家でのエデン
フェイルは台所に立つと、手際よく食材を並べ始めた。
休日の昼前。
普段なら静かに過ごしているはずの家の中には、今日はいつもより少しだけ賑やかな空気が流れていた。息子がECOの任務で家を離れてから、こうして友人を連れて帰ってくること自体が珍しい。
しかも今日は、エデンが連れてきたというより、偶然ついてきた二人がそのまま家に招かれた形だ。
フェイルはそんな事情など気にする様子もなく、鼻歌交じりに鍋を取り出した。
「せっかくだから、ちょっと早いけど昼ご飯にしましょうか」
「えっ、いいんですか?」
緋山が目を輝かせる。
「もちろんよ。二人とも遠慮しないでね」
「ありがとうございます」
シオンも小さく頭を下げた。
普段のシオンは感情を大きく表に出すことは少ない。だが、フェイルの言葉には少しだけ表情が柔らかくなっていた。
その横ではリュートが杖を片手に椅子へ腰を下ろしている。
「久しぶりのお客さんだからな。フェイルも嬉しくなってるんだ。ぜひ食っていってくれ」
「そんなに久しぶりなんですか?」
緋山が尋ねる。
「まあな。エデンは昔から家に友達を連れてくることが少なかったから」
「父さん、余計なこと言わなくていいって」
エデンが呆れたように言う。
「本当のことだろ」
「そうだけどさ……」
緋山は思わず笑ってしまった。
任務中のエデンしか知らなかった彼女にとって、こうした姿を見るのは新鮮だった。
ECOの隊員として戦うときのエデンは、どこか飄々としているように見えても、戦闘になれば真っ先に前へ出る。だが、家では普通の高校生と変わらない。父親に余計なことを言われれば嫌そうな顔をし、母親に食事を勧められれば断り切れない。その違いが、妙に面白かった。
やがて、台所から香ばしい匂いが漂ってくる。フェイルが鍋の蓋を開けると、湯気とともにカレーの香りが部屋いっぱいに広がった。
「カレーですよ」
「カレー!」
緋山が思わず声を上げる。
シオンも鍋を見る。
「……いい匂い」
「でしょう?」
フェイルは嬉しそうに笑った。
エデンも立ち上がり、台所を覗き込む。
「今日カレーなんだ」
「そうよ。みんなで食べるなら、これくらいがいいかなって」
「うん」
エデンは鍋の中を覗き込む。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「ルー少ないじゃん」
鍋の底が少し見えていた。人数を考えると、全員分を盛るには少し心許ない量だった。フェイルも鍋を確認する。
「……本当」
「俺、買ってくるよ」
エデンはすぐに玄関へ向かう。
「え? エデン先輩が?」
緋山が驚く。
「この近くに店あるから。二人の分は先に作っておいて」
「でも、せっかくのお休みなのに……」
「別にこれくらいなら大丈夫だって」
エデンは靴を履きながら振り返る。
「シオンと緋山は先に食べて待ってて」
「……分かった」
シオンが頷く。
「はい!」
緋山も元気よく返事をした。
エデンはそのまま玄関の扉を開ける。
「じゃ、行ってくる」
「気をつけてね」
フェイルの声を背中に受けながら、エデンは家を出ていった。
扉が閉まる。家の中に、再び静かな時間が戻った。
「……なんか」
緋山がぽつりと呟く。
「何?」
シオンが尋ねる。
「エデンさんって、家だと普通なんですね」
「普通?」
「はい。もっとこう……」
緋山は少し考える。
「ECOでは強くて、頼りになって、なんでもできる人って感じだったから」
「……確かに」
シオンも頷く。
その言葉に、リュートが小さく笑った。
「あいつは昔から変わらないよ」
リュートは窓の外へ目を向ける。
エデンが歩いていった方向。
「戦いでは強くなったらしいが……家に帰ってくれば、俺たちにとってはいつまでも息子だ」
フェイルが二人の前に皿を置いた。
「二人とも、お腹空いてるでしょう?」
「はい!」
「……ありがとうございます」
「ふふ。遠慮しなくていいからね」
カレーの皿から立ち上る湯気が、二人の視界を少しだけ白くする。シオンはスプーンを手に取った。けれど、すぐには食べず、少しだけカレーを見つめた。
「……先輩」
「え?」
「どうしたら、ちゃんとした先輩になれるんだろう」
突然の言葉だった。
緋山もシオンを見る。
シオンはスプーンを握ったまま、少し俯いている。エリア・ストラスでの出来事が、まだ頭から離れていなかった。フルトに上手く指示を出せなかったこと。その結果、フルトが危険な目に遭ったこと。あのとき大山が助けてくれなければ、どうなっていたか分からない。シオンは自分の判断不足をずっと気にしていた。
「……先輩として、もっとしっかりしないと」
「シオン先輩」
緋山はシオンを見る。
「私も頑張ります」
「……え?」
「私、エデンさんを選んだけど、エデンさんだけに頼るつもりはありません」
緋山はスプーンを握る。
「私も強くなります。だから、シオン先輩も一緒に頑張りましょう」
シオンは少し目を見開いた。そして、ほんの少しだけ笑う。
「……うん」
二人の前に置かれたカレーから、湯気が立ち上っている。その光景は、戦場からはあまりにも遠い。
四ヶ月前。エイリワスとの戦いによって、多くのものが失われた。街は壊れ、多くの隊員が傷つき、そしてジエル・レートは消息を絶った。エデンたちの中には、その傷がまだ残っている。それでも、時間は進んでいく。新しい隊員が入り、新しい関係が生まれ、新しい任務が待っている。そして、その中で彼らは少しずつ先へ進んでいかなければならない。
シオンはスプーンですくったカレーを一口食べる。
「……美味しい」
「本当?」
フェイルが嬉しそうに尋ねる。
「はい」
緋山も一口食べる。
「美味しいです!」
「よかった」
リュートも満足そうに頷いた。
そんな家の中から少し離れた場所。エデンは財布をポケットに入れながら、近所の店へ向かって歩いていた。休日の街。戦いの傷跡が残る場所も多い。それでも、人々は少しずつ日常を取り戻そうとしている。




