終幕 最後の秘密
翌日の休校日。
帰省した枢子の部屋には女子四人に男子が一人。
それと男に良く似た生き物が一人。
全員昨日の怪我が嘘のようにケロリとしている。
ここにいる奇妙な生き物に傷を治してもらったのだ。
唯一の男子はこの家に来ることを頑なに拒否していたが、先輩の一人に鎖で雁字搦めにされ無理矢理連れてこられた。
途切れていた会話が再び始まる。
「枢子ちゃんも人が悪いよ、ずっと隠してんだもん。最後の切り札みたいな?」
「いえ、その、隠してたっていうか……まあ隠してたんですけど」
「全くだ。妾の〈反則〉など足許にも及ばんぞ。病院送りレベルの大怪我を、すっかり治してしまったのだからな」
「あ、その件は、わたしも全然知らなくてですね」
「ほんとダイモンみたい。こんな完全な聖像初めて見るヨ。それによーく見ると、結構男前。ワイルドな感じ」
奇妙な生き物は得意げに胸を張っている。
大変残念なことに、白皙の美少女エステラの男を見る眼は、完璧な節穴でできているようだった。
――――――✂キリトリ線✂――――――
昨日。
後夜祭の更に後。
用済みのキャンプファイヤーに水を掛けていた顧問に元墓荒らしの件を質すと、おぉその通りだ、誰から聞いたんだ? とあっさり認めた。
少しも悪びれるふうでなく。
まぁ俺様も昔は色々あったのさ、オラお前もボサッとしてないで手伝えや、と枢子の額を指で突く顧問に、彼女はのけぞりながら、まぁいいか、と思った。
顔に触れたそばから溶けていく、季節外れの粉雪の儚い冷たさが、そんな些細な蟠りを消していくかのようでもあり。
校舎の大部分は眼も当てられぬ損壊状況で、修復を待つまでの間、別棟や体育館等を利用して平常通り授業を行うらしい。
担任の若宮教師が〈お祭り〉の最中に突如として姿を消した、という噂も持ち上がったが、確かなことは判らなかった。
〈お祭り〉は終わったのだ。
――――――✂キリトリ線✂――――――
枢子の母が飲み物とお菓子を持って部屋に上がってきた。
枢子は慌てて彼を消した。
見つかっても別段困ることはないのだが、どう説明すべきか考えると気が重くなる。
この子ったら昔は凄い人見知りで、泣き虫で……という母親にありがちな子供の恥部の暴露ののち、枢子の母は何事か思い当たったらしい。
「そうそう、そういえばね」と腿を平手で打つと、「まだ小学校に上がる前に、この子、外で知らない男の子と隠れんぼで遊んだよって、嬉しそうに話したことがあったの。ええそう、独りでお家で遊んでばっかりいたから、それが珍しくてね。随分遠くまで出掛けてたみたい。丁度今ぐらいの時期。丘の上の高校が文化祭やっててね……」
母の昔話は尚も続いたが、娘のほうにそんな記憶はなかった。
あれは夢の話で。
いや、夢じゃなかったのか。
前後の記憶を忘れていただけで、夢だと思い込んでいただけで、あの隠れんぼは現実の出来事だったのかも。
じゃあ、隠れんぼをしたあの変わった石壁は。
水嵩の減った、高校の噴水の中だったのかも。
あの中庭に感じていた懐かしさは、現実の既視感によるものだったのかも。
『知らねーよ、そんな昔のこと』
母が退出したのち、早速喚び出した彼にそのことを訊いてみた。
やはり思わしい返事は返ってこなかった。
『なあ航也よ。昔のことなんざどうでもいいよな?』
同意を求めるように肩を叩く彼に、航也は苦笑するしかない。
麦茶を啜り、茅逸はウンウンと首肯しながら、
「それにしても、枢子が壊して名無しの彼が直す。良くできたコンビだよこりゃ。航也もあんまりぼやぼやしてらんないね」
「なんスかそれ」
困惑する航也を横目に、枢子は自分の麦茶を注いだ。
半ば事故のような連絡先交換と、昨日名無しの彼の仲介で固く手を繋いだことが、なんだか遠い昔のことのようだ。
『ちょっとおねーさん、その呼び方やめてくれよ。第一、俺は傷ついたものや弱った生き物は癒せるけど、壊れた物は修復できないぜ。校舎とかさ。コンビにゃ不適だね。相方は航也に譲るよ、なっ』
軽く言ってまたも航也の肩に手を置く彼。
馴れ馴れしい。
枢子は段々ムカッ腹が立ってきた。
思えば航也から受け取ったメッセージは、あの〈ごめんな〉一件きりである。
態度も口調もこれまで通り。
付かず離れず、なんの進展もない。
「だけんども、あなたプレスター・ジョンのお墓から出てきたんだから、プレスター・ジョンなんでしょ?」
『プレスタージョン? 知らねーなそんな奴』吐き捨てるように言う彼。『ま、西側の連中はそう呼んでたのかもしれねーけどな。少なくとも本名じゃねーわ。全然ピンとこねーし』
「俺は、あの墓には転輪聖王の秘宝が眠っていると聞いたが」
航也の何気ない言葉に、彼は、あ……と声を上げ、中空を見つめ、そして、
『それだ。俺の名前。チャクラヴァルティラージャン。〈輪を転がす王〉。』
「……え?」
『たった今思い出したわ』
「思い出したって」
「そんな急に、思い出すもんなの?」
『おう。俺、転輪聖王。秘宝ってのは知らんが』
突然の告白に、唖然とするしかない一同。
しかし枢子だけは航也に対する接し方が気に喰わず、本名の開示をすっかり聞き逃していた。
『お前よく知ってたな。いやいやいや、やっぱ航也とは仲良くやっていけそうだぜ、うん』
「なんなのあんた。ホント腹立つ」
相変わらず航也の肩に置かれたその腕を払い除けようと手を伸ばした枢子だったが、そこにあるものを認め、おやっと眉間に皺を寄せた。
「あんた腕に何か付いてるけど」
『なんだと』
「ゴミじゃない?」
『なわけねーだろ』
ようやく航也から手を離し、腕に眼をやる彼。
それはゴミではなく、手首を一周した紫色の、
円形の、
いや環状の、
……痣だった。
『おっ?』
痣が光った。
ドンッ!
その拳から放たれた光の槍は、混乱状態の枢子らを差し置いてどこかへ飛び立っていった。
天井に大きな大きな穴を開けて。
「…………」
「またか」
「まだ悪夢は終わってなかったんかい……」
「ど……どうしよう、うちの屋根」
「いや屋根どころの騒ぎではなかろうて」
「飛んでいっちまったぞ」
『これでもう戻って来なきゃいいんだがなー』
痣が移った。
いや、これはむしろ戻ったというべきなのか?
空いた天井の先から覗く真昼の太陽が、あまりに眩しすぎる輝きを湛えてヤコブの梯子のように強烈な日差しを降り注いでいた。
眼を細めて見上げていた枢子は、なんとはなしに航也と眼を合わせ、込み上げる笑いに口許を綻ばせた。
ま、いっか。
釣られて破顔する航也。
枢子はそれを見て思った。
そうだ、こっちが笑えば向こうも笑ってくれる。
そうすれば、間の溝は自然と埋まっていく。
これなら、壊すしか能のないわたしにだってできる。
呆れがちな、あるいは心配そうな周囲の視線をよそに、二人は声を立てて笑った。
(了)




