アブソリュート
「次に話すのは――リミットの過剰適応についてだ」
その言葉に、病室の全員が反応した。ジエルが僅かに身を乗り出す。つい先ほどまで話題に上がっていた現象。クロウ島で自分に起きたかもしれないもの。ドロイも真剣な眼差しを向ける。リュートはゆっくり続けた。
「アブソリュート」
聞いたことのない名前だった。エデンは思わず復唱する。
「アブソリュート……?」
リュートは頷く。
「それがリミットの過剰適応」
病室に緊張が走る。今までのリミットフォース。リミットナイト。リミットリフレクス。リミットストリング。どれも人体の何かを拡張する能力だった。だが。リュートの表情を見る限り、それらとは根本的に違うらしい。
「限界という概念を消す力だ」
静かな声だった。だが。その言葉は病室の誰よりも重かった。数秒。誰も声を出せなかった。意味を理解するのに時間がかかったのだ。最初に反応したのはケイだった。
『限界を消す.....はっきりと覚えていないが、そんな力があったのか』
ジエルも眉をひそめる。
「どういうことだよ」
リュートは窓の外へ視線を向ける。夕日が沈み始めていた。その光を眺めながら語る。
「例えばリミットフォース」
「普段なら筋肉が耐えられる範囲までしか力を出せない」
「それ以上やれば筋繊維が裂ける」
「骨も砕ける」
エデンは黙って聞いている。リュートは続けた。
「だがアブソリュートは違う」
「筋肉が壊れるという制限を無視する」
「骨が折れるという制限も無視する」
「身体が悲鳴を上げるという前提そのものを踏み越える」
病室が静まり返る。
「防御なら?」
ドロイが聞く。リュートは答えた。
「防御なら防御の限界、どんな攻撃にも耐えられるようになる」
「反射神経なら反射神経の限界、周りがコマ送りのように見える」
「リミットストリングなら伸縮性や強度の限界、どこまでも伸びるし、どんだけ攻撃を受けてもちぎれない」
その説明を聞きながら、エデンの背筋に冷たいものが走る。強い。確かに強い。だが。同時に危険すぎる。リュートはその反応を見ていた。そして小さく頷く。
「その顔になるのも当然だ」
静かな声。
「だってこれは、本来存在しちゃいけない力だからな」
病室の空気がさらに重くなる。リュートはゆっくりと自分の不自由な足を見る。杖を握る手に力が入る。その視線に気付いたエデンは何も言えなかった。
「限界があるから、人間は壊れない」
「限界があるから、身体は生きていける」
「アブソリュートはそれを消す」
その言葉には実感があった。資料の知識ではない。体験した人間の声だった。リュートは少しだけ目を伏せる。
「だからな、エデン」
父親としての顔に戻る。
「もしお前がその領域に辿り着いたとしても」
「決して万能の力だと思うな」
病室は静まり返っていた。誰も軽々しく口を開けない。限界を超える力。それは聞こえだけなら英雄の力だ。だがリュートの表情は、それが決して祝福ではなかったことを物語っていた。
「俺が知ってるリミットの情報はこれだけだ」
リュートはそう言って話を締めくくった。病室の中は静かだった。誰もすぐには言葉を発せない。リミットストリング。そしてアブソリュート。今まで知らなかった力の存在は、エデンだけでなく全員に大きな衝撃を与えていた。エデンはゆっくりと息を吐く。その瞬間。
「っ……」
腹部に痛みが走った。思わず傷口を押さえる。エイリヤカの一突き。治療は受けた。命に別状もない。だが、傷はまだ完全には癒えていなかった。リュートはそんなエデンを見て苦笑する。
「考えるのは怪我が治ってからにしろ」
杖を握りながら立ち上がる。
「今のお前に必要なのは修行じゃない」
「療養だ」
父親らしい言葉だった。エデンは少しだけ苦笑する。
「分かってるよ」
そう言いながらも、本心では焦りがあった。エイリワス。エイリヤカ。強敵は待ってくれない。それでも今は身体を治すしかない。リュートは病室を出る前に振り返った。
「無茶だけはするなよ」
そして静かに去っていった。
・・・
それから一週間。エデンの怪我は順調に回復した。完全ではない。だが日常生活に支障がない程度には治っている。医療班からも軽い訓練の許可が出た。そして現在。ECOアモリス支部訓練室。広い空間の中央にエデンは立っていた。汗が額から流れる。何度も能力を発動していたからだ。
「リミットストリング……」
エデンは自分の手を見る。指先へ意識を集中する。皮膚。伸縮性。強度。リュートの言葉を思い出す。だが。何も起きない。
「くっ……」
集中する。しかし変化はない。リミットフォースならすぐ発動できる。リミットナイトやリフレクスも同じ。だがリミットストリングだけは感覚が掴めなかった。
「難しいな……」
額の汗を拭う。ケイの声が頭の中で響く。
『焦りすぎだ』
『能力は理屈だけでは扱えん』
『身体で理解する必要がある』
エデンはため息を吐く。分かっている。だが焦る。クロウ島の戦いが脳裏から離れない。もっと強くならなければ。そんな考えが何度も浮かぶ。その時だった。訓練室の扉が開く。金属音が響く。エデンが振り返る。そこには支部の職員が立っていた。
「エデン君」
職員は少し慌てた様子だった。
「ここにいたか」
エデンは首を傾げる。
「どうしたんですか?」
職員は一枚の書類を持っている。その表情はどこか困惑していた。
「君に来客だ」
「来客?」
エデンはさらに首を傾げる。訓練室にまで呼びに来るほどの相手。誰だろうか。ジエルや亜爆ではない。二人は外出中だ。リュートでもなさそうだった。職員は書類を見ながら言う。
「名前は――」
そこで一度言葉を切る。
「白石と名乗っている」




