くにはベンチが置かれている。グラスはそこへ腰を下ろした。背もたれに身体を預け、空を見上げる。先ほどまでの夕焼けは少しずつ色を変え、街には夜の気配が近づいていた。
「……」
静かだった。人々の話し声。車が通り過ぎる音。店から聞こえてくる音楽。どれも、いつもと変わらない街の音だった。
グラスはぼんやりとそれを聞いていた。
今日一日のことを思い返す。授業で何度も間違えたこと。ドロイに教えてもらったこと。ECOに入った理由を話したこと。そして、こうして一緒に街を歩いていること。
「……少しは、変われるのかもな」
小さく呟いた。その時だった。
「――――!」
突然、街の一角から大きな悲鳴が響いた。
グラスの身体が反射的に動く。
「きゃあああっ!」
「逃げろ!」
「エイリ星人だ!」
その言葉が聞こえた瞬間――
グラスの表情から、それまでの穏やかさが消えた。
立ち上がる。
周囲の人々も、一斉に悲鳴の聞こえた方向へ視線を向けていた。
逃げ惑う人。子供の手を引く親。
その場から離れようとする人々。街の空気が、一瞬にして変わった。
「エイリ星人……!」
グラスは息を呑んだ。
ドロイはまだ戻っていない。
けれど、考えている暇はなかった。
「どうすれば....」
グラスは悲鳴の聞こえた方向を見据えた。




