エイリワス決戦⑨
黒い電流が、ジエルの身体から噴き出した。先ほどまで青白かった電撃は、墨を流し込んだように黒く染まり、周囲の空気を激しく震わせる。足元の地面が焦げ、草木が弾け飛ぶ。森に棲む鳥たちが一斉に飛び立ち、轟く雷鳴のような音が辺りに響いた。
「なっ……!」
ジエルは思わず自分の両手を見る。黒い雷。見間違えるはずがない。
「また……?」
先ほどエイリヤカとの戦いで、臨界雷怒は限界まで使い切った。身体中に溜まっていた黒い電気はすべて放出したはずだった。それなのに。今、再び黒い電流が身体から溢れ出している。
「今さっき全部出し切ったはずだ!」
黒い雷が腕を這い、肩を走り、全身を覆っていく。
「なんでまた出る!?」
困惑するジエルを見ても、エイリワスは驚く様子を見せなかった。むしろ、その現象を待ち望んでいたかのように静かに頷く。
「進化の種の力だ」
淡々とした声。
「君自身のエネルギー量が、とんでもない速度で増加している」
エイリワスはジエルを観察するように目を細めた。
「なるほど」
「実に興味深い」
黒い電流が暴れるたびに、ジエルの身体から発せられるエネルギーは膨れ上がっていく。まるで身体そのものが巨大な発電所へ変化しているようだった。エイリワスの口元がわずかに緩む。
「素晴らしい」
その一言が、ジエルの怒りにさらに火をつけた。
「好都合だ!」
地面が砕ける。ジエルは黒い稲妻を引き連れ、一瞬で距離を詰めた。拳。蹴り。肘。膝。怒涛の連撃。黒い雷が軌跡を描き、周囲の木々を焼き焦がしていく。しかし。
「くそっ!」
当たらない。何度攻撃しても、エイリワスは別次元に存在している。拳は空を切り、蹴りは虚空を裂くだけ。
「まだ理解していないのか」
エイリワスは静かに右手を動かした。その瞬間。周囲に転がるエイリ星人の死体が一斉に持ち上がる。まるで重力を失ったように宙へ浮かび、そのままジエルへ殺到した。
「うおっ!」
一体目を殴り飛ばす。二体目を蹴り砕く。しかし三体、四体、五体と次々にぶつかってくる。死体とは思えない質量。猛烈な勢いで身体へ激突する。
「ぐっ……!」
体勢が崩れた。その一瞬を、エイリワスは見逃さない。別次元から現れたその身体が、ジエルの目前へ姿を現した。鳥のように変形した脚。鋭い鉤爪。その脚が大きく振り上げられる。
「終わりだ」
蹴りが腹部へ直撃した。
「がはっ!」
肺の空気が一瞬で押し出される。身体がくの字に折れ曲がり、そのまま弾丸のような勢いで吹き飛ばされた。木々を次々となぎ倒しながら一直線に飛んでいく。太い幹がへし折れ、葉が舞い散る。やがて森を抜けた先。視界が一気に開ける。
「……!」
崖だった。そのまま岩肌へ激突し、転がる。ゴロゴロと地面を転がり、崖際でようやく止まった。背後では荒々しい波が岩へ打ち付けている。崖の下には海。逃げ場はない。
「……っ」
あまりにも重い一撃だった。黒い電流が一気に消えていく。臨界雷怒が解除される。ジエルの身体から黒い雷は消え、青白い電流だけがわずかに残った。
「……はっ」
呼吸ができない。肺が潰れたように苦しい。胸を押さえ、その場に膝をつく。視界が揺れる。それでも。
「……まだだ」
ゆっくりと。震える脚で立ち上がる。膝は笑い、身体中が悲鳴を上げている。それでも前を見る。崖の向こうから羽ばたく音が聞こえた。黒い翼を広げたエイリワスが、静かに降り立つ。まるで死神だった。
その姿を見ても、ジエルは一歩も引かない。
エイリワスは静かに口を開く。
「君一人戦ったところで」
「私には敵わない」
その声には嘲りも怒りもない。ただ、揺るぎない事実を述べているだけだった。
「さっさと諦めてしまった方が、楽に最後を迎えられる」
静かな風が吹く。ジエルは俯いた。肩が上下する。息は荒い。数秒後。ゆっくりと顔を上げる。
「……うるせぇよ」
かすれた声だった。それでも、その瞳だけは燃えていた。
「俺には……」
拳を握る。
「守りたいものがあんだよ……!」
脳裏に浮かぶ。エデン。亜爆。流鹿。天記。ドロイ。アモリス支部のみんな。
「今必死に戦ってるあいつらの為にも……!」
身体中の痛みを押し殺し、ジエルは一歩踏み出す。
「俺が!」
その叫びが崖へ響く。
「お前を倒す!」
──その頃。
アモリス地区。
エイリヤカとの戦いは、なおも続いていた。赤い刀が空を裂く。無数の斬撃が流鹿たちへ襲いかかる。
「ちっ!」
時輪が能力で自身のスピードを倍速にしながら避ける。
「しぶとい……!」
核を破壊したはずなのに、エイリヤカは倒れない。死体を操られているだけとは思えないほどの執念だった。再び巨大な斬撃が放たれる。その瞬間。
目の前へ分厚い鉄の壁がせり上がった。斬撃が激突し、火花を散らす。流鹿が振り返る。そこには一人の青年が立っていた。冷静な表情。ドロイ・アンドだ。
「増援……」
ドロイが静かに前へ出る。
「間に合いました」
インターフェースが発光する。
「鉄鋼製作」
鉄が出現し、両手へ長剣を形成する。重厚な二振りの鉄剣。流鹿は思わず笑みを浮かべた。
「ドロイ君か!」
ガントレットを構え直す。
「クロウ島での雪辱を果たすチャンスやで!」
ドロイは静かに頷いた。
「ええ」
「今回は負けません」
一方。
アモリス支部では、市民を守るための戦いが続いていた。避難している人々の悲鳴。隊員たちの怒号。建物へ近付くエイリ星人を食い止めるため、全員が必死に戦っている。
天記は銃を構え、正確に引き金を引く。放たれた弾丸が次々とエイリ星人を撃ち抜く。
その横では大山が能力を発動した。
「大地防壁!」
地面が盛り上がり、巨大な土壁が形成される。エイリ星人の突進を受け止め、そのまま壁ごと押し潰していく。誰一人として諦めてはいなかった。
そして。
アモリスとブウタを結ぶ道路。エデンと亜爆もまた、全力で走り続けていた。
「ジエル……!」
エデンは息を切らしながら前を見据える。
「信じろって言ってたけど……」
表情は曇っていた。
「流石に心配だ」
亜爆も黙ったまま走っていたが、不意に口を開く。
「一つ……気になることがあります」
エデンが視線を向ける。亜爆は真剣な表情だった。
「ジエルさんの走るスピードが、以前より数段速くなっていました」
その言葉にエデンの胸がざわつく。
「ジエルさんは……」
亜爆は前を見たまま続ける。
「本当に、アモリス刑務所で進化の種を取り除いたんですかね」
その一言。エデンの背筋を冷たいものが駆け抜けた。もし。
もしあの進化の種をジエルが――
摘出していないとしたら。
「……まさか」
エデンは嫌な予感を振り払うように首を振る。だが、その予感は消えることなく、胸の奥で静かに膨らみ続けていた。
ジエルは荒く息を吐きながら立ち上がった。全身が悲鳴を上げている。肋骨が軋み、肺は焼けるように熱い。それでも、その目だけは決してエイリワスから逸れなかった。
崖の下では荒れた海が絶え間なく岩へと打ちつけ、白い飛沫を巻き上げている。西へ傾いた太陽は空を赤く染め上げ、二人の長い影を地面へ落としていた。冷たい海風が吹き抜ける。
その風の中で、ジエルはゆっくりと左腕を見つめた。
(チャンスは……ここしかねぇ)
拳を強く握る。震えていた。恐怖ではない。覚悟だった。
「そんなに進化の種が欲しいのか?」
ジエルがエイリワスに問う。
「もちろん」
エイリワスは即答する。
ジエルはそれを聞くと、左腕を大きく振りかぶり、そのまま一直線に駆け出した。
「欲しけりゃ……くれてやるよ!」
その叫びを聞いた瞬間、エイリワスの口元が静かに吊り上がる。
「……そうか」
次の瞬間。ジエルの父の顔だったものが、大きく変形した。顎が裂けるように広がり、人間では到底あり得ない巨大な口へと変貌する。何重にも並ぶ鋭い牙が夕日に照らされ、不気味な光を放っていた。その口が一直線にジエルの左腕へ迫る。
しかし――。
「過剰適応!」
黒い雷が左腕へ集中する。一瞬だけ空気が震えた。ジエルはそのまま左拳を振り抜く。轟音。黒い雷を纏った拳がエイリワスの顔面へ叩き込まれた。衝撃で大地が砕け、周囲の木々が激しく揺れる。エイリワスの身体は大きく仰け反った。
だが、その代償もまた大きかった。エイリワスの巨大な口は、その勢いのままジエルの左腕へ噛みついていた。肉が裂ける音。骨が砕ける音。次の瞬間には、ジエルの身体が反動で吹き飛ばされる。崖際まで転がり、何度も地面を跳ねてようやく止まった。
「ぐっ……!」
左肩から先が軽い。いや――
無い。
左腕は肩口から先ごと消えていた。血が噴き出し、赤黒い液体が岩場を濡らしていく。激痛が脳を焼いた。視界が白く霞む。それでもジエルは歯を食いしばった。
エイリワスはゆっくりと身体を起こし、満足そうに笑う。
「少し焦ったよ……まさか自分の腕を犠牲に殴ってくるとは」
そう言いながら、自分の身体へ静かに目を向ける。
「しかし……これで君の体内で成長を続けた進化の種は私のものだ」
ジエルは何も返さない。震える右手だけが動いた。額に巻いていた青いはちまきを素早く外す。その動きに迷いはなかった。長年身につけてきた、兄と同じ青いはちまき。それをためらうことなく傷口へ押し当てる。歯で布を引っ張り、肩口へ何重にも巻き付ける。止血。動作はあまりにも速く、無駄がなかった。
エイリワスはその様子を静かに見つめる。
「素早いな……手慣れている……」
ジエルは返事をしない。応急処置を終えると、そのまま右拳を強く握った。拳が震える。そして、
拳を地面へ叩きつけた。地面が砕ける。
「ああああ!」
叫び声が夕暮れの崖へ響き渡る。黒い電気が全身から激しく噴き出し、周囲の岩を砕き始める。ジエルはそのまま立ち上がった。左腕を失ったまま。エイリワスに向かって走り出す。能力を発動させ、全身へ雷を纏わせる。
エイリワスはその姿を見ても表情を変えなかった。
「今攻撃を受けたのは進化の種を摂取するためだ」
冷静な声で告げる。
「もう攻撃を受けることはない」
その言葉にも、ジエルは耳を貸さない。ただ前だけを見る。距離が縮まる。右の拳へ雷が集まる。黒い稲妻が唸りを上げながら拳へ収束していく。エイリワスは避けようともしなかった。当たらない。そう確信しているからだ。
ジエルは叫びながら拳を振り抜く。
電撃を纏った右拳。
その拳は――
エイリワスに当たった。




