ドロイの話
翌日の朝。
アモリス支部に併設された寮には、まだ休日らしい静けさが残っていた。
任務がないため、普段なら早朝から訓練へ向かう隊員たちの姿も少ない。廊下を歩く足音もまばらで、窓から差し込む朝の光だけが、建物の中をゆっくりと照らしていた。
その中を、シオンは一人で歩いていた。
昨日、エデンの家を訪れたことで、彼女の中には一つの考えが生まれていた。先輩として、もっとしっかりしなければならない。
シオンは寮の自動扉の前で足を止めた。昨日はエデンについて知ろうとした。けれど、それだけでは足りない。
「……次はドロイの所に行こう」
シオンは寮の入口付近で待っていた。しばらくすると、自動扉が開く。中からドロイが出てきた。
「……あれ?」
ドロイはシオンに気づき、足を止める。
「シオンさん?」
「おはようございます」
ドロイは少し不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか? こんなところで」
昨日までなら、シオンは何か言い訳を考えながら隠れていたかもしれない。けれど、今日は違った。シオンはまっすぐドロイを見る。
「少し、話したいことがあって」
「俺にですか?」
「うん」
ドロイは少し驚いた顔をしたものの、すぐに頷いた。
「分かりました。そこら辺で話しましょうか」
二人は寮の脇にあるベンチへ向かった。
朝の風が静かに吹いている。シオンはベンチに座ることなく、立ったまま少し俯いていた。
「……エリア・ストラスのこと」
「はい」
「ぼく、フルトにちゃんと指示を出せなかった」
ドロイは黙って聞いている。
「先輩なんだから、もっとしっかりしないといけないと思ってた。でも……実際に任務になると、どうすればいいのか分からなくなって」
シオンは自分の右肩にあるラベジニウムのインターフェースへ一瞬だけ目を向けた。
「だから……正直に言うと」
少しだけ息を吸う。
「ぼくは、先輩として相応しくないかもしれない」
言葉にしてしまうと、思っていた以上に重かった。シオンは目を伏せる。
しかし、しばらく待ってもドロイから返事がない。
「……」
やがてドロイが口を開いた。
「正直、俺も自分自身がいい先輩だとは思ってません」
「え?」
シオンが顔を上げる。
ドロイは苦笑していた。
「なんせ、後輩を持つのが初めてですから」
その言葉に、シオンは少し目を丸くする。
ドロイはベンチへ腰を下ろした。
「俺だって、グラスさんにどう接すればいいのか、まだ分かってません」
「ドロイでも……?」
「もちろんです」
ドロイは即答した。
「クロウ島でも、俺は自分のことで精一杯でした。今度は自分が先輩として誰かを守る立場になる。そう考えると、簡単なことじゃないですよ」
シオンは黙って聞いていた。
「だから、シオンさんだけが悩んでいるわけじゃないと思います」
「……」
「それに」
ドロイはシオンを見る。
「先輩だからって、最初から完璧じゃなくてもいいんじゃないですか?」
その言葉に、シオンの表情がわずかに変わった。
「完璧じゃなくても……?」
「はい」
ドロイは穏やかに頷く。
「分からないなら、後輩と一緒に考えればいい。危険なことがあったら、自分一人で行動せずに他の隊員へ相談すればいい」
そして、少しだけ笑った。
「少なくとも、俺はそうするつもりです」
シオンはしばらく何も言わなかった。
昨日エデンの家で感じたものとは、また少し違う。エデンは、先輩として特別な何かをしているわけではなかった。そしてドロイもまた、完璧な先輩ではない。それでも二人とも、自分なりに後輩のことを考えている。
「……ドロイ」
「はい?」
「ありがとう」
シオンは小さく頭を下げた。
「少しだけ.......気が楽になった」
「それならよかったです」
ドロイは立ち上がる。
「それに、フルトさんもシオンさんのことを悪く思ってないと思いますよ」
「本当?」
シオンの口元に、ほんの少し笑みが浮かんだ。
朝の静かな寮の前。二人はしばらく、その場で話を続けた。まだ二人とも、先輩としてどうすればいいのか分からない。けれど――
分からないからこそ、一緒に悩むことはできる。
それだけでも、昨日までとは少し違っていた。
二人が寮の前で話を続けていると、ドロイがふと自分の右腕へ手を伸ばした。何かを確かめるように、腕の関節付近を指先で何度か触れる。
シオンはその様子を不思議そうに見つめた。
「……それ、何してるの?」
「これですか?」
ドロイは自分の腕を見下ろす。
「シオンさんは、俺の身体について知ってますか?」
「身体……?」
シオンは首を傾げる。
ドロイは少しだけ考えたあと、腕を軽く叩いた。
「俺は身体が機械なんです」
「……え?」
シオンの目が大きくなる。
以前からドロイが特殊な身体をしていることは知っていた。しかし、こうして本人から改めて聞かされると、やはり驚きは隠せなかった。ドロイは自分の腕を動かしながら説明する。
「宇宙風邪という病気の影響で、身体の重要な器官を機械に置き換えています。見た目は普通に見えるようになってますけど、中身は結構いろいろ改造されてるんですよ」
「そうだったんだ……」
シオンはドロイの腕をじっと見る。
「で……今はそのメンテナンスをしてるんですが……」
ドロイは腕の側面にある小さな接続部分へ指を伸ばした。
カチッ。小さな音がする。
「ここを外して……」
さらに内部を調整する。
「それから、この部分を……」
シオンは横から覗き込む。
「大丈夫なの?」
「大丈夫です。いつも自分でやってますから」
ドロイは慣れた手つきで作業を進めていく。しかし――
「……あれ?」
動きが止まった。
「どうしたの?」
「いや……」
ドロイがもう一度、接続部分を確認する。
「ちょっと待ってください」
カチ。もう一度取り付ける。しかし――
「……」
腕が動かない。
ドロイは無言で腕を見つめる。
「……」
「……」
シオンも黙って見つめる。
ドロイはもう一度腕を動かそうとした。
「……動かないですね」
「え?」
「メンテナンス、失敗しました」
あまりにも淡々と言うので、シオンは一瞬反応できなかった。
「え、ええ!?」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ!?」
「落ち着いてください」
「腕が動いてないよ!?」
「はい」
「はいじゃなくて....」
シオンが慌ててドロイの腕を見る。
ドロイはそんなシオンとは対照的に、妙に冷静だった。
「まあ……よくあることです」
「よくあるの!?」
「たまにあります」
「たまにって……」
シオンは困ったようにドロイを見る。
ドロイは自分の動かなくなった腕を持ち上げようとする。しかし、腕はまったく反応しない。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
やがてドロイがぽつりと言った。
「……どうしましょう」
「それを今考えてるの!?」
シオンは思わず声を上げた。
先ほどまでの真面目な先輩談義が、いつの間にか機械のメンテナンス失敗の話になっている。ドロイは困ったように自分の腕を見つめていた。




