076 天空闘技場とアホ猫
「実は……わたくし、体術は得意ではありませんの」
相手が女性であれ男性であれ、日中往来で他人の体に密着するのは、ちょっと。
頬を染めて恥じらいながらグラディスはそう言った。ひぃ、お可愛美しい。
じゃあ夜の屋内ならいいのかと思ったけど脳内で警鐘が鳴ったので口を閉じた。
そんなこと言って立ち技打撃は普通に出るんでしょ知ってる。
ようするに投げと組みがキライってことらしい。
それはなんか判る。相手に密着するとそれだけで不利に思うもん。こっちが捕まえられるってことは相手も同じってことだし。
というわけでおもむろに天空闘技場で乱取りが始まった。
石畳なんですけど? せめて板間でやろうよ……痛そう以前に割れた石を直す人が可哀想。
さすがの教官は自分とシェルリの着替えを持ってきていた。前合わせのシャツとハーフパンツみたいなの。ちょっと柔道着に似てる。いや作務衣かな。
打撃無しの組み合いで、見てて結構面白かったし勉強になった。
どうやらシェルリが教える側らしい。事前にちゃんと説明して組んでから負荷をかけていくみたいな、丁寧な指導だった。
柔道みたいな技もあり、レスリングみたいなのもある。合気道で見たやつも。
人体の構造が同じなら、こっちの世界でもあっちの世界でも結局同じ道にたどり着くのかもなあ。
お互い手を出し躱し合うスパーは二人の美形度もあってラテンダンスみたいだった。
でも寸止め無しのガチでへし折るのは止めてぇ……見てて痛い……。ライブで四肢逆パカを見てしまった。すぐ治ってたけど。その治せはいいだろみたいなメンタルは良くない。私も反省しよう。
シェルリに担ぎ上げられたグラディが石畳に叩き落され、石が割れて終了となった。石の被害はこれだけだ。よかった。
「どうも身に付きませんわね……」
大の字に寝転んだグラディが荒い息と共に愚痴った。
「必要ないからしょうがない」
そりゃまあ剣と魔力が無くなってからの出番だ。それでも打撃系が先に出る。グラディには組み技はいらんだろ。
シェルリはどこで覚えたのか聞いたら、「姉ちゃん達に仕込まれた」と言った。
姉ちゃん?! あんまりシェルリらしくない言い方だと思って驚いた。
すごく懐かしそうな、嬉しそうな声音だった。
「姉ちゃん?!」
「うちの傭兵団は全員女だった」
「全員?!」
「とっても強くて有名な団でしたのよ」
グラディが石畳を転がりながら近付いてくる。
へええ……! 武勇伝とか聞いてみたい!
でもかしこい私は教官のサインに気付いた。
――この話は、深堀りしてはいけない。
「私も体術覚えた方がいい?」
「アレアは組みつかれる前に逃げろ」
「そして物陰からその不可視の手で叩き殺しなさい」
万事殺す前提にしないでいただきたい。
でもその不可視の手ってかっこいいな?! 自分のネーミングセンスに自信がなくなってきた。
冷えてきたし汚れてるし風呂へ行こう、と誘って無事、話題は逸れた。任務終了だ。グラディがGJ! とでもいうように腕に触れて立ち上がる。
でもシェルリが元いた傭兵団のことはいつか聞きたいなあ。
◇ ◇ ◇
風呂に向かって離宮を下りていく。
天翼宮にも風呂はあるけど、最初の日に入った下層の大浴場へ向かっている。よくよく考えたらあそこもフルオープン露天野外風呂じゃんね。もう慣れた。
「わっ」
通路でドン、と急に背を突かれてたたらを踏む。シェルリとグラディは二人とも前を歩いている。私が最後尾だ。
誰だよ! 飛び退いて振り返った。誰もいない。
……オカルト?
それから二回ほど背を突かれ、テンパった私が魔肢を振り回し、魔力の乱れに二人が振り向いた。
私が怪奇現象を訴えると、グラディが周囲を見渡し、中空を指さした。
「あれですわね」
指の先を見ると、木の上に白い丸いものがいる。なんだこの既視感。
……あいつじゃん! あの、部屋に上がってきてた野良猫。
目尻に黒い模様があって無駄に目力強いからそのツラ覚えてたぜ。
「大雪猫か。まだ仔猫だな」
「なんか……なんかなんか、背中蹴飛ばしてくるんだけど!」
じゃれついているのですね。とグラディは笑い、煩わしければ処分しますか? と素で問われたので私は急速に落ち着いた。いやそこまでは……。
結果、それから私はシッポを振り回しながら歩いた。
魔力を取り入れつつ、シッポを形成しつつ、背後をカバーするように振り回しつつ、普通に歩く。ちょっと難しいな……シッポに集中すると足が止まるし、魔力の取り込みがおろそかになるとシッポが消える。一度消えると形成するのにちょっと時間がかかる。
<魔肢>もそうなんだよな。さあ出しますよ!(集中)フンッ! みたいなワンクッション……ツークッションか? が必要なんだよね。スピード感がないというか。ここら辺圧縮したいなあ。
それから何度か狙われた気配を感じたが、なにごともなく無事風呂場にたどり着いた。無駄に疲れた。
日中に見た離宮の大浴場はスーパー銭湯というよりはプール施設のようだった。
大小さまざまな意匠と形の湯船があり、本当にプールのような巨大湯船もある。あれ全部お湯なの?! すぐ冷めない?? 温泉? アッハイ。温泉だった。
体を洗い流した後、体術師弟が泳いでいったので私は見送り、一人用湯壺で半身浴を楽しんでいた。横からスッとトロピカルデコレーションなグラスが差し出され、つい自然に受け取る。わあ、ストローがある。麦ではなさそう。すごく硬い素材だ。
視線を上げるとリッカドンナがいた。
「散策は如何でしたか?」
散策……そんなお優雅でもなかった……ああいや、シェルリの宝物庫はすごかったよ。でも行けないらしいリッカドンナに言うのもなあ。
あ、そういえば。
「なんかあの野良猫が……」
蹴ってくるんだけど! と言おうとして、「処分」の文字が浮かび、私は慌てて続く言葉を変えた。
「……じゃれついてくるんですけど」
白丸アイライン猫の特徴を言うと、リッカドンナは得心したように頷いた。
「あれは親猫がいないのです」
なんでも去年だか一昨年だかに魔獣VS大雪猫の大抗争があったんだそうだ。
大雪猫の縄張りに魔獣が侵攻してきたらしい。
「大雪猫って強いの?」
「獣全体の中ではそこまで強い種ではありませんが、地の利があり、かつ群れとなるとなかなか厄介です」
生息地のせいか高所や落下を怖がらず、身軽で足腰が強いので岩や樹木を巧みに利用しての空中戦が滅法強いのだそうだ。群れで囲んで四方八方から一撃入れては離脱し、相手が弱ったところで仕留めるという、実に厭らしい戦い方をするそうな。
それでも魔獣相手には苦戦し、群れの約半数が損耗する大事件だったそうだ。
つか、離宮からそれ観戦してたの?
私の視線に気づいたのか、リッカドンナは苦笑した。
「あれらはあくまで野の獣ですし、矜持もあります。全滅しそうなら途中で引き取るつもりでしたが、見事防衛しました。それでも傷付いた仲間をこれ見よがしに我々の目に付くようにするあたりはなかなかに強かです」
汚れた毛皮が見苦しい、ということにして治療してやったそうだ。
その戦いで親が死んだ仔猫が何頭かいたらしい。
「血筋の近い個体に子持ちの番がいれば引き受けて一緒に育てるのですが、あれの血筋にはあいにくいなかったようです」
といっても群れの中でいじめられるとか、そういうのはないそうで。仔は基本、群れ全体で育てるそうだ。それでも専任で世話をする親がいない幼獣は、なんというか、甘やかされて育つらしい。
まだ仔猫なので獲物は群れから分けてもらえる。だから離宮で遊んでるんだろう。しかし同じぐらいの月齢の他の仔猫はもう親と一緒に狩りに出てるそうだ。
そんな育ち方をして成獣になっても厳しい山の環境では長生きできない。
つまりあの白丸アイラインは「人間にいらんちょっかいをかけると始末される」と群れの誰にも教えてもらえていないわけである。
そう聞くとなんだかなあ。
「だめじゃん」
「だめなのです」
悪戯が酷ければ処分するが、今のところただ歩き回っているだけで人間にも近寄らず食料を荒らすようなこともなく、粗相もないので放置していたそうだ。
「この先アレア様に悪戯をするようでしたら片付けます」
うーむ。それはちょっと後味悪いんだけど……私も気を付けて避けるかなあ。
などと私が殊勝なことを考えていたのに、あのアホ猫はその後ちょくちょく現れては私を見て「シャーッ」と牙をむく。なんだそのカスみたいな威嚇は。
「フシャアアアアアア!!!」
私が一足飛びに接近しアホ猫の頭を丸呑みする勢いで大口を開け吠えると、ビャッとかビュッとか鳴いて飛ぶように逃げた。チキンめ。猫だが。
蹴られた時はまあ私に隙があったのだ。これも訓練かなーと思うから放っておいて、とリッカドンナ達には言っておいた。でないと知らない間に始末されちゃうよあいつ。
昼寝してるところは普通に可愛いんだけどなあ。
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