妙な過剰適応
ジエルは床に倒れ込んだまま、荒い呼吸を繰り返していた。さっきまで全身を駆け回っていた黒い電気はもう消えていたが、その痕跡だけははっきり残っていた。焦げたような匂い。焼けるような痛みを訴える身体。エデンと亜爆がすぐそばまで駆け寄る。
「ジエル、大丈夫!?」
エデンが膝をついて顔を覗き込む。ジエルは顔をしかめながら、なんとか片腕で身体を起こそうとしたが、うまく力が入らないのか、途中でまた肘を床についた。
「っ……大丈夫、じゃねぇ……」
強がる余裕もあまりないらしい。声にははっきりと苦痛が混じっていた。ジエルは悔しそうに歯を食いしばる。自分の能力が、自分の意思と関係なく暴発した。その事実が、身体の痛み以上に腹立たしかった。
亜爆は眉をひそめた。
「外傷は大きくない……かなり無理やり能力を引き剥がされたみたいな状態ですね」
流鹿がぽつりと呟く。
「……なんでやろな」
その声に、エデンと亜爆が顔を上げる。流鹿は腕を組み、視線をジエルから外さないまま続けた。
「こんな過剰適応、見たことないで」
訓練場の空気が、少しだけ張り詰める。ジエルも、苦しげに息をしながら流鹿の方を見た。
「やっぱり過剰適応なんだよな……?」
流鹿はゆっくり頷く。
「まだ断定はできへん。けど、クロウ島での話と今のこれを見る限り、君の中で何かしら過剰適応に近い現象が起きとるのは確かやと思う」
その言葉に、エデンは表情を引き締めた。ついこの前、自分たちはその言葉について話したばかりだ。リミットの過剰適応――アブソリュート。限界という概念を消す力。もちろん能力によって内容は違うだろうが、能力の先にある危険な強化という意味では、ジエルに起きている現象も確かに近い。
だが、流鹿は首を傾げる。
「せやけど、妙なんや」
「妙……?」
エデンが聞き返す。
流鹿は「うん」と短く返し、ゆっくり言葉を選ぶように口を開いた。
「普通、過剰適応っていうんは、もっと単純やねん。能力の出力が上がる、精度が上がる、今まで無理やったことができるようになる――そういう“分かりやすいパワーアップ”として出ることが多い」
そこで一度、ジエルへ視線を落とす。
「けど、ジエル君のこれは違う」
その言葉は、静かだったが重かった。
「なんていうか……能力に振り回されとる」
ジエルの眉がぴくりと動く。
振り回されている。自分が能力を使っているんじゃなくて、能力の方に身体を持っていかれている。そう言われたのと同じだった。
流鹿は続ける。
「黒い電気が出た時、君はそれを使ったわけやない。出そうと思って出したんやなくて、勝手に出てきた。しかもその後、自分で止められてへんかったやろ」
ジエルは黙る。流鹿はしゃがみ込み、ジエルと目線を合わせる。
「能力が暴れとるんか、身体が追いついてへんのか、それとも別の要因があるんか。そこはまだ分からん。けど、少なくとも今の状態をただの強化やと思うんは危ないな」
亜爆が静かに口を開く。
「つまり、過剰適応だとしても……正常な発現じゃない、と」
「まあ、そんな感じやな」
流鹿は立ち上がり、後頭部を軽く掻いた。
「せやから、無理にもう一回出そうとするんはアカン。少なくとも今はな。再現性も分からへんし、暴発した時にどこまで身体がもつかも分からん」
ジエルは悔しそうに顔を歪めた。
「でも……強くなる手掛かりかもしれねぇだろ」
「そらそうや」
流鹿は否定しなかった。
「せやけど、強くなる手掛かりと自滅の引き金は、時々ほとんど同じ顔しとる」
その言葉に、訓練場が静まり返る。
流鹿はジエルを見下ろしながら、いつもの軽い調子を少しだけ戻して言った。
「ま、とりあえず今日の特訓はここまでやな。ジエル君は完全に休み。文句は聞かへんで」
「……ちっ」
「舌打ちする元気あるなら安心やけどな」
そう言いながらも、流鹿の視線はまだ鋭かった。ジエルに起きている黒い電気の異変。あれが本当に過剰適応なのか、それとも別の何かなのか。今この場では答えは出ない。だが一つだけ確かなのは、あれを放置していい現象ではないということだった。
数分後、訓練場には、まださっきの焦げたような匂いが薄く残っていた。
ジエルは壁際のベンチに座らされ、エデンが隣につき、亜爆が簡単な応急処置と状態確認をしている。命に別状があるような様子ではない。だが、いつもみたいに「もう一回やれる」と立ち上がれる状態でもなかった。黒い電気の暴発は、それだけジエルの身体に無理を強いたのだろう。
「だから言ったろ、今日は休みだって」
エデンが呆れたように言うと、ジエルはベンチに背を預けたまま顔をしかめる。
「うるせぇ……まだいける」
「全然いけてないだろ」
「気合いでなんとか――」
「ならないです」
ぴしゃり、と亜爆が言い切った。
普段は柔らかい口調の彼にしては珍しく、少しだけ強めの声音だった。ジエルもさすがに今は言い返せないらしく、むすっとした顔で黙り込む。亜爆はそんなジエルの様子を見て、小さく息をついた。とはいえ、完全に呆れているわけではない。むしろ、心配しているからこそ口調が硬くなっているのだと、エデンには分かった。
流鹿は少し離れた場所でその様子を見ていたが、やがて軽く手を叩いた。
「ほな、ひとまずジエル君はそこで大人しゅうしとき。ほんで――」
そこで視線が、自然と亜爆へ向く。
エデンもつられてそちらを見た。亜爆はジエルの腕の様子を最後に一度確認してから、すっと立ち上がる。いつもの整った姿勢のまま、制服の乱れを軽く直し、それから流鹿の方へ身体を向けた。ジエルの件で場の空気は少し重くなっていたが、だからといって特訓そのものが終わるわけではない。
亜爆もそれを察したのか、ほんのわずかに首を傾げてから、確認するように口を開いた。
「もしかして……次は私ですか?」
その問いかけは控えめだったが、どこか腹を括ったような響きもあった。
流鹿はにっと笑う。
「せやで。順番的にもそうやしな」
「やっぱり……」
亜爆は小さく呟く。嫌そうというより、覚悟を決める前の一呼吸といった感じだった。エデンやジエルと違って、亜爆は感情を表に出すタイプではない。だが、それでも今の返事には少しだけ緊張が混じっていた。
それも当然だろうと、エデンは思う。
エデンはリミットの応用を、ジエルはジェネレーターの立ち回りと異常を見られた。では亜爆は何を見られるのか。亜爆の能力は爆弾の生成。だが、それは単純に爆発させるだけの力ではない。火力の調整、設置、攪乱、タイミング、相手との距離。使い方次第でいくらでも化ける能力だ。だからこそ、見られるポイントも多い。
流鹿は腕を組み、少し考えるように亜爆を見た。
「亜爆君の能力は、二人とはまた全然ちゃうからなぁ。真正面から殴り合うタイプでもないし、かといって遠距離だけで完結する能力でもない」
「はい」
「爆弾って言うたら派手で強そうやけど、実際はめちゃくちゃ繊細な能力や。火力を上げるだけなら簡単やろうけど、それやと味方も巻き込みかねへん。特に屋内とか、こういう訓練場みたいな閉じた場所やとな」
それは亜爆自身が一番よく分かっていることだった。強い力を持っていても、それをそのままぶつけられない場面はいくらでもある。むしろそういう場面の方が多い。流鹿は人差し指を立てる。
「せやから、亜爆君に見たいのは“威力”やない」
「コントロールや」
短く、はっきりと流鹿は言う。
「どの距離で、どのサイズの爆弾を、どんな意図で置くか。相手を倒すためやのうて、どう動かすかまで含めて使えてるか。そこを見たい」
エデンは、なるほどと思った。
確かに亜爆の強さは単純な破壊力だけではない。むしろ本当に厄介なのは、爆弾そのものよりも、その配置とタイミングだ。どこに置かれるか分からない恐怖。小さな爆発で視界を奪われ、その一瞬の隙に距離を詰められる怖さ。派手な爆破より、そういう“嫌らしさ”の方が亜爆には向いているのかもしれない。
流鹿は笑いながら、訓練場の中央へ歩いていった。
「ほな亜爆君、来てみ」
亜爆は一度だけジエルの様子を見た。ジエルはまだ顔色こそ万全ではないが、さっきよりは少し落ち着いている。エデンも「こっちは見とく」と目で伝える。亜爆はそれを確認してから、小さく息を整えた。
「……分かりました」
そして訓練場の中央へ向かって歩き出す。
足取りは静かだ。けれど迷いはない。エデンやジエルみたいに前のめりな気迫を見せるタイプではないが、亜爆には亜爆なりの闘志がある。それは炎みたいに激しく燃えるものではなく、芯の奥で静かに熱を持ち続けるようなものだった。




