先輩と後輩
シオンは亜爆に礼を言い、訓練場を後にした。扉が閉まる。静かな廊下に出たシオンは、先ほどまでの会話を思い返しながら歩いていた。
――後輩のことを、しっかり気にかけていればいい。
亜爆の言葉が頭の中に残っている。
「……」
シオンは小さく息を吐いた。
自分が考えていたよりも、ずっと単純なことなのかもしれない。先輩だからといって、何でもできる必要はない。フルトに適切な指示を出せなかった自分も、まだ先輩になったばかりなのだから仕方がない。大切なのは、失敗しないことではない。失敗したなら、次はどうするか。そして、後輩が困っているなら、そのことに気付いてあげること。そんなことを考えながら歩いていると――。
「亜爆さん!」
後ろから、聞き覚えのある大きな声が響いた。
シオンが足を止める。振り返ると、先ほどまで話していた訓練場の扉が開いていた。そこから入ってきたのはナロクだった。ナロクは亜爆の姿を見つけると、まっすぐに駆け寄っていく。
「特訓に付き合って頂けませんか!」
「ナロク君?」
亜爆は少し驚いた顔をする。
「どうしたんです、急に」
「まだラベジニウムを上手く扱えなくて!」
ナロクは拳を握りしめる。
「早く能力を習得したいんです!」
真っ直ぐな瞳で亜爆を見る。
「なるほど……」
亜爆はナロクを見つめる。
「分かりました。じゃあ、少しやってみますか」
「ありがとうございます!」
ナロクは勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「そんなに気合い入れなくても大丈夫ですよ」
「いえ!自分は一刻も早く強くなりたいんです!」
「まあまあ、焦らずに」
そんな二人のやり取りを、少し離れた場所からシオンは見ていた。ナロクは亜爆の話を真剣に聞いている。亜爆もまた、そんなナロクに付き合おうとしている。シオンはその光景を眺めながら、ふっと口元を緩めた。
「……フフッ」
昨日までなら、自分が何とかしなければならないと思っていた。先輩として、後輩を導かなければならない。けれど――
こうして、それぞれの先輩と後輩が少しずつ関係を作っている。それでいいのかもしれない。シオンは二人の邪魔をしないよう、静かにその場を離れた。廊下の向こうへ歩いていく。その背中には、昨日までのような不安そうな様子はなかった。
「……ぼくも、頑張ろう」
小さく呟いて、シオンは自分の担当する後輩――フルトのことを思い浮かべた。
次に会ったときは、まず話をしてみよう。どんなことが苦手なのか。何を不安に思っているのか。そして、自分に何ができるのか。まだ答えは分からない。それでも、少しずつでいい。シオンはそう思いながら、静かな支部の廊下を歩いていった。
先ほどまで亜爆とナロクがいた訓練場から離れ、支部の中を進んでいく。しばらくすると、支部の一角にある休憩スペースが見えてきた。そこには見覚えのある姿があった。小さく縮こまるようにして椅子に座り、一冊の本を読んでいる。フルトだった。
シオンは少しだけ立ち止まった。話しかける。それだけのことなのに、妙に緊張する。昨日、緋山と一緒にエデンの家へ行ったときとは違う。今回は、自分が先輩として向き合わなければならない相手だ。シオンは意を決して、フルトへ近づいていく。
「……フルト」
「うわっ!」
フルトの肩が大きく跳ねた。持っていた本を落としそうになり、慌てて抱え直す。
「シ、シオンさん……!」
「そんなに驚かなくても……」
「す、すみません!」
「謝らなくていい」
シオンはフルトの向かいに座った。
フルトは少し落ち着かない様子でシオンを見る。
「どうしたんですか?」
「ちょっと話したくて」
「ぼ、僕とですか?」
「うん」
シオンは少し間を置く。
「この前の任務のこと」
その言葉を聞いた瞬間、フルトの表情がわずかに曇った。
「……はい」
「ごめん」
シオンはすぐに頭を下げた。
フルトは目を丸くする。
「え?」
「エリア・ストラスのとき、僕がちゃんと指示を出せなかった」
「そ、それは……」
「君を危険な目に遭わせた」
シオンは顔を上げる。
「先輩として、あれはよくなかったと思ってる」
フルトはしばらく何も言わなかった。やがて、ゆっくりと首を横に振る。
「シオンさんだけのせいじゃないです」
「でも……」
「僕も、何をすればいいのか分かりませんでした」
フルトは自分の手を見つめる。
「怖くなって……動けなくなって……」
その声は小さかった。
「だから……僕も、もっと強くならないといけないと思っています」
シオンは黙ってフルトの話を聞いていた。
「僕、ECOに入ったばかりで……まだ何もできません」
フルトは苦笑する。
「能力だって、ちゃんと使えるわけじゃないし……戦うのも得意じゃないです」
「……」
「でも、だからって誰かに守ってもらってばかりじゃ駄目だと思うんです」
フルトは顔を上げた。その目には、まだ不安が残っていた。けれど、その奥には確かな意思もあった。
シオンはそれを見て、少しだけ安心する。
「じゃあ、一緒に頑張ろう」
「……え?」
「ぼくも先輩としてまだまだだから」
シオンは少し照れくさそうに笑った。
「だから……一緒に強くなろう」
フルトは驚いたように目を瞬かせる。
そして――小さく笑った。
「……はい」
「うん」
「よろしくお願いします、シオンさん」
「こちらこそ」
二人の間に、少しだけ穏やかな空気が流れた。シオンは立ち上がる。
「それと」
「はい?」
「今度、訓練するときはぼくに言って」
「訓練……ですか?」
「うん。ぼくも付き合うから」
フルトは一瞬驚いたあと、嬉しそうに頷いた。
「分かりました」
シオンはその返事を聞き、今度こそ安心したように微笑んだ。先輩として何をすればいいのか。まだ、明確な答えは分からない。けれど――
少なくとも、目の前にいる後輩を知ろうとすること。それなら、今の自分にもできる。シオンはそう思いながら、フルトと並んで休憩スペースを後にした。




