久しい人物
教室の扉が、再び開いた。エデンはそちらへ視線を向ける。そして――目を見開いた。入ってきたのは、特徴的な紫色の髪をした男だった。その姿をエデンは知っている。
「……え?」
亜爆も同時に立ち上がりかけた。
「まさか……」
男は二人の反応を気にする様子もなく、教室の中へ歩いてくる。その姿を見た瞬間、エデンの脳裏にクロウ島での出来事が蘇った。怪盗団ルノンブル。そして――かつて敵として戦った男。
「シェイド!?」
エデンの声が教室に響いた。
「なんでここにシェイドが!?」
亜爆も驚きを隠せない。
「確か、自首したはずでは……?」
紫髪の男は足を止めた。そして、二人を見た。
「……シェイド.....その名前は怪盗としての偽名だ」
「え?」
エデンが目を瞬かせる。男は少しだけ息を吐く。
「言ってなかったな」
そう言って、自分の胸元に手を当てる。
「俺の本当の名前は――ラナン・キュラスだ」
教室に沈黙が落ちた。エデンと亜爆は互いの顔を見る。ドロイも興味深そうにラナンを見つめていた。胸ポケットから顔を出していたオルも、ぱちぱちと瞬きをする。
「シェイドじゃなくて、ラナン・キュラス……」
「そういうことだ」
ラナンは淡々と答える。
ラナンはそう言うと、教室の中を見渡した。そして、エデンたちのいる方へ視線を戻す。
「それに……」
少しだけ口元を上げる。
「お前達教育部隊に入るのは俺じゃない」
「……え?」
エデンの表情が変わった。ラナンは自分の後ろへ振り返る。開いたままの扉。その向こうには、まだ誰かがいる。大山もそれを確認すると、何も言わずに待った。
「俺はこいつを連れてきただけだ」
ラナンがそう言った直後だった。開いた扉の向こうから、ゆっくりと一人の少女が姿を現した。白い髪。静かな表情。教室へ入ってきた少女は、先ほどまでのやり取りを聞いていたのか、少しだけ呆れたような目をラナンへ向けた。
「……キュラスが勝手についてきただけでしょ」
その言葉に、ラナンは肩をすくめる。
「不安そうな顔してたろ」
「してない」
少女は淡々と言い返した。エデンは少女の姿を見つめていた。
「…月下美人?」
その名前を口にした瞬間。少女の表情がほんの少しだけ変わった。
「……今はもう違う」
ラナンが少女の代わりに口を開いた。
「今のこの子の名前は――シオンだ」
「シオン……」
エデンはその名前を繰り返した。豪華客船クローズフェザー号で遭遇した怪盗団。白石研究所での一件。あの時とは、何もかもが違って見えた。
「……色々あったんですね」
亜爆が静かに言う。
シオンは答えず、教室の中を見渡した。その視線がエデンと交わる。ほんの一瞬。シオンは何かを確かめるようにエデンを見つめた。そして、すぐに視線を逸らした。
「……ここで戦い方を学ぶ。それだけ」
短い言葉だった。だが、その声には以前とは違うものがあった。エデンはその変化を感じ取る。
「そっか」
それ以上は聞かなかった。大山は二人が入ってきたことを確認すると、名簿へ目を落とした。
「よし。これで二人目だな」
教室には、かつて敵だった者と、かつて共に戦った者が同じ場所に集まり始めていた。エデンは二人の背中を眺めながら、ふと思う。四ヶ月前なら、こんな光景は想像もできなかった。それに、まだ扉の向こうには新しい隊員が残っている。その光景には、エデンも亜爆もまだ少し違和感を覚えていた。
ラナンはそんな二人の様子を見て、軽く息を吐く。
「まあ、いきなり俺たちがここにいても納得できないだろ」
そう言って、ラナンは自分の事情から話し始めた。
「俺はECOの協力者として、ECOの監視下で活動することになった」
「協力者……」
エデンが呟く。
「そうだ。正式な隊員とは少し違う。俺の場合、これまでの活動や能力をECO側でも利用する価値があると判断されたらしい。」
ラナンは苦笑する。
「もちろん、好き勝手に動いていいわけじゃない。行動にはある程度の制限があるし、ECOから監視もされている」
「なるほど……」
亜爆は納得したように頷いた。怪盗として活動していたラナンを、いきなり普通の隊員として扱うのは難しい。それでも、彼の持つ能力やこれまでの経験を考えれば、ECOにとって貴重な戦力になることも理解できた。ラナンは続ける。
「それと、シオンについてだ」
その名前を出されたシオンは、黙ったままラナンを見る。
「シオンは年齢的にも、怪盗としての活動が無罪になってな」
エデンは少し驚いた。
「無罪……?」
「ああ。事情も考慮されたってことだ。だから、本来なら普通に生活していけるはずだった」
ラナンはそこで一度言葉を切った。そして、隣に立つシオンを見る。
「だが、こいつはどうしても戦いたいと言って聞かなかった」
シオンは相変わらず静かな表情をしていた。けれど、その言葉を否定することはなかった。
ラナンは少し困ったように笑う。
「普通に生きる道もあったんだぞ。それでも本人が選んだ」
「……戦いたいから」
シオンが短く言った。その声には迷いがなかった。エデンはシオンを見る。以前の彼女を知っているからこそ、その言葉の重さを感じていた。ラナンは話を続ける。
「だから、入隊試験を受けさせた」
大山が名簿を確認しながら口を挟む。
「そして、合格した」
「そういうことだ」
ラナンが頷く。
するとシオンが淡々と付け加えた。
「受かった」
あまりにも簡潔な言葉だった。
エデンは思わず少しだけ笑う。
「……自信あるんだな」
シオンはエデンを見る。
「必要だったから」
その返答に、エデンは何も言わなかった。ただ、その目には以前とは違う決意が宿っているように見えた。ジエル・レートが消えてから四ヶ月。ECOは新たな人員を集め始めている。その中には、かつて敵として出会った者もいた。そして、これからこの教室に集まる新人たちが、どんな未来を作っていくのか。エデンはまだ知らなかった。
ラナンはそれ以上何も言わず、軽く手を上げた。
「じゃあ、俺はここらで行く」
大山が頷く。
「分かった」
ラナンはそのまま教室の扉へ向かい、廊下へ出ていった。教室に残ったのは、エデン、亜爆、ドロイ、シオン、そして大山だった。エデンは改めてシオンへ視線を向ける。以前とは違う。
怪盗としてではなく、ECOの隊員としてここにいる。
しかし、エデンが気になったのは別のことだった。大山が資料を確認しながら口を開く。
「そういえば、シオンとラナンの身体にはラベジニウムが埋め込まれていた」
「……ラベジニウム」
エデンが反応する。ラナンとシオンは昔、月下香という男に人体実験を受けていた。その時に二人は身体にラベジニウムを埋め込まれている。
大山は続ける。
「本部の手術によって摘出した。今はインターフェースを取り付けている」
シオンは何も言わず、自分の右肩へ手を添えた。制服の下。そこには、ラベジニウムを接続するためのインターフェースが取り付けられている。以前とは違う形で、彼女は再びラベジニウムの力を扱えるようになっていた。エデンはその右肩を見つめる。
「……本部で手術したのか」
「そう」
シオンは短く答え、右肩を軽く動かした。特に痛みを感じている様子はない。
「大丈夫」
その言葉を聞いて、エデンは小さく頷いた。クローズフェザー号で敵として向き合い、白石研究所ではラナンと共に救った少女。その少女が今、自分たちと同じ教室にいる。そして、その身体にはECOの隊員として戦うための新しい力が備えられている。
大山は再び教卓へ向き直った。
「これからは、シオンもお前たちと同じ教育を受ける」
シオンは静かに席へ向かった。椅子を引き、腰を下ろす。エデンはそんな彼女を見ながら、ふと考えた。この四ヶ月で、ECOは変わった。自分たちも変わった。
そして――これからは、今までとは違う仲間たちと戦うことになる。教室には、再び静かな時間が戻っていた。




