エイリワス決戦⑩
エイリワスの身体が大きく揺れた。ジエルの拳が確かに腹部へとめり込み、そのまま巨体を数十メートル先まで吹き飛ばす。地面を転がり、ようやく停止したエイリワスは、ゆっくりと身を起こした。
「……」
その顔には困惑が浮かんでいた。
(何故だ)
頭の中で何度も状況を整理する。
(何故攻撃された?)
確かに今、自分は別次元へ存在を固定していた。通常の攻撃が届くはずはない。
(同じ次元からの攻撃……?)
そんなはずはないとエイリワスは考える。ジエルはエイリワスの目の前にいた。別次元へ入った形跡もない。
(ならば……)
エイリワスはすぐさま能力を発動しようとした。
「次元」
しかし。何も起こらない。空間は裂けず、身体も別次元へ移行しない。能力が反応しなかった。エイリワスの瞳がわずかに見開かれる。
(……どういうことだ)
もう一度発動を試みる。
「次元」
やはり発動しない。能力そのものが封じられていた。
(能力が使えない……何故だ)
その瞬間だった。先ほど自分が飲み込んだジエルの左腕。その感触を思い出す。
(まさか)
一つの可能性が頭をよぎる。
(今、私が体内へ取り込んだものは……)
思考が一気に繋がる。
(ラベジニウムか)
その結論へ至った瞬間だった。
「うおおおおおっ!」
黒い電撃をまとったジエルが一気に距離を詰める。考える暇など与えない。右拳が頬へ叩き込まれた。鈍い衝撃。エイリワスの首が大きく曲がる。続けて腹部。肘。膝蹴り。黒い雷をまとった連撃が容赦なく降り注ぐ。電撃が全身を駆け巡り、人間の身体を焦がしていく。
「ぐっ……!」
エイリワスは防御へ移ろうとする。だが次元は使えない。死体操作を使おうとする。
「ネクロマンサー....」
エイリワスが能力を発動すると、周囲に転がる死体が一斉に立ち上がる。しかしジエルは迷わず踏み込み、拳を叩き込む。死体を退けたジエルはエイリワスに攻撃をする。右拳。回し蹴り。雷の刃による斬撃。怒涛の攻撃が次々と叩き込まれる。エイリワスは吹き飛び、岩へ激突する。ジエルはさらに踏み込む。
「終わりだ!」
黒い電撃が爆発するように拳へ集まり、その一撃がエイリワスの胸を打ち抜いた。轟音が森へ響く。岩盤が砕け、砂煙が舞い上がる。その中でエイリワスはなおも考え続けていた。
(ラベジニウムだとしても……)
自分の体内へ取り込めば能力が使えなくなることは理解できる。だが。
(彼も能力が使えなくなっているはずだ)
ジエルの能力は発動している。黒い雷は今も身体を包み続けている。矛盾していた。理解できない。一方で、拳を振るい続けるジエルは心の中で静かに呟く。
(……上手くいったぞ)
(ラベンダー)
──二日前。
進化の種を摘出するため。そういう名目でジエルはアモリス刑務所を訪れていた。その中でも、厳重な警備が敷かれた特別収容エリア。一般の収容区画とは違い、この場所は重い静寂に包まれていた。金属製の壁と扉が並んでいる。そこを一人の青年が歩いていた。
ジエル・レート。
その前を歩くのは看守長カルアだった。足音だけが廊下に響く。やがてカルアは、一枚の鉄扉の前で立ち止まった。カルアは静かに振り返った。
「……ここだ」
重い駆動音が鳴る。ギギギ、と鉄扉がゆっくり開いていく。中には、机へ向かって腰掛けている一人の男がいた。茶髪。穏やかな目元。白衣姿の男。ラヴァンデ・ラベンダー。ラベジニウムを世界で最初に発見した人物であり、現在はアモリス刑務所へ収監されている天才研究者だった。ラベンダーは本から視線を上げる。そして入ってきた人物を見て少しだけ目を細めた。
「……ジエル君か……どうしたのかな」
ジエルは迷いなく答えた。
「手術をして欲しい」
その一言にラベンダーの表情が変わる。驚き。そして困惑。
「……手術?」
ジエルは静かに頷いた。
それから椅子へ腰掛けると、エイリワスとの戦い。進化の種。自分の記憶。そして三日後に迫る決戦。全てを順番に説明していった。ラベンダーは最後まで一言も口を挟まなかった。ただ黙って聞き続ける。話が終わる頃には部屋には静寂だけが残っていた。ジエルは懐から小さなケースを取り出す。それを机へ置く。中には流鹿から受け取ったラベンダー本人のラベジニウムがあった。
ラベンダーはそれを見る。小さく息を吐いた。
「……なるほど」
そしてカルアへ視線を向ける。
「手術室を貸してもらおう」
カルアは何も言わず頷いた。
「分かった」
数十分後。刑務所内の手術室。
無影灯が白く室内を照らしている。医療器具が整然と並び、薬品の匂いが漂っていた。ラベンダーは手袋を装着しながらカルテを確認していく。ジエルは手術台へ腰掛けていた。
「では始める前に確認するよ」
ラベンダーは穏やかな声で尋ねる。
「現在治療中の病気は?」
「特にねぇ」
「過去の病歴は?」
「ねぇ」
「服薬中の薬は?」
「飲んでねぇ」
「食物や薬品のアレルギーは?」
「聞いたことねぇな」
「朝食は?」
「食ってねぇ」
ラベンダーは頷きながら記録していく。その間、ジエルは部屋の隅へ置かれているガラスケースを眺めていた。中にはラベジニウムが保管されていた。ジエルは不思議そうに尋ねた。
「……あれは?」
ラベンダーも視線を向ける。
「ああ……」
少し懐かしそうに笑う。
「過去に摘出したラベジニウムだよ……」
「ラベジニウムを間違えて飲み込んでしまった人がいてね……その時に摘出した物なんだ」
その言葉を聞いた瞬間。ジエルの頭の中で、一つの考えが繋がった。しばらく黙り込んだ後。ゆっくり口を開く。
「なあ」
ラベンダーが振り向く。
「進化の種が埋め込んである所にあのラベジニウムを埋め込めたりとかは出来るのか?」
その質問に。ラベンダーの動きが止まった。手に持っていた器具も。呼吸さえ。静寂が流れる。数秒。いや、十数秒だったかもしれない。ようやくラベンダーは口を開いた。
「……君はまさか」
静かな声だった。
「自分の腕を犠牲にするつもりか?」
ジエルは目を逸らさない。
「あいつの身体の中には、たぶん次元のラベジニウムがある」
「進化の種が入ってると思ってる左腕にラベジニウムを入れとけば……」
拳を握る。
「次元の能力も無効化出来るんじゃねぇか」
ラベンダーはゆっくり首を横へ振る。
「それは……いい作戦とは言えないね」
その声には珍しく感情が混じっていた。
「リスクが高い」
「そもそも進化の種が無いことを見抜かれるかもしれない」
「それに、進化の種を摘出したことで、君が今まで得てきた身体能力の強化が失われる可能性もある」
しかしジエルは即座に返した。
「だったら進化の種を左腕以外の場所に埋め込めばいい」
ラベンダーは真っ直ぐジエルを見る。
「体内に埋め込めばエネルギーが乱れ、君の力も使えなくなる」
ジエルはそれに対して聞き返す。
「エネルギーが混ざらないようにはできねぇのか?」
「出来なくはない....埋め込んだラベジニウムを使わないなら.....エネルギーが外に行かないように機器で保護すればいい」
「だが.....そうなるとエイリワスの体内に取り込ませた後が問題になる」
「なら取り込ませる時全力でぶん殴ってその機器を壊せばいいだろ」
ジエルは迷いなく言い返す。
ラベンダーはそんなジエルの瞳を見る。その目は医師としてのものだった。
「問題はリスクだけじゃない」
「倫理的にも大きな問題がある」
「ECOが許可するはずがない」
ジエルは少しだけ笑った。
「言わなきゃいいだろ」
ラベンダーは目を閉じる。深く息を吐く。
「私はね」
静かな声だった。
「君のような若者が、こんな役割を背負うべきではないと思っている」
「考え直した方が……」
その言葉を遮るようにジエルが言った。
「分かった」
「じゃあこうだ」
ラベンダーは顔を上げる。
「ECOの作戦が失敗して、どうしようもなくなったらやる」
「それでいいだろ」
部屋の空気が張り詰める。ラベンダーは何も言わない。ジエルも何も言わない。ただ真っ直ぐ見つめ続ける。その瞳には覚悟しかなかった。長い沈黙の末。ラベンダーはゆっくり目を閉じた。
「……君もECOの隊員だ」
小さく息を吐く。
「その覚悟があるなら……」
「私は何も言わない」
そう言って器具を手に取る。手術が始まる。ラベンダーは自分の袖をまくり上げる。自身のインターフェースへラベジニウムを装着した。青白い光が淡く灯る。麻酔薬を準備し、ジエルの腕へ注射する。
「少し眠くなるよ」
ジエルは小さく頷いた。視界がぼやけていく。無影灯の光が滲む。意識が沈んでいく。最後に見えたのは、静かにジエルの左腕を触るラベンダーの姿だった。やがて完全に意識を失う。
ラベンダーは眠ったジエルを見つめ、小さく呟く。
「……必ず成功させよう」
そう言って右手をかざした。インターフェースが輝き始める。
「錬金術」
幾何学模様の光が幾重にも重なり、魔法陣が左腕を包み込んだ
──そして現在。
その時の決断が、エイリワスの「次元」を封じる一撃へと繋がっていた。




