亜爆の先輩観
マルが去っていったあとも、しばらくの間、三人はその場に立っていた。
寮の周囲には、休日らしい静かな空気が流れている。先ほどまで聞こえていたマルの声も、今ではすっかり遠くなっていた。ドロイはポケットに入れた金属板を確認するように、服の上から軽く触れる。
「ビーム……か」
その呟きを聞いて、エデンが考える。
「手から出るのかな......いや......口か?」
「口からはちょっと怖いですね」
「ドロイなら大丈夫」
シオンがそう言う。それから、三人は寮の前で別れることになった。
エデンはこれから別の用事があるらしく、ドロイも自身の身体の状態を確認するため、一度部屋へ戻るという。
「じゃあ、俺は戻ります」
「うん。また訓練とかで会おう」
「はい」
エデンとドロイがそれぞれの方向へ歩き出す。
シオンもその場に残ったまま、二人の背中を見送った。やがて、二人の姿が見えなくなる。静かになった道で、シオンは一人立ち尽くしていた。
「……」
今日一日で、いろいろなことがあった。昨日までは、自分が先輩としてちゃんと振る舞えているのか、そればかりを考えていた。エリア・ストラスでフルトに適切な指示を出せなかったこと。そのせいで、フルトが危険な目に遭ったこと。だから、自分は先輩として失格なのではないか。そんなことばかり考えていた。けれど、今日ドロイと話してみて、少し考え方が変わった。ドロイもまた、自分自身を良い先輩だとは思っていなかった。それでも、シオンに対して逃げずに話してくれた。自分の身体のことも、弱い部分も、隠さずに教えてくれた。そして、新しい力を手に入れようとしている。シオンは自分の右肩にあるインターフェースへ触れた。
「……先輩は完璧じゃないといけないと思ってたけど」
小さく呟く。
「先輩は.....」
先輩だから完璧でなければならない。そう思っていた。しかし、今日の出来事を振り返ると、少し違う気がしてきた。ドロイも、きっと完璧ではない。エデンも、きっと完璧ではない。それでも、それぞれが自分に出来ることをやっている。
「……完璧である必要はない」
シオンは顔を上げる。
そして、ある人物のことを思い浮かべた。亜爆。教育部隊の中で一番の年長。
「次は……亜爆」
シオンは歩き出した。エデンとは違う。ドロイとも違う。亜爆なら、どんなことを考えているのだろう。先輩として、後輩にどう接しているのだろう。シオンはそんなことを考えながら、亜爆のいる場所へ向かっていった。ただ、その足取りには昨日までのような不安だけではなかった。少しずつではあるが、自分なりに「先輩」というものを探し始めていた。
シオンは、亜爆がいる場所を探していた。休日ということもあり、普段より人の少ない支部は静かだった。廊下を歩いていると、遠くから何かを打ち込むような音が聞こえてくる。一定の間隔で響く、重い音。シオンはその方向へ足を向けた。訓練場の扉を開ける。
「……あ」
中には亜爆がいた。
一人で訓練をしていたらしく、汗を拭いながらこちらを振り返る。
「シオンさん?」
「えっと」
シオンは少し緊張した様子で近づいていく。
「どうしました?」
「少し……聞きたいことがあって」
「私にですか?」
亜爆は意外そうな顔をした。
シオンは頷く。
「先輩として……亜爆が意識してることを、聞きたくて」
「先輩として?」
「うん」
シオンは少し俯く。真剣な表情で亜爆に尋ねた。
「亜爆はどう考えてる?自分が先輩として」
少しの沈黙。亜爆は考えるように天井を見上げた。そして、苦笑する。
「あんまり深く考えてないです」
「……え?」
「先輩だからって、何でも知ってなきゃいけないわけでもないですし」
亜爆はそう言って、訓練場の壁へ背を預けた。
「私だって、ナロクさんを担当することになった時はどうすればいいのか分かりませんでしたよ」
「亜爆でも?」
「ええ」
意外そうなシオンに、亜爆は笑う。
「そもそも、私は人に何かを教えるのが得意なタイプじゃないですし」
「……」
シオンは黙って聞いていた。
亜爆は少しだけ表情を真剣なものに変える。
「ただ……」
その言葉に、シオンが顔を上げる。
「後輩のことを、しっかり気にかけていればいいと思います」
「気にかける……」
「はい」
亜爆は頷いた。
「任務中に後輩が困ってないか。何か無理をしてないか。ちゃんと戦えているか」
一つ一つ、ゆっくりと言葉にしていく。
「それだけでも十分だと思いますよ、私は」
シオンは少し考える。
「……それだけでいいの?」
「いいと思います」
亜爆は即答した。
「少なくとも、私はそう思っています」
そして、少しだけ笑った。
「後輩からしたら、ちゃんと自分を見てくれている先輩がいるっていうだけでも、結構心強いものです」
シオンはその言葉を聞いて、静かに目を伏せる。自分はずっと、何か特別なことをしなければならないと思っていた。正しい指示を出すこと。後輩を守ること。何でも知っていること。強くあること。
けれど――。
「……気にかける」
シオンが呟く。
「うん」
「それなら……ぼくにも出来るかも」
「出来ますよ」
亜爆は笑った。
「というか、もう出来てるんじゃないですか?」
「え?」
「わざわざ私のところまで来て、先輩として意識してることを聞いたのは」
「フルトさんのことを思ってのことでしょう?」
シオンは少し驚いた。
亜爆は続ける。
「それって、もう十分に後輩を気にかけてるってことじゃないです?」
「……」
シオンはしばらく何も言わなかった。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「ありがとう」
「いえいえ」
「……少し、分かった気がする」
「それなら良かった」
シオンは訓練場の出口へ向かう。
扉の前で一度立ち止まり、振り返った。
「亜爆」
「はい?」
「ナロクのこと……ちゃんと見てあげてね」
「……」
亜爆は一瞬だけ目を丸くした。やがて、苦笑する。
「もちろん」
「そちらこそ、先輩として頑張ってください」
シオンは小さく頷いた。




