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エデン  作者: ko-da
第2部 4章 才と勇気編

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日常の一つ

翌朝。

ECOアモリス支部の教室には、朝の静かな空気が流れていた。窓から差し込む光が机の上へ伸び、まだ少し眠たそうな空気を照らしている。

教室の前方では、大山(おおやま)が黒板に向かっていた。手にしたチョークを動かしながら、教科書に載っている数式を一つずつ書き写していく。

「ここはこうなって……」

黒板に数字と記号が並んでいく。今日の授業は、ECO隊員として活動するうえで必要になる基礎科目だった。戦闘訓練だけではない。能力の性質を理解するためにも、状況を判断するためにも、最低限の知識は必要になる。

そして今、大山が教えているのは、主に新人たちのための授業だった。エデン、ドロイ、亜爆にとっては、一度受けたことのある内容である。そのため、三人は授業を聞きながらも、時折後輩たちの様子を見ていた。


「…………」

エデンは自分の教科書を開いたまま、隣の席を覗き込む。

緋山(ひやま)は黒板と教科書を交互に見ながら、必死に式を書き写していた。

「えっと……ここが……」


「そこ、先にこっち計算すると分かりやすいよ」


「え?」


エデンが教科書を指差す。

「ここを計算してから、最後にこの数字を入れるんだって」


「なるほど!」

緋山はすぐにノートへ視線を戻した。

「分かりました!」

勢いよくペンを走らせる。

その様子を見て、エデンは小さく笑った。


少し離れた席では、ドロイがグラスのノートを覗いていた。

グラスは眼鏡を押し上げながら、難しそうな顔で数式を眺めている。

「ここまでは理解できます」

グラスが呟く。

「ですが、この部分の変形が……」


「この式を一度、別の形にすると分かりやすいですよ」

ドロイが落ち着いた声で説明する。

「こうしてから、こちらを代入します」


「……ああ」

グラスの表情が少し明るくなる。

「なるほど」


亜爆の周囲では、ナロクが真剣な顔でノートと睨み合っていた。

「……」

亜爆は横からナロクのノートを見る。

式の途中で、ペンが完全に止まっている。

「分からないところがありますか?」


「……はい」

ナロクは素直に答えた。

亜爆がノートを覗き込む。

「ここですね」


「どうしてここで、この数字になるんですか?」


「前の式を整理するとこうなります」

亜爆が指で順番を示す。

ナロクは何度か頷きながら、同じように計算していく。

「……あ、本当だ」


「焦らず順番にやれば大丈夫ですよ」


「ありがとうございます!」

教室の中には、そんな小さなやり取りがいくつも生まれていた。前に授業を受けた先輩たちが、今度は後輩たちへ教えている。それは戦闘とはまったく違う時間だった。黒板に書かれる数式。ページをめくる音。ペンがノートを走る音。そんな音に囲まれながら、エデンはふと教室全体を見回した。

少し前まで、自分たちが座っていた場所。今はそこに、新しい仲間たちがいる。

「……なんか、不思議だね」

エデンがぽつりと言う。


「何がですか?」

緋山が顔を上げる。

「俺たちも、最初はこうやって教えてもらってたんだよね」


そう言われて、緋山は少し考える。

「じゃあ、今度は私たちが教えてもらう番ってことですか?」


「うん。それで、いつかは緋山たちが誰かに教える側になるんじゃないかな」


「……!」

緋山は少しだけ嬉しそうに笑った。

「なんか、それいいですね!」


その声に、教室の前方から大山が振り返る。

「おーい、私語はそこまでにしておけよ」


「あ、すみません!」

緋山が慌てて黒板を見る。

エデンも苦笑しながら教科書へ視線を戻した。

再び、チョークの音が教室に響く。昨日まで知らなかったことを学ぶ後輩たち。それを支える先輩たち。そして、その様子を見守る大山。静かな朝の授業。戦いのない時間は、こうして少しずつ積み重なっていく。

エデンは黒板を見つめながら、ふと思った。こういう時間も――。

ECOで過ごす日々の、大切な一部なのかもしれない。


一方、その教室の中で少しだけ立場が特殊な二人がいた。

シオンとフルトである。二人は一応、先輩と後輩という関係になっている。しかし――


「…………」

シオンは教科書を開いたまま、黒板を見つめていた。


「…………」

その隣では、フルトもまた同じように黒板を見つめている。


二人とも、完全に黙っていた。

理由は簡単だった。今、大山が教えているこの授業。実はシオンもフルトも、受けたことがない。つまり――


「……シオンさん」

フルトが小声で呼びかける。


「なに?」


「これ……分かりますか?」


「…………」

シオンは黒板を見る。


数式が並んでいる。教科書を見る。同じような数式が載っている。もう一度、黒板を見る。そして――

「……分からない」

小さな声で答えた。フルトは少しだけ安心したような、それでいて困ったような顔になる。

「よかった……」


「なんで?」


「いえ……シオンさんなら分かるのかなって」


「ぼくも初めてだから」

シオンはそう言って、もう一度教科書へ目を落とした。

先輩としてフルトを教える。そう決めたばかりだった。

エリア・ストラスでの出来事を思い返せば、シオンにはまだ「先輩」としての自分に自信がない。だからこそ、せめてこういうところではちゃんとしなければと思っていた。しかし――

まさか授業そのものを知らないとは思っていなかった。

「……どうしよう」

シオンが呟く。

その声を聞いて、フルトも困ったように教科書を眺める。


「二人とも、そこはこうですよ」

突然、横から声がした。二人が振り向く。そこにはドロイがいた。

「この式を先に整理すると、次の式になります」

ドロイが教科書を指差す。

シオンは説明を聞きながら、何度か頷く。

「……あ」


「分かりましたか?」


「うん。たぶん」


「たぶん……?」

フルトが小さく呟く。


「大丈夫。たぶん分かった」

シオンが真剣な顔で言う。


フルトは少しだけ笑った。


「じゃあ、二人でやってみましょうか」


「うん」

二人は揃ってノートへ向き直る。先輩と後輩。

けれど、この瞬間だけはそんな関係すら少し曖昧だった。教える側と教えられる側。そのどちらにもなりきれない。それでも、二人で同じ問題に向き合う。そんな光景もまた、ECOアモリス支部の日常の一つになりつつあった。

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