帰還
消毒液の匂いが漂う。白い天井。静かな機械音。ぼやけていた視界が、少しずつはっきりしていく。エデンは重たい瞼をゆっくり開いた。
「……ぁ……」
身体が痛い。全身が鉛のように重かった。首を動かそうとした瞬間、鈍い痛みが走る。エイリヤカの刀を受けた感覚が脳裏によみがえった。リミットナイト。あれほどの防御力を持つ能力ですら、完全には防ぎ切れなかった。エデンは小さく息を呑む。その時。
「目が覚めましたか」
聞き慣れた声がした。横を見る。そこには椅子に座った亜爆がいた。いつもの軽い雰囲気ではない。少し疲れた顔をしている。エデンはゆっくり身体を起こそうとして――
「っ……」
痛みに顔をしかめた。
「無理しない方がいいですよ」
亜爆がすぐに制止する。
「結構派手にやられてましたから」
エデンは周囲を見る。病室。ECOアモリス支部の医療区画だった。そして。隣のベッド。そこにはジエルが寝ていた。
「……ジエル」
エデンが呟く。その瞬間。
「……うっせぇな」
掠れた声。ジエルがゆっくり目を開けた。眉をしかめながら起き上がろうとする。
「ってぇ……」
「だから無理しないでくださいって」
亜爆が呆れたように言う。ジエルは舌打ちした。
「……ここ、アモリスか」
「はい。クロウ島からすぐ搬送されました」
亜爆はそう言って、小さく息を吐く。病室に少し沈黙が流れた。誰も、すぐには言葉を出せなかった。エイリヤカのあの圧倒的な強さ。思い出すだけで空気が重くなる。ジエルは天井を見ながら呟いた。
「……なんなんだよ、あいつ」
拳を握る。悔しさが滲んでいた。黒い電気。確かに一瞬は通用した。鎧を砕いた。だが。それでも勝てなかった。エデンも静かに俯く。リミットナイトが削られた感覚が、まだ身体に残っていた。すると。病室の扉が開く。そこに立っていたのは、ドロイだった。右腕は新しい機械部品に交換されている。見た目は人間の皮膚と大差がない。胸元にも修復跡が見えた。だが、普通に立っている。
「二人とも、起きたんですね」
穏やかな声だった。エデンは少し安心したように息を吐いた。
「ドロイさん……無事だったんですね」
「心臓をやられてたら危なかったですけどね。何とか心臓部への損傷は避けました」
ドロイは冗談っぽく言う。しかし、その目は笑っていなかった。彼も理解している。今回の敵が、今までとは次元の違う存在だったことを。
夕陽が病室へ差し込む。白い床が橙色に染まり、静かな空気が流れていた。エデンはしばらく黙ったまま、ジエルを見ていた。頭から離れない。あの黒い電気。あの瞬間だけ、ジエルは明らかに別物だった。エデンはゆっくり口を開く。
「ねぇ、ジエル」
「ん?」
ジエルが視線を向ける。エデンは少し言葉を選ぶようにしてから聞いた。
「クロウ島でさ……最後の方、何か変な感じしなかった?」
「変な感じ?」
「黒い電気が出てた時」
その言葉で、病室の空気が少し変わる。亜爆もドロイも静かにジエルを見る。ジエル本人は眉をひそめた。
「……いや」
頭を掻く。
「正直、俺にも何が起きたか分かんなかった」
思い返すように目を細める。
「ただ……」
そこで言葉が止まる。
「なんか、身体の中の電気が勝手に暴れてる感じだった」
拳を軽く握る。
「力は出てた。今までよりずっと」
「でも、自分で制御してる感じじゃなかったんだよな……」
エデンは黙って聞いていた。ドロイも腕を組みながら考え込む。
「黒い電気、ですか……」
「普通のラベジニウム反応ではありませんね」
亜爆が小さく呟く。
「俺も見ましたけど、かなり異常でしたよ」
病室に少し沈黙が落ちた。エデンは視線を下げる。そして。ある言葉が頭をよぎる。ジエルの言っていたラベジニウムとの適応が極限まで高まった状態。エデンはゆっくり顔を上げた。
「もしかしたら、それって……」
全員の視線がエデンへ向く。エデンは少し迷いながらも口にした。
「過剰適応なんじゃない?」
その瞬間。ドロイの目がわずかに見開かれた。
亜爆も「え……」と声を漏らす。
「確かに……じゃあ俺」
ジエルは小さく呟く。
「強くなったってことか?」
亜爆が苦笑する。
「その聞き方だと、ちょっと前向きすぎません?」
だが。誰も完全には否定できなかった。実際、あの瞬間のジエルは強かった。エイリヤカの装甲を砕いた。それは事実だった。しかし。エデンの胸には、妙な不安が残っていた。
そんな時だった。病室の扉が勢いよく開く。
「大丈夫皆!?」
聞き慣れた声が響いた。全員が反射的にそちらを見る。そこにいたのは天記だった。普段はどこか余裕を感じさせる男だが、今は違う。額には汗が浮かび、呼吸も少し乱れている。かなり急いで来たのだろう。
「天記さん?」
エデンが驚く。天記は病室へ入るなり四人を見回した。包帯だらけのエデン。傷だらけのジエル。疲れた様子の亜爆。その姿を確認して、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「よかった……」
本心からの言葉だった。だが。病室へ入ってきたのは天記だけではなかった。その後ろから、もう一人ゆっくりと姿を見せる。杖の音が響く。エデンの目が大きく開いた。
「……父さん?」
病室へ入ってきたのはリュートだった。不自由な足を支える杖を握りながら、ゆっくり病室へ入ってくる。本来なら長距離の移動も楽ではないはずだ。それでも来た。息子の無事を確認するために。
「エデン……」
リュートはベッドの傍まで来る。そして、少し震える声で言った。
「クロウ島での中継を見た……」
「大丈夫か?」
病室が静まり返る。
エデンは目を瞬かせた。
「……中継?」
隣でジエルも眉をひそめる。
「は?」
亜爆とドロイも顔を見合わせた。誰も知らなかった。リュートは少し驚いたように言う。
「知らなかったのか?」
「君たちとエイリ星人の戦闘映像が、ニュースで流れていたんだ」
「全国放送だった」
その言葉に。全員が固まった。数秒の沈黙。そして。
「全国放送!?」
ジエルが思わず叫ぶ。
「マジかよ!?」
亜爆も目を丸くする。
「聞いてませんよそんなの!」
ドロイも珍しく驚いていた。
「それは……大騒ぎになりますね……」
天記が苦笑する。
「実際なってるよ」
そう言ってポケットから端末を取り出す。画面にはニュース記事が並んでいた。
『クロウ島に出現したエイリ星人。大規模被害』
『ECO隊員が交戦』
そんな見出しが並んでいる。ジエルの顔が引きつった。エデンも嫌な予感がした。天記は真剣な表情になる。
「クロウ島の件は、もうECO全体でも重要案件になってる」
「君たちが思っている以上にね」
病室の空気が再び重くなる。旅行のつもりだった。ただ休暇を楽しむはずだった。だが結果は。進化個体との戦闘。全国中継。そして大怪我。クロウ島で起きた出来事は、既に彼らだけの問題ではなくなっていた。




