謎の球体
教室には、再び穏やかな空気が戻っていた。エデンのインターフェースの検査結果について話し終え、それぞれがその内容を整理している。エデンは改めて右手を見つめる。自分だけ、自動でエネルギーを調整してくれる機能がない。それでも今まで戦えてきたのは、知らず知らずのうちに自分で制御していたからだった。
そんなことを考えていると──
教室の扉が軽くノックされた。
「失礼します」
聞き覚えのある声だった。扉が開き、一人の青年が教室へ姿を現す。
「安室さん」
エデンはすぐにその人物が誰か分かった。安室正道。死神事件の被害者の一人であり、エデンが救出した人物だ。以前にも救出したお礼をするため、この教室を訪れていた。ジエルも思い出したように口を開く。
「あれ?確か前にもここ来てたよな?」
安室は少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「はい」
「こんな時間にすみません」
「実は、あなた達に見せたいものがあって」
そう言うと、安室は両手で抱えていた小さな木箱を机の上へ置いた。教室にいる全員の視線が、その箱へ集まる。安室は慎重な手つきで蓋を開けた。カチリ、と小さな音が鳴る。箱の中には、布の上へ大切そうに置かれた小さな球体が入っていた。
「……これは」
エデンは思わず身を乗り出す。それは親指の先ほどしかない小さな玉だった。
しかし、普通の玉ではない。赤。青。緑。紫。
見る角度によって色が変化し、虹色にも似た光を放っている。まるで内部に光そのものが閉じ込められているかのようだった。教室の照明を反射しているだけではない。玉そのものが、微かに脈打つような輝きを放っている。誰も言葉を発しない。静寂の中で、その不思議な球体だけが存在感を放っていた。
エデンは目を離せないまま尋ねる。
「これは?」
安室は静かに息を吸い、答えた。
「これは……私の心臓に埋め込まれていたものです」
その一言で、空気が一変した。
「……え?」
亜爆が思わず声を漏らす。ジエルも目を見開いた。
「心臓?」
安室はゆっくり頷く。
「事件のあと、病院で詳しく検査を受けました」
「その時に摘出されたそうです」
「病院の先生に聞いても、何なのか分からないと言われました」
安室は箱の中の玉を見つめる。
「材質も分からない」
「何に使われていたのかも分からない」
「ですが……」
安室はエデンたちを見る。
「あなた達なら、何か知っているかもしれないと思いまして」
教室は静まり返る。エデンは箱の中の球体を見つめながら、死神事件を思い返していた。
(そうだ……あの事件の被害者は……)
全員、心臓を抜き取られていた。結局、その理由は分からないままだった。そして今、その心臓からこんな物が見つかった。偶然とは思えない。
(何か関係がある……)
そう考えるのが自然だった。頭の中でケイへ問い掛ける。
(ケイ。これ、知ってる?)
少しの沈黙。そして、ケイは静かに答えた。
『……いや』
『このような物体は見たことがない』
『少なくとも、ラベジニウムではない』
その答えにエデンは僅かに眉をひそめる。ケイですら知らない。それほど未知の物質なのか。流鹿も箱を覗き込みながら腕を組んだ。
「俺も初めて見るな……」
亜爆は慎重に観察する。
「人工物……なんでしょうか」
「それとも、生体組織の一種……?」
誰一人として答えを持っていなかった。教室には、分からないという空気だけが広がっていく。だが、その時だった。
「……あれ」
小さく呟く声が聞こえた。全員が一斉に振り向く。声の主は、ジエルだった。ジエルは箱の中の玉をじっと見つめている。その表情は驚きとも戸惑いともつかない。何かを思い出そうとしているようだった。
「どうした?」
流鹿が尋ねる。ジエルはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「俺……これ、見たことあるかも知れねぇ」
その一言に、教室の空気が再び張り詰めた。全員の視線がジエルへ集中する。エデンも思わず立ち上がる。
「本当か?」
ジエルは額へ手を当て、必死に記憶を探る。
「いや……はっきりじゃねぇ」
「でも……どこかで見た気がするんだ」
その曖昧な言葉にもかかわらず、その場にいた誰もが息をのんでいた。死神事件の謎へつながる、初めての手掛かりかもしれなかった。ジエルは箱の中にある小さな球体を見つめたまま動かなかった。その瞳には、戸惑いと焦りが入り混じっている。頭の奥で何かが引っ掛かっている。あと少しで思い出せそうなのに、その"あと少し"がどうしても届かない。
「なんでだ……」
小さく呟く。誰に向けた言葉でもない。自分自身への問いだった。
「どうして思い出せねぇ……」
ジエルは片手で頭を押さえる。眉間に深いしわが寄り、歯を食いしばる。記憶を無理やり引きずり出そうとするように目を閉じた。しかし、何も思い出せない。まるで霧がかかったような感覚がする。
「くそっ……」
苛立ちを隠せず、拳を握り締める。
「すげぇ大事な物な気がすんのに……思い出せねぇ……!」
教室には重苦しい沈黙が流れた。エデンはそんなジエルを心配そうに見つめる。無理に思い出そうとしているせいか、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。流鹿も真剣な表情になる。
「無理に思い出そうとせん方がええ」
静かな声で言う。
「記憶なんて、焦れば焦るほど出てこんもんや」
「何かの拍子に思い出すこともある」
ジエルは悔しそうな表情のまま、小さく息を吐いた。
「……悪い」
「役に立てそうだったのに」
エデンは首を横に振る。
「十分だよ。見たことがあるってだけでも、大きな手掛かりだから」
その言葉に、ジエルは少しだけ表情を緩めた。
すると、それまで静かに様子を見守っていた安室が一歩前へ出る。箱をそっと持ち上げ、大切そうに球体を見つめた。
「それじゃあ……」
安室はエデンたちの方へ箱を差し出す。
「これは、あなた達にお渡しします」
「え?」
エデンが驚いた声を上げる。安室は穏やかに微笑んだ。
「大事な物かもしれないんですよね?」
「私が持っていても仕方ありません」
「病院でも正体は分かりませんでしたし、私には研究もできません」
箱を持つ手に少しだけ力が入る。
「ですが、あなた達なら」
「ECOなら」
「これを何かに役立てられるかもしれません」
そう言って、箱をエデンへ差し出した。エデンは一瞬ためらったものの、静かに両手で受け取る。見た目は小さな球体一つ。
しかし、その重さは見た目以上に感じられた。
死神事件。そして、ジエルが失いかけていた記憶。それら全てと、この球体はどこかで繋がっている。そんな予感が、エデンの胸に静かに芽生えていた。
「……ありがとうございます」
エデンが頭を下げると、安室は安心したように微笑んだ。
「こちらこそ」
「あの事件で助けていただいた恩があります」
「あれ以来、ずっと考えていました」
「自分にも何かできることはないかと」
安室は箱へ一度だけ視線を落とす。
「それが、この程度しかありませんでしたけど」
エデンは首を横に振った。
「そんなことありません」
「これは、きっと大きな手掛かりになります」
流鹿も静かに頷く。エデンは手の中の箱を見つめた。虹色に輝く小さな球体は、何も語らない。だが、その沈黙の奥には、まだ誰も知らない死神事件の真実が隠されているように思えた。




