第201話 地下80階層探索開始
横浜第三ダンジョン、地下八十階層。転移の光がほどけると同時に、湿った岩の匂いと、薄い羽音のような残響が肌にまとわりついた。しかも足元の地面は細かな砂利混じりで、踏み出すたびに乾いた音が返ってくる。
それを合図に、先頭に立った剛志が周囲を一度見回した。昨日の作戦会議で決めた立ち位置に、自然と全員が収まっていく。そこで、軽く拳を握ってから声を上げる。
「よし、じゃあ早速ダンジョン攻略をやっていこうか!みんな、昨日の作戦会議の内容は覚えてる?」
返事より先に、横で首を鳴らした臼杵が肩を回す。さらに手袋の上から指先を擦り、息を吐いてから口角を上げた。
「ああ、バッチリだぜ。それにこの階層は俺が活躍出来る環境だからな、やりがいあるってもんよ」
雪魔法は、空間そのものを冷やし、粒子をまとった風を作れる。だからこそ、甲殻の隙間に冷気を流し込めば、蟻も蜂も動きが鈍る。しかも魔法は面で届くため、群れを相手にするほど手数が生きる。
一方で、後方で腕を組んだ万葉は、視線だけで暗がりの先を測っていた。とはいえ、わずかな羽音が耳に触れた瞬間、眉間が露骨に寄る。
「逆に私は戦いづらい事この上ないわ。見た目もキモいし、疲れるからあまり戦いたくはないわね」
それでも、彼女が最高戦力である事実は揺れない。だから今回は、前へ出すよりも「動ける札」として温存する。つまり、押し切る必要が出たときだけ一刀で線を引いてもらう形だ。
その隣で、百花が深呼吸を一つしてから、両拳を軽く握り直す。さらに姿勢を正し、視線をぶらさずに言い切った。
「私も皆さんの足を引っ張らない様に気をつけます!」
戦力として見ると、まだ伸びしろの段階だ。けれど、ここは経験値効率が桁違いで、しかも万葉が同行する理由にもなる。だからこそ、彼女にとっては危険を寄せない位置で「場に慣れる」ことが優先になる。
それとは対照的に、ミアは銃を肩から外し、スコープを短く拭った。さらに装填の動作を一度だけ確認し、短い頷きで区切る。
「私も作戦は頭に入れてきた。言われた仕事は完璧にこなすわ」
彼女の担当は、指揮官個体のピンポイント排除だ。だから、索敵と分類、射線の提示はイチロイドが担う。つまり、撃つべき一点が示される限り、弾は迷わないというわけだ。
ミアの発言を合図に、小さな影がちょこんと前へ出た。ミニサンドゴーレムの体で胸を張る姿は可愛らしいのに、声だけはきっちり整っている。
『皆さんの作戦は全て把握済みです。何かあったらサポート致します。お任せください』
胸を張ったままの姿勢で、砂粒がさらりと落ちる。身長は五十センチほどで、見た目だけなら護衛対象に見える。けれど、この小さなゴーレムがこのパーティの最高戦力の1人でもあるのだからダンジョンは面白い。
一通りの確認が終わると、階段付近の空気が一段重くなる。セーフティゾーンの境界を一歩越えた瞬間、遠くの羽音が明確に膨らんだ。さらに地面の下から、無数の脚が擦れるような振動が伝わってきた。
群れが来る。そう判断するより早く、暗がりの先がざわつき、砂利が跳ねる。しかも一体一体が一〜二メートル級で、甲殻の擦れる音が波のように迫る。上からは蜂が混じり、羽音が岩壁に反響して、位置感覚を狂わせるほどだ。
敵の接近を感じ取り、すぐさま剛志の手元で魔力が走った。立方体のブロックが空中に次々と生まれ、低い唸りを残しながら整列する。さらに魔力ジョイントが点灯し、ブロック同士が吸い寄せられて形を作り始めた。
前線では、合体したCゴーレムが盾の面を広げ、まず地走りの蟻を受け止める。押し返される前に一部が分離し、衝撃を逃がしてから貼り替わる。加えて、別の個体はマジックブロックを連結し、光の筋を面で薙いで群れの密度を削った。
その動きに合わせて、今度は臼杵が掌を上げる。すると白い粒が噴き上がり、冷気が床を舐めていく。蟻の脚が一瞬鈍り、蜂の羽が氷の膜に引っかかるように軌道を乱した。
さらには、遠目の岩陰に紛れた“違う気配”が、イチロイドの立体投影に小さく灯る。そこで、ミアの銃口がわずかに角度を変えた。次の瞬間、乾いた発砲音が一つだけ響き、群れの奥で背の高い個体が崩れ落ちる。
指揮官個体が落ちることで、群れの動きが一拍遅れる。その隙をCゴーレムが押し広げ、臼杵の冷気が面を固定する。結果として、蜂が落ち、蟻が固まり、処理の流れが滑らかに回り始めた。
少し離れた位置では三人が壁際に寄り、戦線の外形を見守っていた。とはいえ、前線の密度が高すぎて、今の距離では踏み込む余地がない。そこで、剛志が肩を落としてから、苦笑いのまま声を漏らす。
「いやー実際に戦闘が始まるとやる事ないよね。百花ちゃんも肩の力抜いていこう」
返事の前に、百花が胸の前で手を軽く握り直した。さらに緊張で上がっていた肩を、息と一緒に下ろす。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると楽になります」
視線は前線に向いたまま、剛志の指先は止まらない。つまり、前を眺めつつ、手元ではゴーレムの数が増えていく。そこで、状況を区切るように口を開いた。
「それに、この階層ってとにかく大量の魔物を処理するから、結構早くレベル上がるはずだよ」
その言葉を受けて、百花はすぐにステータスを開いた。画面の数値が跳ねたのを確認した瞬間、目が見開かれる。だから、思わず声が弾んだ。
「うわ、本当だ!もうレベル上がってますよ。私だけまだレベル低いので、結構なスピードで上がりそうですね。体の使い方がわからなくならない様に訓練しないとですね」
百花の嬉しそうな声を聞き、万葉が大きく息を吐いた。退屈を追い払うように足首を回し、肩の力だけを抜く。
「じゃあ暇だから戦闘訓練でもしましょうか」
次の瞬間、小さな砂の体がこちらへ向き直る。前線を制御している本体とは別に、剛志の近くに置かれた分体が、少しだけ身を乗り出した。
『あ、では私も混ぜてください。戦闘データは常にブラッシュアップしていかないと。それにお二人の訓練に混ざれたらとても有意義です』
言い切ったあと、分体が小さく拳を作り、構えを取る。だから、百花も姿勢を真似し、万葉は短く顎を引いて間合いを測った。さらに剛志は、その様子を横目で追いながら、手元ではゴーレム生成を途切れさせない。
前方では激しい戦闘が続き、魔物の脚音と羽音が途切れない。ところが手前では、百花が一歩踏み込み、万葉が最小の動きで捌き、分体がデータを拾う。しかもその横で、剛志の指先からはブロックが増え続け、空中の列が絶えず伸びていく。
同じ空間で、三つの速度が並走していた。だからこそ、地下八十階層の攻略は始まったばかりなのに、すでに流れだけは完成している。そう示すように、前線の光と冷気が揺れ、手前の訓練の足音が乾いたリズムで重なり続けていた。
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