手合わせ
新人加入から二日後。訓練室には、乾いた打撃音が何度も響いていた。アモリス支部に設けられた訓練用の広い空間。壁際には訓練用の器具が並べられ、床には何度も使用された跡が残っている。その中央で、エデンとドロイが向かい合っていた。その様子を、緋山が少し離れた場所から見ている。
ドロイが静かに構えた。エデンは一度だけ息を整えると、地面を蹴った。一瞬で距離が縮まる。エデンの拳がドロイの顔面へ向かって放たれる。しかし――
ドロイはそれを片手で受け止めた。
「……!」
エデンの拳が、ドロイの掌の中で止まる。そのままドロイは身体を捻った。
「そこです」
次の瞬間、ドロイの蹴りがエデンへ迫る。エデンは能力を発動し、反射的に身体を後ろへ引いた。リミットリフレクス。身体そのものを強化するのではなく、反射神経を極限まで高めるエデンの能力の一つ。迫る足を紙一重でかわす。ドロイの足がエデンの髪をかすめた。その瞬間、エデンは懐へ入り込む。
「――そこ!」
掌底がドロイの胸元へ叩き込まれる。重い衝撃。ドロイの身体が後方へ吹き飛び、床を滑っていく。やがて足を止めたドロイは、身体を起こした。大きな損傷はない。それでも、その表情には僅かな驚きが浮かんでいた。
「クロウ島の時よりも、断然強くなってます」
ドロイはエデンを見ながら言った。その言葉に、エデンは拳を軽く握り直す。
「ずっと鍛えてましたから」
短い返答だった。だが、その言葉には四ヶ月間の時間が込められていた。ジエルがいなくなったあと。エデンは戦うことをやめなかった。自分がもっと強ければ。もっと早く動けていれば。もっと多くのものを守れていれば。そんな思いを抱えながら、何度も訓練を繰り返してきた。緋山は二人の戦いをじっと見ていた。
エデンの動きは速い。だが、それ以上に彼女が感じたのは、エデンが一つ一つの動きを無駄なく繋げていることだった。ただ強くなっただけではない。戦うことに慣れている。そして、その強さの裏側に何かを背負っている。緋山はそんなエデンの背中を見つめながら、静かに拳を握った。
自分も、いつかこの人の隣で戦えるようにならなければならない。そんな思いが、少しずつ胸の中に芽生えていた。
訓練室の壁際では、先ほどから緋山が二人の戦いをじっと見つめていた。エデンはそんな彼女の視線に気づくと、ドロイとの距離を取りながら声をかけた。
「緋山」
「は、はい!」
突然呼ばれたことに驚いたのか、緋山は背筋を伸ばす。
「せっかくだし、緋山も一緒に訓練しない?」
「私もですか?」
「うん。数日後には任務なんだし、能力も見ておきたいから」
エデンがそう言うと、緋山は少し考えるように視線を落とした。そして、小さく頷く。
「分かりました」
緋山が訓練室の中央へ歩いてくる。エデンはそこで、ふと思い出したように尋ねた。
「そう言えば、緋山もラベジニウム持ってるんだよね」
「え....あ、はい」
「どんな能力なの?」
その質問に、緋山は少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「あ……ええっと……」
言葉を探すように視線を泳がせる。
「私の能力は……変化です」
「変化……?」
ドロイが興味深そうに聞き返した。
「姿を変えられるということですか?」
「はい。そういう能力です」
緋山は深呼吸をする。
「……やってみます」
緋山の身体から、淡い煙が噴き出した。
「おお?」
エデンが目を見開く。煙は一瞬にして緋山の全身を包み込み、彼女の姿を完全に隠した。
そして――
ボンッという小さな破裂音とともに、煙が晴れる。そこに立っていたのは、エデンそっくりの姿をした緋山だった。髪。顔立ち。体格。服装まで、まるで鏡からエデン本人が出てきたかのようだった。エデンはしばらく言葉を失った。自分と同じ顔をした緋山が、目の前に立っている。あまりにも自然な変化だった。
「……俺?」
思わずエデンが自分の顔を指差す。緋山――いや、エデンの姿をした緋山は頷いた。
「はい。エデンさんになれます」
ドロイも珍しく目を見開いていた。
「これは……かなり精度が高いですね」
「そうだな……」
エデンは自分の姿をした緋山を眺める。声まで似せられている。外見だけなら、知らない人が見れば本人と見間違えてもおかしくない。
「変化って、ものにもなれるの?」
エデンが尋ねる。緋山は元の姿に戻りながら答えた。
「はい。人だけじゃなくて、いろんなものに変化できます」
「いろんなもの……?」
「ただ、まだ練習中なので、何でも完璧に変化できるわけじゃありません」
緋山は少し照れたように笑った。エデンはその言葉を聞いて、改めて彼女の能力について考える。姿を変えるだけなら、戦闘能力そのものは高くないようにも見える。だが――
使い方次第では、かなり厄介な能力になる。エデンは緋山へ向き直った。
「じゃあ、実際に戦ってみよう」
「えっ」
「緋山の実力を見てみたい」
緋山は一瞬驚いたものの、すぐに表情を引き締めた。
「……はい!手合わせお願いします!」
訓練室に、再び緊張感が戻っていく。新しく入った隊員たちの能力。その実力を知るための訓練が始まる。
訓練室の空気が張り詰めた。エデンと緋山は、一定の距離を取って向かい合っている。先ほどまでの模擬戦とは違い、今度は緋山自身の戦闘能力を見るための訓練だった。
「じゃあ、来て」
エデンがそう言った瞬間だった。
緋山が地面を蹴った。
「――はい!」
速い。先ほどまでの明るく元気な様子からは想像できないほど、緋山の動きには荒々しさがあった。一直線に突っ込む。拳を振り、エデンが避ければすぐに身体を捻って追撃する。右。左。さらに踏み込み、低い姿勢から拳を突き上げる。エデンはそれを身体を傾けてかわした。緋山の拳が空を切る。しかし、緋山は止まらない。そのまま地面に手をつき、身体を回転させる。脚がエデンの足元を狙った。
「危ない」
エデンは跳んで避ける。着地した瞬間、緋山がまた迫ってきた。その動きには、洗練された武術のようなものはない。むしろ野性的だった。相手の動きを見て、その場で最適だと思った攻撃を次々と繰り出している。だが、それだけに予測しづらい。ドロイは少し離れた場所から二人を見ていた。
「……かなり戦えますね」
緋山の攻撃を見ながら、ドロイが呟く。エデンもそれを感じていた。新人とは思えない。身体能力も高い。そして何より、攻撃をためらわない。
「行きます!」
緋山は変化によって、煙を出す。緋山が大きく踏み込んだ。緋山は今度はドロイに姿を変える。
「はあっ!」
煙の中から拳が迫る。煙による攪乱とドロイの姿になったことによる拳のリーチを活かした攻撃、エデンはそれを受け流した。緋山の身体が僅かに崩れる。エデンはその隙を逃さない。エデンは緋山の腕を掴み、身体を回転させた。
「えっ――」
次の瞬間。緋山の身体が床へ倒れ込む。エデンはそのまま腕を抑え、動きを封じた。能力は一切使っていない。それでも、緋山は完全に制圧されていた。
「……参りました」
緋山が変化を解いて、床から顔を上げる。エデンは手を離し、立ち上がった。
「強いよ、緋山」
「でも、エデンさんには全然届きませんでした」
「経験の差もあるからね」
エデンはそう言って、緋山に手を差し出す。緋山はその手を掴んで立ち上がった。少し息を整えたあと、緋山はふと思い出したように口を開く。
「そういえば……」
「ん?」
「ジエルさんとエデンさんって、どっちが強かったんですか?」
その質問に、エデンは少しだけ目を伏せた。そして、迷うことなく答える。
「ジエルの方が強いよ」
「……やっぱり」
緋山は小さく呟いた。エデンはそんな緋山の反応を見て、少し不思議に思った。最初に教室へ入ってきたときからそうだった。緋山は、ジエルを探していた。そしてジエルがいないと知ったときも、明らかに気にしていた。エデンは少し考えてから尋ねる。
「緋山って、ジエルに助けられたこととかあるの?」
緋山は一瞬だけ黙った。それから、静かに頷く。
「……はい」
「前に、エイリ星人から守ってくれたことがあって」
その言葉を聞いて、エデンは少し驚いた。
「そうだったんだ」
「はい」
緋山はそう答えながら、少しだけ遠くを見るような目をした。
四ヶ月前。エイリワスとの戦いが起きるよりも前。彼女の中には、一人のECO隊員との記憶が残っている。それが、ジエル・レートだった。




