宣戦布告
流鹿はエデンが受け取った木箱を見つめながら、ゆっくりと腕を組んだ。
「そうやなぁ……」
少し考え込むように顎へ手を当てる。
「これはジエル君が持った方がええかもしれん」
「見覚えがある言うとったし、本部で解析するにしても一緒に見てもらった方が何か思い出すかもしれへん」
ジエルも静かに頷いた。
「……ああ。今は思い出せねぇけど、見てたら何か分かるかもしれねぇ」
流鹿は満足そうに笑う。
「ほな、その方向で進めよか」
その場の緊張も少しずつ解けていく。流鹿はジエルに進化の種を手渡す。安室も安心したように微笑み、一礼した。
「それでは、私はこれで失礼します。本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
エデンたちは安室を見送った。
教室の扉が閉まり、しばらく静かな時間が流れる。今日一日で起きた出来事はあまりにも多かった。特訓。ラベンダーとの面会。インターフェースの検査。そして謎の球体。誰もが少し疲れた表情を浮かべていた。その時だった。
「――うわあああぁぁっ!!」
建物の外から、鋭い悲鳴が響いた。その声にエデンは反射的に立ち上がる。
「今の声……!」
ジエルも顔色を変える。
「安室さんだ!」
流鹿の表情から笑みが消えた。
「行くで!」
四人は教室を飛び出した。廊下を全力で駆け抜け、そのまま支部の外へ飛び出す。外はすでに夜だった。街灯だけが辺りを照らし、長い影を地面へ落としている。その光景を見た瞬間、全員の足が止まった。
「……!」
そこに、一人の男が立っていた。安室の身体は片手で軽々と持ち上げられ、首を掴まれている。苦しそうに足をばたつかせる安室。そして、その男の顔を見た瞬間――。
ジエルの瞳が大きく見開かれた。
「エイリワス!!」
怒鳴るような叫びが夜へ響いた。男はゆっくりとこちらを向く。ジエルの父親の姿。しかし、その瞳には人間らしい感情は一切なかった。冷たい瞳。口元に浮かぶ、不気味な笑み。身体はジエルの父親。だが、その中にいるのは別の存在だった。エイリワス。
エデンは息を呑む。
(あいつが……ジエルがエリア・オズで会った……)
隣では流鹿も静かに目を細めていた。実際に会うのは初めてだ。しかし、その圧倒的な存在感だけで理解する。
(こいつが……ジエル君の故郷を滅ぼした元凶)
ただ立っているだけなのに、空気そのものが重く感じられる。ジエルは一歩前へ踏み出した。怒りに震える手を握り締める。
「発電機!」
能力を発動しようとした、その瞬間。身体から黒い電気が微かに漏れ始めた。黒い雷が腕の周囲を這う。感情が揺れたことで、過剰適応が反応しかけていた。流鹿はすぐに気付く。
「こらえるんや! ジエル君!」
鋭い声が飛ぶ。
「怒りに飲まれるな!」
「今暴走したら終わりや!」
その言葉がジエルの耳へ届く。荒れていた呼吸を無理やり整える。拳を強く握る。
「……っ!」
黒い電気は少しずつ消えていった。代わりに、いつもの青白い電気だけが身体へ蓄積され始める。流鹿は小さく安堵の息を吐いた。
(よう耐えた)
一歩間違えれば暴発していた。しかし、ラベンダーから教えられた制御を、ジエルは実践できたのだ。流鹿はゆっくり前へ出る。エイリワスから視線を逸らさない。
「何が狙いや」
低く問い掛ける。
「その人を放せ」
エイリワスは掴んでいた安室を一瞥した。苦しそうに喘ぐ安室を見ても、その表情は変わらない。まるで道具でも持っているかのようだった。やがて、エイリワスは小さく笑う。
「安心しろ」
「今日は戦いに来たわけではない」
その声は穏やかだった。だからこそ不気味だった。
「なら何しに来た」
流鹿が睨み付ける。
エイリワスはゆっくりと口角を上げた。
「宣戦布告をしに来た」
その一言が、夜の静寂を切り裂いた。夜風が静かに吹き抜ける。
誰一人として動けなかった。エイリワスだけが、この場を完全に支配している。その冷たいの瞳が、一人ひとりを値踏みするように見回した。やがて、その視線はジエルで止まる。口元がゆっくりと歪んだ。
「三日後――」
静かな声だった。それなのに、その一言だけで空気が張り詰める。
「私の部下が、この一帯を破壊する」
その言葉に、エデンたちの表情が変わる。エイリワスは続ける。
「街も、建物も、人間も」
「全てだ」
「ジエル・レート」
突然、自分の名前を呼ばれたジエルは睨み返す。
「君の仲間も、必ず殺すだろう」
静かな宣告だった。まるで未来を確定事項として語るような口調。
「……ふざけてんのか!」
ジエルが怒鳴る。全身に青白い電気が走る。
「好き勝手言いやがって!」
怒りで肩が震えていた。だが今回は黒い電気は現れない。必死に感情を抑え込んでいるのが伝わってくる。流鹿はそんなジエルを横目で見ながら、心の中で考える。
(やっぱりや)
(狙いはジエル君)
わざわざ姿を現した。宣戦布告までしに来た。しかも、名指しで精神を揺さぶっている。街を狙っているように見せかけて、本当の目的は別にある。ジエルを壊すこと。そのためなら仲間さえ利用する。流鹿はゆっくり拳を握った。
(ほんまに性格悪い奴や)
その時だった。エイリワスは愉快そうに笑う。
「そうしたら……君の仲間を、君の前で食べてしまおうか」
その一言に、ジエルの表情が凍り付く。次の瞬間──
ぐちゃりとジエルの父親だった身体が、音を立てて変形し始めた。首が伸びる。顎が裂ける。口が、人間ではあり得ないほど大きく開いていく。皮膚が引き裂かれ、巨大な口だけが異様な存在感を放つ。鋭い歯が幾重にも並び、暗闇の中で鈍く光る。その巨大な口が、安室へ向けられた。安室は恐怖で身体を震わせる。
「ひっ……!」
声にならない悲鳴が漏れる。エイリワスはそのまま口を開いたまま笑う。
「こんな風に」
その姿を見た流鹿の表情が変わる。
(まずい!)
考えるより先に身体が動いた。地面を強く蹴る。一瞬で間合いを詰めようとする。だが、その直前だった。ぐちゃ、と変形していた身体が元へ戻っていく。巨大な口は消え、人間の顔へ戻る。まるで何事もなかったかのように。そして。エイリワスは掴んでいた安室の首から、あっさりと手を離した。
「がはっ!」
安室はその場へ崩れ落ち、激しく咳き込む。空気を求めるように何度も息を吸った。流鹿はすぐに安室の前へ立ち、庇うようにエイリワスを睨み付ける。その視線を受けても、エイリワスは少しも動じない。むしろ、楽しそうに微笑んでいた。
「言っただろう」
穏やかな声が夜へ響く。
「戦いに来たわけではないと」
その声音には余裕しかなかった。ここで戦っても、自分は負けない。そう言っているようにも聞こえる。エデンは無意識に拳を握り締める。この場で飛び出したい衝動を必死に押さえ込んでいた。流鹿も動かない。目の前の敵がどれほど危険か、誰よりも理解しているからだった。夜の闇の中。エイリワスはただ静かに笑っていた。エイリワスが安室から手を放したことで訪れた一瞬の静寂はすぐに破られる。
「……てめぇ」
低く、震える声。ジエルだった。俯いていた顔をゆっくりと上げる。その瞳には、抑えきれない怒りが宿っていた。
「親父の身体で……」
拳が震える。青白い電気がわずかに腕を走る。
「そんな真似までしやがって」
「どこまで……」
「どこまで人を馬鹿にすりゃ気が済むんだ!」
怒鳴り声が夜空へ響いた。ジエルにとって、父はすでに亡くなった存在だ。それでも、その身体だけは残っていた。その身体を、こんな化け物のように変形させられた。それだけは、どうしても許せなかった。エイリワスはそんな怒りを真正面から受けても、表情一つ変えない。むしろ、面白そうにジエルを眺めている。だが、その視線がふと止まった。
「……?」
エイリワスの瞳が細められる。ジエルの手に握られている虹色の球体。そこから微かに漏れる気配へ気付いたようだった。
「それは……」
エイリワスの声色が初めて変わる。
「なぜ君が――」
「進化の種を?」
その言葉に、その場の全員が反応する。
「進化の種?」
ジエルが思わず呟く。流鹿も眉をひそめた。聞いたことのない名称だった。エイリワスはジエルから目を離さない。
「それをどこで手に入れた」
静かな問いだった。先ほどまでの挑発とは違う。本気で知りたがっている。そんな声だった。ジエルは一瞬だけ、自分の手へ目を向ける。中には、先ほど安室から預かった虹色の球体が入っていた。エイリワスは、あれを「進化の種」と呼んだ。その事実だけで、この球体がエイリワスと関係していることは明らかだった。ジエルはゆっくりと顔を上げる。怒りを込めた視線をエイリワスへ向けた。
「……言う訳ねぇだろ」
一歩踏み出す。
「くそ野郎が」
その一言には、憎しみが詰まっていた。エイリワスはしばらく無言でジエルを見つめる。やがて、小さく笑った。
「そうか」
「残念だ」
その言葉とは裏腹に、残念そうな様子は微塵もない。むしろ、新たな興味を見つけたような笑みだった。
「なるほど、その様子だとジエル・レート、今のきみは──」
「進化の種を知らないということか……」
エイリワスはそう呟くと、静かに口元を吊り上げた。
「とにかく、三日後を楽しみにしているよ」
そう言うと、エイリワスはどこかに消えていった。
不吉な予感だけを残して。




