エイリワス決戦⑧
ジエルは走り続けていた。息は荒く、全身は戦闘の疲労で悲鳴を上げている。それでも足を止めることはなかった。目指す場所はただ一つ。
ブウタ地区――エリア・オズ。
兄が命を落とした場所。そして、エイリワスがいる場所。景色は次第に荒廃していく。道路には深い亀裂が走り、建物は崩れ、黒煙が空へと立ち昇っていた。進化個体との戦闘の痕跡が至る所に残っている。焦げた匂い。砕け散った瓦礫。焼け焦げたアスファルト。ジエルはそれらを横目に、さらに速度を上げた。
やがて、エリア・オズに入る。
「……ここか」
静寂だった。あれほど激しい戦闘があったとは思えないほど、周囲は静まり返っている。風だけが吹き抜け、瓦礫の間を砂埃が舞う。ジエルは拳を握り締め、一歩ずつ中へ進んでいく。
六年前。
兄・ゲートを失った記憶。進化の種を埋め込まれた痛み。エイリワスの顔。全てが頭をよぎる。
「……」
ここで終わらせる。そう心に誓い、さらに奥へ足を踏み入れた。すると。向こうから、ゆっくりと一つの影が姿を現す。黒い翼。鳥の脚へと変形した下半身。鋭く伸びた爪。そして、ジエルの父の顔。
「……来たか」
低く響く声。エイリワスだった。ジエルは無言で拳を構える。エイリワスはその姿を見て、口元をわずかに歪めた。
「まさか一人で来るとは思わなかったよ」
「歓迎しよう、ジエル・レート」
その言葉と共に、エリア・オズの空気が一変する。六年前から続く因縁。ジエルとエイリワス。二人の戦いが、ついに始まる。
風が吹くたびに、瓦礫が小さく音を立てる。その静寂の中心で、ジエルはエイリワスを真っ直ぐ睨みつけていた。父の顔を持ちながら、変形している身体。その姿を見るだけで胸の奥から怒りが込み上げる。拳を握る音が、自分でも聞こえるほどだった。
「……返せ」
低く呟く。
「親父の身体を……返せ!」
その叫びと同時に、ジエルのインターフェースが青白く発光した。
「発電機!」
激しい電流が全身を駆け巡る。足元から火花が散り、空気が焦げるような臭いが辺りへ広がった。ジエルは一気に地面を蹴る。加速。走る。その一歩ごとに能力が反応し、体内へ電気が蓄積されていく。発電機。動けば動くほど電気を生み出し、それを放出する能力。ジエルは一瞬でエイリワスとの距離を詰める。
「はぁぁぁぁっ!」
右脚を大きく振り上げる。電撃をまとった回し蹴り。まともに当たれば建物すら砕く威力。
しかし――
手応えがなかった。
ジエルの脚は、エイリワスの身体をすり抜けるように通過する。
「くそっ!」
そのまま体勢を立て直し、今度は拳を振るう。左右から休むことなく攻撃を叩き込む。だが。どれも当たらない。
次元の過剰適応。虚在。存在そのものを別次元へ固定する能力。同じ次元からの攻撃でなければ、決して届かない絶対防御。ジエルの拳は虚しく空を切るだけだった。
エイリワスは笑う。
「どれだけ攻撃しても無駄だ、君も知っているだろう。ジエル・ゲートが使っていた次元の過剰適応に攻撃は当たらない」
それでもジエルは止まらない。止まれば電気は溜まらない。止まれば勝機は消える。ジエルは走り続け、殴り続けた。エイリワスはそんな攻撃を一切気にする様子もなく、静かに口を開いた。
「君たちECOの手によって」
淡々とした声。
「私の最高傑作が、いとも簡単に破壊されてしまうとは思わなかった」
ジエルは舌打ちする。
「……!」
「まあ、私を殺すという君たちの作戦は失敗し、死者も出たようだが」
その言葉を聞いた瞬間、ジエルの怒りが爆発した。
「ふざけんな!」
右手へ大量の電気を集中させる。稲妻が刃の形を作り上げる。怒雷刃。
「お前の最高傑作なんて!」
横薙ぎ。空気を裂く電撃の刃。
「その程度なんだよ!」
一撃。二撃。三撃。何度も何度も振るう。電撃が周囲の木々を焦がし、大地へ無数の傷跡を刻む。しかし。やはり届かない。エイリワスは避ける素振りすら見せなかった。まるで目の前で子供が暴れているのを眺めるように、静かに立っている。
「終わったか」
その一言だけだった。エイリワスはゆっくりと右手を持ち上げる。指先が僅かに動く。その瞬間。周囲に散らばっていたエイリ星人の死体が、一斉に震え始めた。肉が蠢く音。何十体もの死体が無理矢理起き上がり、ジエルへ視線を向ける。
「……来い」
エイリワスが手を振る。その瞬間だった。死体が弾丸のような速度で飛び出す。
「!」
ジエルは反応する。拳で一体を殴り飛ばす。蹴りで二体目を砕く。電撃で三体目を焼き払う。だが。数が多すぎた。四体。五体。六体。次々と身体へぶつかってくる。
「ぐっ……!」
勢いを殺し切れない。一体が肩へ激突した瞬間、さらに別の死体が背中へぶつかる。バランスを崩したところへ、何体もの死体が雪崩のように押し寄せた。
「がぁぁぁっ!」
轟音。ジエルの身体は勢いよく吹き飛ばされた。森の木々を何本もへし折りながら一直線に飛んでいく。最後は太い大木へ激突した。幹が大きくひび割れ、葉が一斉に舞い落ちる。ジエルは木にもたれ掛かるように膝をついた。
「……っ」
口の端から血が垂れる。腕も痺れている。それでも拳だけは握ったままだった。ゆっくりと顔を上げる。その視線の先。エイリワスは一歩も動いていなかった。まるで最初から勝負にすらなっていないと言わんばかりに。冷たい目でジエルを見下ろしている。そして、その冷酷な声が静かな森へ響いた。
「一つ言っておくが……」
わずかに口角が上がる。
「私はもう、君を生かす気はない」
その言葉には嘘も、脅しもなかった。ただ事実だけを告げる、氷のような殺意が込められていた。
ジエルは、ゆっくりと立ち上がる。肩で息をする。全身が痛い。肋骨に鈍い痛みが走り、右腕も思うように動かない。それでも、その瞳だけは目の前の男を睨み続けていた。
エイリワスはそんなジエルの様子を静かに眺めている。焦る様子はない。勝利を確信した者だけが持つ、余裕そのものだった。森を吹き抜ける風が、二人の間を通り過ぎる。葉が揺れ、折れた枝が足元へ落ちる。その静寂を破るように、エイリワスがゆっくりと口を開いた。
「君の中にある進化の種を摂取し、私は進化する」
まるで今日の天気でも話すかのような、平坦な声だった。ジエルは何も返さない。ただ拳を強く握る。その反応を見て、エイリワスは僅かに目を細めた。
「ああ」
「君は進化の種について忘れていたんだったね」
六年間。天記によって封じられていた記憶。つい先日ようやく思い出したばかりの記憶が、ジエルの脳裏に蘇る。兄が胸を貫かれた光景。自分の左腕を裂かれた痛み。色とりどりの光を放つ小さな球体。それが左腕へ埋め込まれた瞬間の絶叫。服の下に隠れているその腕。外から見れば何も変わらない。エイリワスはその中には今もなお、進化の種が眠っていると思っている。
ジエルはゆっくりと顔を上げた。だが、何も言わない。その沈黙を肯定と受け取ったのか、エイリワスはさらに話を続けた。
「本当なら」
「私はもっと進化できるはずだった」
その声色には、わずかな惜しさが混じっていた。まるで貴重な研究資料を失った研究者のように。
「ジエル・ゲートの身体さえ手に入っていれば……」
その名前を聞いた瞬間。ジエルの瞳が揺れる。兄。ジエル・ゲート。誰よりも強く、誰よりも頼りになった兄。エイリワスはそんな反応さえ興味深そうに観察しながら話を続ける。
「わざわざ次元のラベジニウムと過剰適応を起こせる程、適応率が高い人間を探す必要はなかった」
森に静かな風が吹く。エイリワスは自分の手を見つめた。その手は今もジエルの父のものだった。ゆっくりと指を握り、開く。まるで性能を確認するように。
「もっとも」
「君の父の適応率が、そこそこ高かったからね」
その言葉に、ジエルの奥歯が軋む。父。エイリワスは父を人間として見ていなかった。器。実験材料。それ以上でも、それ以下でもない。
「だから私はこの身体を選んだ」
エイリワスは自分の胸へ手を当てる。そこに宿っている命が、他人のものであることなど微塵も気にしていない。
「実に都合が良かった」
ジエルの肩が小さく震えた。怒りだった。悲しみだった。それとも、両方だったのか。ジエル自身でも分からないほど感情が渦巻いていた。エイリワスはその様子を静かに見つめる。そして、ほんのわずかに口元を緩めた。
「ジエル・レート」
名前を呼ぶ。その呼び方はどこか優しかった。だからこそ、不気味だった。
「君たち家族に感謝するよ」
その一言で、空気が凍り付く。ジエルの瞳から感情が消える。エイリワスは淡々と言い放った。
「私の進化のための犠牲になってくれて」
その瞬間だった。ブチッ、と。ジエルの中で、何かが切れる音がした。握り締めた拳から、電流が弾ける。怒りによって漏れ出した電気が、足元の草を焦がした。
ジエルは俯いたまま、小さく息を吐く。肩が震える。怒鳴ることもない。叫ぶこともない。ただ静かに。静かに顔を上げた。その瞳には、これまで以上に鋭い殺意だけが宿っていた




