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エデン  作者: ko-da
第2部 4章 才と勇気編

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不器用

後輩達が書いていた大体の問題は合っていた。

だが――グラスの書いた数式だけは、どこかが微妙にずれていた。

「……あれ?」

グラスは自分のノートを見つめ、首を傾げる。数字そのものは間違っていない。計算も、途中までは合っている。それなのに、式を並べていくと、なぜか答えが噛み合わなくなる。隣からノートを覗き込んでいたドロイが、静かに指を差した。

「ここです」


「……ここ?」


「はい。符号が一つ逆になっています」


「…………」

グラスはしばらく黙って、その部分を見つめた。そして、小さく息を吐く。

「すいません……不器用なもので」


「大丈夫ですよ」

ドロイは淡々と答えた。


その横では、エデンが緋山のノートを覗き込んでいた。


「ここはこうじゃない?」


「えっ? あ、本当だ!」


「式を一個ずつ追えば大丈夫だよ」


「エデン先輩、分かりやすい!」


「俺も昔はこういうの苦手だったからね」


「嘘でしょ!」

教室に緋山の声が響く。


グラスはそのやり取りをちらりと見たあと、再び自分のノートへ視線を戻した。

「……よし」

今度こそ間違えない。そう思って、もう一度式を書き直す。しかし――

「…………」

また、どこかがずれた。


「グラスさん」


「はい」


「そこです」


「…………はい」

グラスは静かに消しゴムを取った。



そして、授業終了の鐘が鳴った。

「――今日はここまでだ」

大山がそう告げると、教室に張り詰めていた空気が一気に緩んだ。椅子を引く音。教科書を閉じる音。それぞれがノートや筆記用具を片付け始める。エデンもノートを閉じ、隣の緋山へ声をかけた。

「終わったね」


「はい!今日の授業ちゃんと分かりました!」


「それならよかった」

少し離れた場所では、亜爆がナロクのノートを確認している。

「ここ、計算は合ってますよ」


「本当ですか?」


「ええ。ただ、途中式はもう少し丁寧に書いたほうがいいですね」


「分かりました!」

そんな中――

グラスは、自分の机に残されたノートをじっと見つめていた。ページには、何度も消して書き直した跡が残っている。数式の途中で間違え。計算を間違え。ドロイに指摘されて直し。また別の場所を間違える。その繰り返しだった。グラスはノートを閉じると、席を立った。そして、隣で教科書を片付けていたドロイのところへ向かう。

「ドロイさん」


「はい?」


「……何度も何度も訂正してもらってすいません」

グラスは申し訳なさそうに頭を下げた。

「授業中、何回も間違えてしまって……」


「大丈夫ですよ」

ドロイは穏やかに答えた。

「少しずつやっていけばいいんです」


「……少しずつ」


「はい」


ドロイはグラスのノートを見る。そこには確かに、たくさんの訂正の跡があった。けれど――

「最初に比べれば、最後の問題はかなり良くなっていますよ」


「……そうですか?」


「ええ。間違えたところを直して、次の問題で同じ間違いを減らしていました」

グラスはノートを見つめる。自分では、ただ何度も間違えていたようにしか思えなかった。だが、ドロイの言葉を聞いて改めて見てみると、最初のページより最後のページのほうが、確かに間違いは少なくなっている。

「……本当だ」


「ですから、焦らなくて大丈夫です」

ドロイは教科書を閉じた。

「分からないことがあれば、その都度聞いてください。私も分かる範囲で手伝います」


「……ありがとうございます」

グラスは小さく笑った。


「その気持ちがあれば十分ですよ」

ドロイはそう言って、教室を出る準備を始める。

グラスも自分のノートを鞄へしまった。ほんの少しだけ――

今日の授業が、嫌なものではなくなった気がした。

しかし。帰る準備を終えたグラスは、なぜかその場から動かなかった。教室には、少しずつ人が少なくなっている。先ほどまで聞こえていた大山の声も、机に向かう生徒達の筆記音も、今はもうない。窓の外から聞こえる風の音だけが、静かな教室の中に入り込んでいた。グラスは鞄を持ったまま、自分の机の前に立っていた。

さっきまでドロイに教えてもらっていた数式が、頭の中に残っている。間違えて。訂正されて。また間違えて。そのたびにドロイは嫌な顔一つせず、間違った場所を教えてくれた。


『大丈夫ですよ。少しずつやっていけばいいんです』


その言葉を思い返す。優しい言葉だった。だからこそ――

グラスの表情は晴れなかった。

「……」

そんなグラスの様子に、ドロイが気づく。

「どうかしましたか?」


「……え?」

グラスが顔を上げる。

ドロイは急かすことなく、ただ静かにグラスを見ていた。グラスは何かを言おうとして、口を閉じた。そして、少しだけ視線を落とす。言ってしまっていいのか。こんなことを話してもいいのか。そんな迷いが、表情に滲んでいた。しばらく沈黙が続いた。

やがてグラスは、ゆっくりと眼鏡を直す。その仕草は、いつもの彼と変わらない。けれど、その声は少しだけ違っていた。

「実は、オレ……不器用すぎて、昔から友達が少なかったんです」


ドロイは何も言わずに聞いている。

グラスは続けた。

「何かをやろうとしても、大体ケアレスミスを連発して失敗するんです」

言葉にするたびに、グラスの目が少しずつ伏せられていく。

今日だけの話ではない。今日、授業で何度も間違えたから落ち込んでいるわけでもない。ずっと昔から、自分の中にあったものだった。何かを始めようとする。頑張ろうとする。けれど、肝心なところで間違える。周りが一度でできることを、自分だけ何度もやり直す。そして、そのたびに誰かの手を煩わせる。それが積み重なっていく。

「ちゃんとやろうとは思ってるんです」

グラスは自分の手を見つめた。

「でも、どうしてもどこかで間違えるんです」

その声には、悔しさが混じっていた。

「だから……周りからは、何をやっても失敗する奴って思われてたんだと思います」

グラスは苦笑した。笑っているようで、どこか寂しい笑いだった。

「別に、誰かに嫌われたかったわけじゃないんです」


「……」


「オレだって、友達が欲しかった」

その言葉だけは、妙にまっすぐだった。静かな教室に落ちていく。グラスはそこで一度、言葉を止めた。自分からこんな話をするのは、初めてだった。

「……だから今日も」

グラスはノートを取り出した。何度も消して書き直した跡が残っている。

「また同じことをしてるなって思って」

グラスはページを見つめた。

「せっかくドロイさんに教えてもらったのに、何度も間違えて……」

自分でも嫌になる。そんな気持ちが、声の端に滲んでいた。

「昔と何も変わってないんじゃないかって」

その言葉を最後に、グラスは黙った。静かな教室。窓から差し込む光が、机の上に細長く伸びている。ドロイはすぐには答えなかった。グラスの言葉を遮らず、ただその場に立っていた。やがて――

「……グラスさん」

穏やかな声が、静かな教室に響いた。

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