大量の兵士
「兵士はまだまだいる」
月下香の声が研究施設に響く。その直後だった。周囲のカプセルが次々と開き始める。白い蒸気が溢れ出し、その中から人影が現れる。一体。二体。三体。いや、それだけではない。十を超える兵士たちが無言のまま歩み出てきた。機械に覆われた身体。感情のない瞳。足音だけが規則正しく響く。エデンは思わず息を呑んだ。
「こんなに……!」
いくらなんでも数が多すぎる。一体一体が先ほど戦った兵士と同等なら、まともに相手をしていては勝ち目がない。しかし月下香は兵士たちを見ながら何かを考えていた。眼鏡の奥の瞳が静かに動く。そして。
「……なるほど」
小さく呟いた。
「少し考えが変わった」
その視線がルノへ向く。
「エデン、きみは後回しだ」
次の瞬間。兵士たちが一斉に動いた。だが狙いはエデンではない。全員がルノへ向かう。
「……!」
ルノは即座に弾力膜を展開する。半透明の膜が何層も重なる。兵士たちの攻撃を弾き返す。だが。一人を防げても。十人近くを同時には防げない。前方からの攻撃を防いだ瞬間。横から別の兵士が回り込む。さらに後方からも。ルノの周囲を完全に包囲していた。
「ルノ!」
シェイドが叫ぶ。ルノは膜を広げ続ける。しかし防御に集中した一瞬の隙を突かれた。兵士の一体が腕を掴む。もう一体が反対側から拘束する。ルノの表情が初めて揺れた。
「っ……」
抵抗しようとする。だが数が多すぎる。兵士の一人が小さなカプセルを取り出した。液体の入った薬剤。それを無理やり飲ませる。数秒後。ルノの身体から力が抜けた。瞳がぼんやりと霞む。
「シェイド……」
か細い声。そしてそのまま意識を失った。兵士たちが彼女を抱え上げる。月下香は満足そうに頷いた。
「連れて行け」
命令が下る。兵士たちはルノを抱えたまま研究施設の奥へ向かう。さらにその先。上階へ続く非常階段を登り始めた。それを見た瞬間。シェイドの顔色が変わった。今までの余裕。気障な笑み。芝居がかった口調。その全てが消える。
「……待て」
低い声だった。
「彼女を離せ」
兵士たちは止まらない。ルノを連れて行く。その姿を見たシェイドは前へ出ようとした。冷静さを失っていた。ほんの一瞬だけ。その一瞬が致命的だった。兵士の一体が懐へ入り込む。
「しまっ――」
シェイドが反応するより早い。兵士の手が胸元へ触れた。その瞬間。シェイドの胸が発光する。シェイドの表情が変わった。いつものようにコインを操ろうとするが動かない。床に落ちた金貨はただの金貨のままだった。
「……何?」
シェイドが目を見開く。再び能力を使おうとする。しかし発動しない。まるで能力そのものが消えたかのようだった。シェイドの瞳に初めて明確な驚きが浮かぶ。
「能力を……封じたのか……?」
月下香は階段の途中で振り返った。その口元には薄い笑み。
「君が長年私を追い続けていたように」
「私も研究していたんだよ」
そしてルノを連れた兵士たちと共に姿を消していく。残されたエデンは拳を握る。ルノは連れ去られた。シェイドの能力も封じられた。そして研究施設には、まだ大量の兵士が残っている。状況は最悪だった。
数分後、研究施設には静寂が戻っていた。
先ほどまで鳴り響いていた金属音も、兵士たちの足音もない。床には気絶した兵士たちが倒れている。誰も死んではいない。エデンとシェイドは最後まで致命傷を避けながら戦っていた。それは簡単なことではなかった。エデンは人間相手に本気で攻撃することを躊躇い続けていたし、シェイドもまた同じだった。兵士たちは改造されているとはいえ人間だ。殺すわけにはいかない。その結果、戦闘は長引いた。その結果――
シェイドは何度も傷を負っていた。服の肩口は裂けている。腕には切り傷。脇腹からも血が滲んでいた。能力を封じられた状態で戦った代償だった。
「……っ」
シェイドがふらつきながら立ち上がる。視線は階段へ向いていた。ルノが連れて行かれた方向だ。
「行かなければ」
小さく呟く。そのまま歩き出そうとする。しかし。
「待って!」
エデンがその腕を掴んだ。シェイドが振り返る。
「離してくれ」
「そんな状態で行ったら倒れるよ!」
エデンは真剣な顔だった。脇腹から流れる血が目に入る。このまま放っておけば危険なのは明らかだった。シェイドは振り払おうとする。だが。思った以上に身体が言うことを聞かなかった。能力を封じられた状態での戦闘。それなりに消耗している。エデンはポケットからハンカチを取り出した。傷口へ押し当てる。
「っ……」
シェイドが僅かに顔をしかめる。
「我慢して」
エデンはそう言いながら応急処置を始めた。その様子を見ていたケイが頭の中で呆れたように言う。
『何をしている』
『今のうちに逃げろ』
エデンは心の中で答える。
(逃げない)
『相手は怪盗だぞ』
『犯罪者だ』
(関係ないよ)
即答だった。
(今困ってる人を見捨てる理由にはならない)
ケイはしばらく黙った。そして小さくため息をつく。
『……甘いな』
だがそれ以上は何も言わなかった。エデンは周囲を見回す。医療器具が置かれた棚を見つける。そこへ駆け寄った。包帯。消毒液。最低限の医療用品。応急処置の道具は揃っていた。エデンは包帯を持って戻る。そしてシェイドの前へしゃがみ込んだ。
「じっとしてて」
「……」
シェイドは何も言わない。そのまま足を差し出した。エデンは慣れない手つきで包帯を巻いていく。少し不格好だった。だが真剣なのは伝わってくる。その様子を見ていたシェイドは小さく息を吐いた。
(不思議な少年だ)
怪盗である自分を助けようとしている。普通なら警戒する。あるいは見捨てる。それが自然な反応だ。だがエデンは違った。
「ねぇ」
包帯を巻きながらエデンが口を開く。
「なんだ?」
「ルノってシェイドの兄妹だったりする?」
シェイドが目を瞬かせた。予想外の質問だった。
「なぜそう思う?」
エデンは少し考える。そして正直に答えた。
「なんか……仲間っていうより」
包帯を結ぶ。
「家族みたいだなって思って」
シェイドは黙る。エデンの脳裏には先ほどの光景が残っていた。ルノが連れ去られた時。シェイドが見せた焦り。あの姿は仲間を失うことへの反応ではなく、もっと深い何かだとそう思った。シェイドはしばらく天井を見上げる。そして静かに話し始めた。
「私とあの子は」
少し間を置く。
「本当の家族なわけじゃない」
エデンは驚かなかった。
「そうなんだ」
ただそれだけを返す。シェイドは小さく笑う。
「随分あっさりしているな」
「だって家族じゃなくても家族みたいになることはあるし」
エデンはそう言った。その言葉にシェイドは何も返さない。ただ少しだけ目を伏せた。やがて。エデンが再び口を開く。
「それよりさ」
真面目な顔になる。
「白石……じゃなくて」
「月下香って人」
その名前を口にする。
「一体誰なの?」
研究者。兵士。改造人間。偽名。そしてシェイドとの因縁。分からないことだらけだった。シェイドはゆっくりと立ち上がる。まだ傷は痛んでいたが、先ほどよりはずっとマシだった。彼はしばらく沈黙した。まるで昔の記憶を掘り起こすように。やがて。静かに口を開く。
「月下香……」
その声には普段の余裕も気障さもなかった。
「かつて私とあの子で実験をしていた研究者だ」
研究施設の薄暗い照明の中。シェイドは遠い過去を見つめるように語り始めた。




