エイリワス決戦③
別次元。そこには何もない。空間そのものが歪み、時折黒い亀裂が走るだけの不気味な世界。その空間の中で、エイリワスは静かに戦況を見下ろしていた。
「少し手を抜きすぎたか……」
焼け焦げた腕を見つめ、小さく呟く。これまでの戦いを思い返す。感覚器官を狙った攻撃。自らの能力を利用した別次元での爆撃。そして、血幻画による幻覚。どれも予想以上のものだった。
「まあ、ここまでやってくるとは思っていなかったが」
エイリワスは静かに笑みを浮かべる。だが、その表情に焦りはない。むしろ、研究者としての興味が深まったようにも見えた。
「やはり人間は面白い」
「予測を超えるからこそ研究し甲斐がある」
そう言いながら、自身の身体へと視線を落とす。今、自分が使用しているのはジエル・レートの父親の身体。元々はただの実験材料の一つだった。しかし、ここまで損傷してしまえば少々頼りない。
「補強しようか」
その瞬間だった。肉が蠢く音が別次元へ響き渡る。エイリワスの両足がゆっくりと変形を始めた。人間の足が砕けるように変形し、次第に鋭い鉤爪を持つ鳥の足へと変貌していく。背骨が音を立てて隆起し、背中から巨大な黒い翼が生えた。翼を広げれば、その大きさは三メートルを優に超えている。さらに両手の指先が鋭く伸び、人間のものとは思えないほど長い爪へと変わっていった。
もはやその姿に人間らしさはほとんど残っていない。
「これで少しは動きやすくなるか」
翼を一度羽ばたかせる。風圧が別次元を駆け抜けた。
「あの進化個体は私自身の最高傑作」
「精々楽しんでくれたまえよ」
その声には僅かな愉悦が混じっていた。研究者として。そして、絶望を見届ける観測者として。エイリワスはこれから始まる戦いを楽しみにしているようだった。
一方その頃。
エリア・オズ。五人の隊員たちは、鳥籠の中から出てきた5つの核に警戒を強めていた。どれもこれまで見てきたエイリ星人のものとは比較にならないほどの異様な雰囲気を醸し出していて、不気味な鼓動を刻んでいた。
血刃は刀を抜き放ちながら叫ぶ。
「核が再生する前に破壊しろ!」
「了解!」
青年が即座にライフルを構える。拡大によって巨大化した弾丸が放たれた。
同時に血刃も地面を蹴った。
「はあぁぁ!」
刀を振り下ろし、核を切り裂こうとする。だが──
遅かった。
核の鼓動が一気に大きくなる。それぞれの核から黒い肉が溢れ出し、瞬く間に全身を覆っていく。
「なに!?」
青年が目を見開く。再生速度が異常だった。肉体が形成されるまで、わずか数秒。
いや、一秒すら経っていなかった。
五つの核は、その場で完全な姿へと再生を遂げる。
最初に姿を現したのは、巨躯の進化個体だった。
三メートルを超える巨大な身体。全身は黒紫色の硬質な外殻によって覆われている。肩や背中からは歪に湾曲した無数の角が突き出ており、その姿はまるで悪鬼を思わせた。そして、最も異様なのはその腕。左右に三本ずつ。合計六本の腕が禍々しく蠢いていた。見る者に圧倒的な威圧感を与える怪物だった。
次に現れたのは、人型の進化個体。
しかし、その身体は半透明の黒い肉体で構成されている。内部には巨大な赤い核が脈打っており、その周囲には無数の眼球が浮かんでいた。眼球は絶えず周囲を見渡し、不気味に蠢いている。さらに、その肉体は切り裂かれた瞬間に再生を始める。肉が生き物のように蠢き、元の姿へと戻っていく。その姿は、生物というよりも呪いそのものだった。
三体目。
全身を刃物のように鋭い漆黒の装甲が覆っている。四本の脚を持ち、その背中には昆虫を思わせる巨大な翼が生えていた。翼を小さく震わせただけで、周囲の空気が震える。
四体目。
それは最も異様な姿をしていた。全身が黒い粘液によって構成されている。身体の至る所から肉が生まれては崩れ、再び増殖を始める。腕が増え。口が生まれ。目玉が生えては消えていく。絶えず増殖と再生を繰り返すその姿は、生物という概念からすら逸脱していた。まさに生命力の塊。どれだけ破壊されようとも、何度でも再生することを想定して生み出された怪物だった。
そして最後の一体。
五体の中でも最も強力な圧を感じさせる存在。巨大な黒い翼。全身を覆う白い外殻は、まるで人骨を組み合わせて作られた鎧のようだった。その瞳だけが虚ろに赤く輝いている。静かに五人を見下ろすその姿は、まさに死神。死そのものが形を得たかのような存在だった。
五体の進化個体。
その全てから、これまで遭遇してきた進化個体を遥かに凌ぐ殺気が溢れ出している。
「冗談じゃないぞ……」
大男が思わず息を呑む。
「本当に……進化個体なのか?」
血刃は刀を強く握り締めた。
ここへ来る前に聞いていた。
エイリワスが護衛ようの進化個体を所持している可能性があることを。だが、ここまでの存在だとは誰も予想していなかった。
「総員!」
血刃が叫ぶ。
「後続部隊が来るまで何としてでも時間を稼ぐぞ!」
だが、その言葉を嘲笑うかのように。五体の進化個体が、一斉にこちらを見つめる。
その瞬間。エリア・オズの空気が変わった。
女性隊員は震える手で短剣を握り締めながら叫ぶ。
「もし死体なら能力で収納できます!」
その言葉を聞いた血刃は、即座に否定した。
「無駄だ!」
「核から再生しとるなら、やつらは生きとる!」
物体収納は物体を収納する能力だ。死体であれば収納することも可能だろう。しかし、生きた生物を収納することは出来ない。つまり、この進化個体たちは能力の対象外だった。血刃が言葉を発した直後だった。六本の腕を持つ巨躯の進化個体が、一歩前へ出る。その巨体が歩くだけで、地面が小さく揺れた。黒紫色の外殻は禍々しい光沢を放ち、六本の腕の先にある鋭い爪は、まるで大型の獣の牙のようだった。無数の角が不気味に蠢くように見える。
その怪物は静かに口を開いた。
「我が名は……エイリゴル」
低く重い声だった。
次に、半透明の黒い肉体を持つ進化個体が口を開く。
身体の内部では赤い核が脈打ち、その周囲を無数の眼球がゆっくりと見回している。眼球の一つ一つが別々の方向を向いており、その姿を見るだけで生理的嫌悪感を覚える。
「エイリゲル」
淡々とした声。感情というものを感じさせない声音だった。
四本の脚と昆虫のような巨大な羽を持つ進化個体もまた、その名を告げる。
「エイリゼク」
続いて、黒い粘液によって構成された怪物が姿を揺らめかせる。腕が生えたかと思えば消え、目玉が浮かび上がったかと思えば肉の中へと沈んでいく。
「エイリメス」
最後に。
巨大な黒い翼を持つ死神のような進化個体がゆっくりと翼を広げる。
「エイリベル」
五体は、それぞれ自らの名を名乗った。銀色のバイザーをかけた隊員は、その姿を見ながら呟く。
「知能があって名前を持つ……」
「確実に進化個体――」
言葉は最後まで続かなかった。次の瞬間。
何かが弾け飛ぶ音が響く。銀色のバイザーをかけた隊員の身体が真っ二つに裂かれていた。
「なっ!?」
誰も反応することが出来なかった。
視界に映ったのは、既に元の場所へと戻っているエイリゼクの姿だけだった。速い。あまりにも速すぎる。血刃ですら、その動きを完全に視認することは出来なかった。女性隊員の顔から血の気が引いていく。大男も思わず息を呑む。
そして、血刃は理解した。
(これに持ちこたえるのは不可能)
たった一撃。それだけで理解させられた。
(後続の部隊でもこれには勝てん)
この場に向かっている部隊は決して弱くはない。だが、それでも勝てない。それほどまでに、この五体は異常だった。
「すりつぶす...」
エイリメスの身体から無数の腕が生え、一斉に襲い掛かってくる。同時にエイリゴルの六本の腕が振り下ろされた。血刃は即座に刀を抜く。
「ちっ!」
刀で受け流し、そのまま後方へ飛び退く。その衝撃だけで腕が痺れていた。
(なんという馬鹿力じゃ)
エイリベルが空へと飛び上がり、エイリゲルの身体からは無数の眼球がこちらを見つめている。四体が既に動き始めていた。血刃は即座に通信機を取り出す。
「緊急事態じゃ!」
「進化個体が五体出てきおった!」
「一人は既に殺された!」
「後続の部隊では勝てん!至急、他の救援を要請する!」
通信の先。ECO本部。
司令官ビユー・ジードの表情が変わる。
「何だと……」
進化個体が五体。しかも、後続部隊ですら勝てない。その言葉の意味を理解した瞬間、会議室の空気が凍り付いた。ビユーは静かに目を閉じる。そして、小さく息を吐いた。
「分かった……すぐに救援を向かわせる」
「必ず生き延びろ」
通信はそこで切れた。ビユーは迷うことなく別の人物へと通信を繋ぐ。
『こちら神宮寺です』
落ち着いた女性の声が響く。
「出番だ。今どこにいる?」
『ウバク地区にいます』
『現在はウバク地区の進化個体の撃破に成功しましたので、今からアモリス地区へ向かう予定です』
その報告を聞いたビユーは静かに言った。
「予定変更だ」
「ブウタ地区のエリア・オズに行け」
『ブウタ地区ですか?』
「ああ」
「進化個体が五体も現れた」
僅かな沈黙が流れる。
だが、神宮寺希の声に迷いはなかった。
『分かりました』
『今すぐ向かいます』
「頼んだぞ」
司令官の言葉に、神宮寺は静かに答える。
『ええ』
『この命に代えても』
通信が切れる。神宮寺希はブウタ地区の方角を見る。その瞳に宿るのは覚悟だった。
「進化個体が五体……ですか」
小さく呟き、装備を整える。
彼女はECO隊長。人類最強の一角として、その名を知られる存在。
「必ず間に合わせます」
そう言って、神宮寺希はブウタ地区へと向かった。
エリア・オズでは、四人となった隊員たちが五体の怪物を前に死闘を繰り広げていた。救援が来るまで、生き残らなければならない。それが、彼らに課せられた唯一の使命だった。




