ジエルの訓練
エデンがベンチに腰を下ろし、荒い呼吸を少しずつ整え始めた頃だった。
訓練場の空気にはまだ熱が残っている。その真ん中へ、待っていたとばかりに一歩踏み出したのがジエルだった。
「次は俺だ!」
勢いよく名乗り出たジエルに、流鹿は「おっ」と楽しそうに眉を上げる。ジエルはやる気を隠そうともせず、ぐるりと首を回し、肩を鳴らし、手首をほぐした。さっきからずっと、エデンの戦いを見てうずうずしていたのだろう。早く自分も前に出たい、そんな気持ちが顔にそのまま出ていた。
「エデンばっか目立つのはずりぃだろ。次は俺がやる」
「元気やなぁ」
「元気だけはあるぜ」
「だけ、って自分で言うんかい」
軽く笑いながら流鹿が返す。けれど、その目はもう訓練相手を見定めるそれに変わっていた。エデンとは違う。ジエルの強みは、能力を乗せた時の瞬発力と破壊力だ。だが同時に、その能力は少し特殊でもある。
発電機。ジエルの力は、最初から電気が満ちているわけではない。身体を動かすことでエネルギーを生み出し、それを電気として蓄える。つまり、止まったままでは本領を発揮できない。まずは動くこと。走ること。戦いながら熱を上げ、回転数を上げ、その中で出力を増していく能力だ。流鹿はその場で立ったまま、ジエルに問いかける。
「ジエル君、自分の能力の肝は何やと思う?」
「え? そりゃ電気だろ」
「半分正解やな」
流鹿は人差し指を立てた。
「でも、もっと言うなら動いて貯めることや。君の能力は最初から満タンちゃう。まず身体を回して、発電して、そこからやっと本番になる」
ジエルは一瞬だけ口をつぐむ。図星だった。自分でも分かっていることだ。だからこそ、ジエルの戦いはどうしても前に出ることから始まる。立ち止まって電気だけを撃つ、なんて芸当はできない。まず走る。殴る。避ける。そうやって身体を動かしながら、徐々にチャージしていく。
「だから最初に聞くで」
流鹿は笑みを浮かべたまま、けれど言葉だけは鋭く続ける。
「電気がまだ溜まってへん状態の君は、どう戦う?」
その問いに、ジエルは「……あ?」と眉をひそめた。単純なようでいて、かなり嫌な質問だった。電気が使える前提なら、ジエルはいくらでも戦いようがある。身体能力を強化して殴る、溜めた電気を放つ、相手の隙に流し込む。だが、まだ溜まっていない状態となると話は変わる。ジェネレーターの弱点そのものを突かれているようなものだ。
エデンはベンチからそのやり取りを見上げながら、なるほど、と小さく思う。流鹿は最初からそこを狙っていたのだろう。エデンには能力の繋げ方を、ジエルには能力が回る前の立ち回りを。相手ごとに、伸ばすべき部分をきっちり見抜いている。
ジエルは鼻を鳴らし、拳を握り直した。
「んなもん、動きながら戦うに決まってんだろ」
「うん、せやな。じゃあ見せてみ」
流鹿が軽く手招きする。
ジエルは一度だけ深く息を吸った。そして、床を蹴る。最初の一歩は、エデンほど鋭くはない。リミットフォースのような瞬間的な爆発力があるわけではないからだ。だが、その代わりにジエルの動きには生々しい推進力があった。前へ出るたびに、身体のどこかが回り始める感覚。脚を使い、腕を振り、呼吸を上げる。戦うための動作そのものが、そのまま発電に繋がっていく。
ジエルはまず大きく回り込むように流鹿の横へ走った。真正面から突っ込むのではない。横へ、斜めへ、円を描くように動く。距離を詰めるためだけじゃない。身体を止めずに動かし続けるためだ。足が床を叩くたび、筋肉が収縮するたび、ジェネレーターが少しずつ熱を持ち始める。まだ電気は出ない。だが、確実に溜まり始めている。
「へぇ」
流鹿が目を細めた。
ジエルはその反応を無視して、一気に距離を詰める。右拳が流鹿の顔面を狙って走る。能力に頼らない、純粋な打撃。流鹿はそれを首を傾けるだけでかわすが、ジエルはそこで止まらない。左、右、膝、肘。連続して打ち込みながら、常に足を動かし続ける。まるで攻撃そのものが助走になっているようだった。拳を振るうたび、脚を踏み込むたび、ジエルの中で電気が溜まっていく。胸の奥が熱を持ち始める。血流に乗って、じわじわと力が巡っていく感覚。ジエルはその感覚を知っていた。能力が起動に向かう時の、あの独特な高揚感だ。
流鹿が手刀を返してくる。ジエルはそれを身をひねって避け、勢いのままさらに一歩踏み込んだ。避けることすら、今は発電の一部だ。動く。止まらない。攻撃も回避も全部まとめて、自分の出力へ変えていく。その時だった。ジエルの腕の表面で、ほんの小さな火花が散る。動き続けたことで、ようやく最初の電気が生まれたのだ。
流鹿の口元がわずかに上がる。
「……なるほどな」
ジエルはその言葉に返事をしない。ただ、さらに踏み込む。拳を振るう速度が、ほんの少しだけ上がった。ジエルの瞳が、獰猛に細まる。そのまま真正面から踏み込んだ。
「おらぁっ!」
右拳が唸る。先ほどまでの連打とは違う。発電のために動いていた段階の打撃ではない。溜まった電気によって強化された筋力と速度、その両方が一撃に圧縮されている。拳が空気を裂く音が一段鋭くなる。
流鹿はそれを腕で受ける。どん、と重い音が響いた。衝撃が走る。受け止めた流鹿の腕がわずかにぶれ、その足元が半歩だけ滑る。エデンの時のような、駆け引きの末に通した一撃ではない。ただ真正面から叩き込んだだけ。それでも、ジエルの拳には相手を押し込むだけの出力があった。
「おっ、速なったな」
流鹿が笑う。
「まだまだ!」
ジエルは止まらない。拳を引くと同時に左足で踏み込み、今度は低い位置から蹴りを放つ。強化された脚力による鋭い回し蹴り。流鹿がそれを飛び退いて避けた瞬間、ジエルはすぐさま追いすがる。ジエルの拳を流鹿が手刀で逸らす。
ジエルは逸らされた勢いごと身体を回転させ、逆の拳を叩き込む。流鹿が身を沈めて避けると、今度は膝が飛ぶ。防がれても止まらない。止まること自体が、ジエルにとっては損だ。動き続けるほど電気が溜まり、溜まるほど身体が軽くなる。攻撃の連打そのものが、能力の回転数をさらに上げる行為になっている。
エデンはベンチからその攻防を見つめていた。
「速い……」
思わず、声が漏れる。さっきまで自分と戦っていた流鹿が、今度はジエルの猛攻を受けている。同じ相手なのに、まるで戦いの色が違った。エデンが崩して、誘って、繋いでいくタイプだとすれば、ジエルは勢いそのものを加速させていくタイプだ。最初は遅いが、一度エンジンがかかれば一気に化ける。
流鹿の懐へ、ジエルがまた飛び込む。
「まだ終わんねぇぞ!」
エルの猛攻は、止まらなかった。一撃ごとに踏み込みが鋭くなり、連打の合間にも無駄な間がなくなっていく。流鹿も、最初のようにただ軽くいなすだけではなくなっていた。
拳を受け、身を捻ってかわし、足を引いて間合いを外す。余裕の笑みこそ浮かべているものの、その目は確かにジエルを見ていた。
その最中だった。流鹿の視線が、ふっとジエルの身体に留まる。
「……ん?」
ほんのわずかに、違和感があった。
ジエルの腕のあたりを走っている電気。その色が、ほんの少しだけ濁ったように見えたのだ。
次の瞬間、ジエルが踏み込んでくる。流鹿は拳をかわしながら、さらに半歩だけ距離を取った。避けた理由は攻撃そのものだけではない。今、ジエルの身体に起きている変化を見極めるためだった。ジエルはそんな流鹿の意図に気づく様子もなく、さらに前へ出ようとする。だが、その動きが、不意に止まった。
「……あ?」
ジエル自身も気づいたのだろう。自分の腕を走る電気に、明らかな異変が起きていることに。
青白かった火花の中に、黒が混じるどころではなくなっていた。肘から肩へ、肩から胸へ、電流の筋がじわじわと黒く染まっていく。まるで、体内を巡る電気そのものが別の何かに侵食されているみたいに。
「なっ……!」
ジエルの目が見開かれる。拳を構えたまま、自分の腕を見る。そこには、見慣れた自分の電気ではないものがあった。クロウ島で一度だけ見せた、あの異常な電気と同じ色だった。
「いつの間に黒い電気が出やがった……!」
驚愕が、そのまま声になる。ジエルの動きが完全に止まる。
「ジエル!」
エデンがベンチから身を起こす。亜爆も表情を変えた。だが、二人が声を上げた時には、もう遅かった。黒い電気は止まらない。
むしろ、ジエルが動きを止めたことで、行き場を失ったかのように身体の外へ溢れ始める。腕から、肩から、背中から。細い火花では済まない。黒い雷が、まるで暴れる蛇のようにジエルの全身を這い回った。空気が焦げる匂いが、一気に強くなる。
「おい、ジエル君!」
流鹿の声が飛ぶ。その声に反応する余裕すら、ジエルにはなかった。
「が……っ、ぁ……!」
次の瞬間、黒い雷が爆ぜた。
バチンッ――と、耳を打つような異音が訓練場に響く。ジエルの身体を中心に、黒い電流が一気に暴発した。
「がぁぁっ!」
ジエルの喉から、苦鳴が漏れる。身体が大きく跳ねた。ジエルはその場に崩れ落ちた。膝が折れ、手が床につき、そのまま横倒しになる。身体の表面を走っていた電気はまだ何度か不規則に弾けたが、やがて力尽きるように消え同時に、能力の気配も途切れる。
訓練場が、一瞬だけ静まり返る。
さっきまでの激しい打ち合いが嘘みたいに、音が消えた。ただ、焦げた匂いだけがその場に残っている。
「ジエル!」
エデンがベンチから立ち上がる。さっきまで休めと言われていたことも忘れて、反射的に走り出していた。亜爆もすぐに後を追う。床に倒れ込んだジエルは、肩を震わせながら荒く息をしていた。意識は飛んでいないようだったが、全身から力が抜けているのが見て分かる。指先はわずかに痙攣し、呼吸も乱れていた。
流鹿はすぐそばまで来て、しゃがみ込む。その表情から、さっきまでの軽い笑みは消えていた。視線は真っ直ぐに、倒れたジエルの身体を走る。黒い電気はもう消えている。だが、今の現象を見間違えるはずがない。クロウ島で起きた異変と、同じものだ。
「……これ、やっぱり」
流鹿が低く呟く。
その声には、いつもの飄々とした響きはなかった。訓練中の事故として片付けていいものではないと、流鹿自身も理解したのだろう。ジエルは床に倒れたまま、苦しげに息を吐いた。
「くそ……なんだよ、これ……」
自分の身体に起きた異常を、本人が一番理解できていなかった。黒い電気。暴発。勝手に溢れ出した力。あれが何なのか、どうすれば止められるのか。何一つ分からない。ただひとつ分かるのは、あのまま戦い続けていたら、もっとひどいことになっていたかもしれないということだけだった。




